2019年1月。

 

ママは

妊娠6ヶ月でした。

 

 

お腹にいた

 

第四子の愛しい息子。

 

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あたたかくなってきたら会えるね♡

もうすぐだね♡

 

 

家族みんな

 

パパも

7歳長女も、5歳次女も、3歳長男くんも

 

弟に会える日を

毎日、毎日、楽しみにしていた☆

 

 

 

 

胎動が元氣いっぱいな

男のコだった。

 

 

 

 

性別もわかり

名前も決まった。

 

 

いよいよ

赤ちゃん服を用意するのが

とっても楽しみで

 

ワクワクしていた。

 

 

 

 

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妊娠13週のとき

大量の出血とともに

 

 

切迫早産になりかけて

 

 

あぁ、もう、

赤ちゃんダメかもしれない。

 

 

13週までの流産では

赤ちゃん側に問題のある事が多く

 

そうだと

もう

ママがどんなにジタバタしても

 

もう

 

止められない。

 

 

赤ちゃんと

もうお別れかもしれない。

 

覚悟をした。

 

 

★切迫流産がくれた『 命と向き合う時間 』絨毛膜下血腫★

 

 

 

そして

産婦人科では

 

即、入院となった。

 

 

大量の出血は

その日で治まったものの

 

 

大きな血腫が

赤ちゃんの胎盤をぐるりと囲んでしまっていて

 

 

 

「 これが、剥がれたら、赤ちゃんは流れるね。 いまは、ぜったい安静にしていてね。 」

 

と産婦人科の先生。

 

 

2018年の

11月のおわりから

1ヶ月間

 

ママはベットのうえで

 

絶対安静の日々を過ごすことになった。

 

 

 

毎日、毎日

 

家で待っている

3人の子どもたちのことを

ずっと想っていた。

 

 

 

ごはん、つくってあげたいな。

 

また子どもたちと

遊びに行きたいな。

 

 

あれをしてあげたいな

これをしてあげたいな。。。

 

 

 

いろんな想いが

入院中にでてきて

なんだかポロポロ、涙があふれてきたり。

 

 

2週間のはずだった入院生活は、

もう一週間、もう一週間と、、、

 

 

血腫がなかなかひかずに

長引いていくことととなった。

 

 

 

お腹の赤ちゃんの

心拍を

毎日、1日に3回、確認する。

 

 

 

トクトクトクトク・・・

 

 

はやく波打つその心臓の音に

 

ママは

 

この子を守りたい

元氣に生まれてきますようにー

 

ひたすら

そう毎日願いながら

過ごしていた。

 

 

 

 

 

ようやく年末

 

お正月に

退院できることとなった。

 

 

 

「 でも、まだまだ血腫はひいてないので、ぜったい安静にしててくださいね。 」

 

 

そう先生に言われながらも

 

 

お腹の赤ちゃんをいたわりながら

 

3人の子どもたちとの日々がまた

うれしく

 

家事も、再開していたのでした。

 

 

 

 

 

 

この時期の妊婦健診は

 

本来だったら

 

( 安定期にはいって )

4週に一回なのだけれど

 

 

退院してからも

わたしは

週に一回のペースで

 

赤ちゃんのようすを確認してもらっていた。

 

 

 

 

 

 

妊娠21週。

 

 

 

いよいよ性別がわかる日。

 

 

 

 

「 男の子ですね 」

 

 

 

すっごくうれしかった。

 

 

 

 

お腹にいる赤ちゃんの

 

個性がまたひとつ

分かったことが

 

ほんとうにうれしかった。

 

 

 

 

 

 

13週で

お別れするかもしれなかった赤ちゃん。

 

少しでも

この子の個性を知れたことが

この子を知れたことが

うれしくて、うれしくて、たまらなかった。

 

 

 

 

「 うーーん、おかしいなぁ 」

 

 

先生が

 

性別を確認したあとも

まだ

モニターでお腹のなかの赤ちゃんをみている。

 

 

そして

 

 

どうも

納得のいかないようす。

 

 

 

 

「 これはもしかして・・・・ 」

 

 

 

先生が

赤ちゃんの異変に気づいた。

 

