「 ママとカフェに行きたい^^ 」
 
っと
わが家の7歳になった長女ちゃん。
 
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長女とふたりで
ゆったりママとのランチタイムを過ごした☆*・。
 
 
 
★ー長女がお腹にいたときからの
         思い出の子育てブログー★
 
 
★ー・ー★ー・ー★ー・ー★ー・ー★
 
 
 

 
 
わたしにとって
はじめての
 
妊娠、出産、子育ての
 
すべてだった
長女ちゃん☆*・。
 
 
 
 
 
 
命まるごとをかけて
命のありのままの姿を
教えつづけてくれた長女。
 
 
 
 
そして
わたしを
わたしに戻してくれた
 
 
わたしから
すべてのトラウマを消していってくれた
 
 
わたしを
助けに来てくれた
小さな、赤ちゃんだった神さま。
 
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
 
26歳のとき。
 
 
 
 
 
それまでしてきたことの
すべてを
 
やりきったなぁ
 
ふと感じるようになったことがあった。
 
 
 
 
 
もう
自分のためにしたいことは
何もなく
 
ふと
 
何をしても
どこへ行っても
それほど楽しくなくなった。
 
 
 
 
 
いっしゅの
満たされた感覚でもあり
飽きた、という感覚でもあり。
 
 
 
 
それから
毎晩
ひとりで晩酌をするようになった。
 
 
お酒のボトルを
 
毎晩
数本ひとりで空けるほど飲むようになっていった。
 
 
 
このまま
  もう死んでもいいや
 
 
どこか
母に大切にされなかったという幼少期の想いや
 
 それが
自分で自分を大切にしない
大切にできないことにつながっていて
( 当時は、そうとも気づかず )
 
このまま
もう
 死んでいってもいい、と
 
しずかに自分が弱っていくのを待つかのように
お酒を煽っていた。
 
 
 
 
 
「 自分が自分を幸せにする 」
 
という感覚も術もなにもないまま
大人になって
 
「 自己犠牲的 」な
危ない生き方をしてきたようにすら
 
いまは思う。
 
 
 
 
 
 
自分がラクで在る
自分らしくあるようなことを
 
すべて親(や教育)に否定されて育つと
 
 
 
 
もっと
ラクで在りたいのに
 
「 自分を犠牲にしなければならない 」
 というか
 
「 自分が幸せになるほうを選ばない 」
というように
 
「 自分を幸せにしてあげない 」道を
 
無意識で選んでしまい
 
そして
そのなかで自分が苦しむようになる。
 
 
 
こんな
 
 
まったく自分を幸せにしない
  感覚(洗脳)やブロックが
 
母や幼少期の教育から
 
 自分のなかにはしみこんでいて
 
それによって
 だいぶ生きづらかったわたしの一部分は
 
なにをしても満たされることもなく
 
当時は
その状態にすら気づける術もなかった。
 
 
 
 
 
 
もう
彼とも別れよう
 
( 自分が幸せで在っていい、楽しんでいいと、無意識に自分に許せていない自分がいると
  (↑自分にブレーキをかけている無意識の自分がいると )
  誰といてもなぜか幸せになれず、むしろ幸せな状態を無意識に否定するような感覚( 罪悪感 )が湧き起こるという弊害が起こる。 
  幼少期からの、親からの、子どもが興奮して遊んでいるような、最高に楽しい!という状況や場面を、そのつど否定される教育、ダメダメと言われつづけることからの、大人になってからの弊害。)
 
 
そう
準備しだした
26歳のクリスマスのことだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
なんだか
 
いつもとようすが違う自分のカラダ
お酒を飲んでも酔えない感覚。
 
 
こない、生理・・・
 
 
 
もしかして・・・と
 
妊娠検査薬をするとー
 
 
 
結果は
 
「 陽性 」!!
 
 
 
 
 
 
神さまからの
人生の進路変更の
片道切符をもらったような
 
人生初の
衝撃のなかで
 
 
ママになる準備なんて
もちろんなにもなく
結婚もしていないし
 
むしろ
わたしが子どもを育てられるのか?、、、って
 
 
 
怖さでいっぱいで
胸がいっぱいで
泣いたのでした。
 
 
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
なにもかもが
わからないことだらけ。
 
 
結婚もしないで
このままシングルマザーになろうか
 
 
赤ちゃんのことも
育てかたも
 
なにもかもが
分からず、、、。
 
( だいたい産婦人科のかかり方も分からず。 )
 
 
ただただ
 
そんな私に
寄り添って
ひたすら歓んでくれたのが彼だった。
 
 
大丈夫
ぜったいに
ぼくが守るから
 
 
そう
このひとと
結婚する道を選び
 
家族になった
わたしたちだった。
 
 
 
 
( 彼が
いろんなカタチで
わたしを今でも、守ってくれているのを、感じる。 )
 
 
 
*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
 
 
 
 
長女は
無事に産まれてきてくれた。
 
 
 
 
ママのわたしは
抱っこさえへたっぴでできなくて
おっぱいもくわえさせられなくて
 
 
 
赤ちゃんが泣くと
どうして泣いているのかわからなくて
 
 
 
寝不足で
産後ウツで
くたくたで
オロオロして
ボロボロで
泣いてばかりの、ママだった。
 
 
 
 
少しづつ
少しづつ
 
赤ちゃんと向き合いながら
ちょっとづつちょっとづつ
 
カラダが
赤ちゃんを育てる感覚
( 抱っこして眠る感覚、添い乳する感覚、 泣き止む抱き方・・・ )
を、覚えていってくれた。
 
 
 
 
何も知らない
何もわからない私に対して
 
 
 
赤ちゃんを育み産んでくれたこのカラダが
赤ちゃんを育てる方法を知っているはずだ( 教えてくれるはずだ )
 
 
ある日
そう思って
 
 
産院からの粉ミルク育児をやめて
母乳育児をはじめだした。
 
 
母乳と赤ちゃんとの絆から
ほんとうに私は
 
このカラダに
 
自分のカラダのなかに在った
神秘の女神性に
母親としてのすべてを教えてもらった。
 
 
 
 
 
 
 
娘が産まれて
成長していくそのはやさのなかで
 
 
 
わたしの意識する
世界も変わっていった。