 

 

診察台のうえで

血の気がひいていった私。

 

 

 

 

精密検査をすることになり

 

 

ママは

横浜市のこども医療センターの産婦人科へ

行くことになった。

 

 

 

 

 

 

ここで

赤ちゃんの精密検査を

 

3人の産婦人科の先生が

してくださいました。

 

 

 

お腹の赤ちゃん・・・

 

 

 

 

 

 “ お腹のなかでは、基本的に元気

 

    ⇨ 生まれたあとには、基本的に生存できない。 ”

 

 

 

 

事実を知り

 

ようやく

 

わたしは

何が起きているのか

知ったのでした。

 

 

 

 

お腹のなかで

こんなに元気に

 

胎動がして

 

こんなに元気に

生きているのに。

 

立派な、カラダなのに。

 

 

この子は

 羊水のなかでしか、生きられないー。

 

 

 

まさか

 そんなことが。

 

 

涙がとまらなかった。

 

 

 

 

 

それでも、産みたい。

 

私は

そう言った。

 

 

 

 

 

“ 分娩時の問題

 

   ⇨ 産道への損傷

   ⇨ 子宮、膣壁の裂傷

 

 ⇨ 母体のこのようなリスクを極力避けるために、一般的には、人工妊娠中絶を選びます。 ”

 

 

 

やさしく

担当医の先生から

 

丁寧に、そう説明された。

 

 

 

 

 

それでも、産みたい。

 

わたしは

訴えていた。

 

 

 

産まれるときが

死ぬとき。

 

 

 

 

だとしても

 

 

この子を、この腕に抱きたい。

 

 

 

 

 

 

その日

 

 

パパも

 

 

涙が止まらず

 

 

わたしの、産みたい、という気持ちに寄り添ってくれながらも

 

 

「 ママ、もしママになにかあったら

  ( 出産のときに、母体が命を落とすようなことがあったら )

 

  残された子どもたちは、どうするの?

  ぼくもそうだけど、3人の子どもたちのためにも

  ママが、元気で、生きていてほしい。   」

 

 

 

涙が、止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

ときは

妊娠21週。

 

 

 

 

 

 

法律で

人工妊娠中絶が可能な日数まで

 

のこり

数日だった。

 

 

 

 

 

 

 

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お腹の赤ちゃんは

確かにわたしに

 

ずっと合図を送ってくれていた。

 

 

 

 

この妊娠がわかった日。

 

 

妊娠検査薬で

陽性反応が出た日の夜。

 

 

 

バン!!!

 

っと。

 

 

とつぜん

私の脳裏に

 

インスピレーションが来た。

 

 

それは

『 障害をもった赤ちゃん 』

のビジョンだった。

 

 

 

あまりにも

そのことが怖くて

( 赤ちゃんになにかあったらどうしよう、と不安で )

 

 

この話を

誰にもしないでいた。

( パパにも )

 

気のせいだ、きっと気のせいだ。

自分に言い聞かせていた。

 

 

 

 

 

 

それから

13週に

流れそうになり

 

そして

それをなんとか乗り越えたけれども

 

 

やはり

赤ちゃん側の

生まれられない事情があったことを

 

こうした形で

悟ることになったのでした。

 

 

 

いのちのために、いのちをかけよ

 

 

この本のなかで

 

吉村先生が

 

“ 赤ちゃんが流れるときには流れる意味がある。

現代医療で、それを止めちゃぁ、ならんのよ。

 

もし止めたら

それがなにを意味するのか、あとで分かる。 ”

 

 

おっしゃっていた

 

そんな一文があったのを、思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

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妊娠22週目前の

 

1月。

 

 

 

 

しし座の満月の夜。

 

ママは

ふたたび入院の準備をして

 

 

産婦人科での

 

お腹の赤ちゃんの

 

人工妊娠中絶がはじまった。

 

 

ポロポロと

ずっと

泣きながら

それははじまった。

 

 

 

 

 

 

ラミナリアという

細い管( 昆布でできている )を

 

何本も

子宮口に入れていく。

 

( これがゆっくりと、子宮口を開いていく。 )

 

 

 

 

 

これから

生まれてくる赤ちゃんと

 

対面するときには

この子はもう

 

息をひきとっているー。

 

 

 

いま

確かに

 

このお腹のなかで

 

元気な胎動を感じるのに

 

 

 

いま

確かに

 

命の鼓動を感じるのに。

 

 

 

いま

確かに

 

ここで

この子の心臓がトクトクトク動いているのに。

 

 

 

 

ママは

さいごに

この子にしてあげられることのすべてを

 

してあげたかった。

 

 

 

 

 

病室に

 

毛糸やお裁縫道具

布や折り紙をもってきて

 

 

ベッドのうえで

 

 

この子のための

帽子やおもちゃ( にぎにぎ )を

手づくりした。

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3歳の長男くんみたいに

 

きっと男の子だから

車が好きだろうな、そんなことを想って。

 

 

この車に乗って

またママのところに

遊びにおいで

 

そんなことを、想って・・・

 

 

 

 

うまれてくる赤ちゃんの大きさの

お布団も、つくった。

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ずっと、ママが抱っこをしているようであるように。

 

 

 

 

いよいよ

 

陣痛促進剤が

入れられていく。

 

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お腹の痛み

 

陣痛が激しくなってくる。

 

 

 

 

 

家からは

 

出産をたすける

「 小豆を7粒 」をもってきていた。

 

 

 

 

 

痛みが強くなってくる。

 

 

 

 

もうすぐ

わが子と

 

 

 

出会えて

 

そして

 

 

別れのときがくる。

 

 

 

 

 

 

 

陣痛の痛みが

いちばん強くなってきて

 

腰全体が張り裂けそうなほどになったとき。

 

 

 

 

出口のないこの痛みを

通過させるのには

 

「 小豆を7粒 」飲んだ。

 

 

 

すると

みるみる

陣痛がさらに強くなってきて

 

 

出産の痛みへと

つながっていったのでした。

 

 

 

血にまみれた羊水が流れ出たとき

 

 

痛いよね、苦しいよね

 

って

 

赤ちゃんに申し訳なくて

つらくて

 

涙がとまらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

小さくて

 

そして

しっかりしていた

 

 

愛しい息子が、うまれてくれた。

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愛しくて、愛しくてー。

 

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ただただ

 

愛しくて、たまらない。

 

 

 

 

 

涙が

 

とまらなかった。

 

 

 

 

 

 

出産の翌日

 

 

葬儀屋さんが私の個室にきて

 

火葬の準備からなにからなにまでする、

 

とのことで

 

赤ちゃんを連れて行こうとした。

 

 

 

 

 

 

けれども

 

私は

 

どうしても

 

 

 

 

息子を、お家に連れて帰りたかった。

 

 

 

 

家族がまっているお家へ。

 

 

 

この知らないおじさんに

どうしても

息子を連れて行かれたくなかった。

 

 

葬儀屋さんの手配を断った。

 

 

 

退院の日。

 

 

 

息子のはいった

小さな紙の棺に

 

ママの

マフラーをていねいに巻いて

 

 

パパの車に乗り

 

大切に抱いて

家へいっしょに帰った。

 

 

 

 

5歳の次女は

赤ちゃんをみると

 

「 かわいい~♡ 」

 

大喜びで

 

両手に棺を抱っこして

 

 

家中を、案内してまわった。

 

 

「 ここが、わたしたちのお部屋で、ここが、寝るお部屋だよ 」

 

 

 

赤ちゃんとお散歩してくる!

 

 

両手に棺をかかえたまま

 

家の周りを周ったりしていた。

 

 

 

 

 

赤ちゃんといっしょに

お家に帰ってこれて

 

お姉ちゃんやお兄ちゃんに会わせることができて

 

 

こんなにいっぱい

愛されているよ

 

みんな

きみのことが大好きだよ

 

って

 

連れて帰ってこれて

 

 

ほんとうに良かった

 

と想った。

 

 

 

 

 

 

火葬式の日まで。

 

 

 

 

わが子との

 

さいごの時間を

 

過ごしていた。

 

 

 

手形や足型をとったり

へその緒をケースに入れたり

 

 

ケーキを買って

家族みんなで

 

 

お誕生日のお祝いをした。

 

 

 

 

 

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赤ちゃんが

 

13週で

 

わたしのところを去るかも知れなかった日。

 

 

 

 

看護師さんが

「 あんなに大量の出血をしていて、あれはもう、ふつうだったら、流れてもおかしくない状況だったね 」

 

そんなことを言っていて

 

 

 

あぁ、そうだったんだ

 

 

それでも

 

ママの

『 流れないでほしい 』

想いをかなえてくれて

 

 

こうして

 

この子を

 

 

いま

 

腕に抱いて

そばにいることができるまで

 

 

ママのお腹のなかにいれてくた。

 

 

そのことに

 

がんばってくれた

息子に

 

ありがとうでいっぱい。

 

 

 

 

 

毎日聴いていた

 

君の心臓の鼓動。

 

 

 

 

君が

 

男の子だったと

 

知ることができた。

 

 

 

 

君が

 

こんなふうに

 

立派な姿で

 

いま、ママの腕のなかで、抱かせてもらえていること。

 

 

 

 

この思い出の日々と

 

君の存在を

 

 

ママはずっと忘れない。

 

 

 

 

愛しくて

愛しくて

 

 

どんなふうでも

 

 

ただ、ただ、愛しくて

 

 

 

 

 

 

 

それまで

 

息子がお腹にきてくれるまで

 

 

 

私の日々は

 

 

我をわすれてしまうような日々だった。

 

 

ずっと自分を犠牲にしていた。

 

 

 

 

 

そんな私を

 

すべてから引き離して

 

 

 

 

 

ひたすら

ママのお腹のなかにいることで

 

ママを守ってくれていたことが

 

 

いまなら

わかる。

 

 

 

 

男のコはやっぱり

どうやっても

 

その命をかけて

ママを守りに

 

このお腹に宿りにきてくれるんだよね。

 

 

 

 

 

この子が

 

お腹のなかにいた日々が

私を

私に戻してくれた。

 

 

 

ママのお腹に宿ってくれて

きみと出会えたことに

感謝でいっぱい。

 

そして

ただただ

 

愛しくて、愛しくて、たまらない。

 

 

 

 

 

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火葬式の前夜。

 

 

 

小さな棺を

 

手づくりした。

 

 

 

この子の一生分

してあげたかったことがある。

 

 

 

 

幼稚園バックをつくってあげたかった。

おもちゃをつくってあげたかった。

いっしょに絵本を読んであげたかった。

ごはんをつくってあげたかった。

 

 

手をにぎりたかった。

抱っこして寝かせてあげたかった。

おっぱいをあげたかった。

 

 

 

 

 

きみのために

私にできることはすべて

してあげたかった。

 

 

 

だけどいま

 

 

この子のために

 

 

してあげたくても

してあげられることがもうこれ以上なくて

 

 

 

 

一生分の

想いを込めて

 

 

棺をつくった。

 

 

それから

お手紙を

書いた。

 

 

 

 

さいごに

 

小さな小さな

わが子を

 

 

腕に抱きしめて

 

 

 

その姿を

ずっとずっと

心に焼き付けた。

 

 

きみのすべてが

愛しくて、たまらなくて

 

涙があふれて、とまらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

火葬式当日。

 

 

小さな小さな棺が

 

丁寧に

厳かに

 

運ばれていく。

 

 

 

花束に隠れるくらいの小さな息子の棺が

 

 

 

大きな分厚い扉の向こうで

焼かれている間中

 

 

ママはずっとそばに

 

座っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生まれてくるときが

        死ぬとき。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

息子がお腹にいた日々は

大切な大切な

 

わたしの宝物の日々でした。

 

 

 

 

天使になった

わが家の愛しい次男くん。

 

ママの人生を、純粋に自分らしく生きる道へ、正してくれた、息子。

 

純正。

( じゅんせい )

 

 

 

 

ママのことろにきてくれて

ほんとうにありがとう

 

ずっと愛しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“ すべての赤ちゃんは

 

流れるとき

 

ママと別れるときに

 

必ずママに、合図を送ってくれるー。 ”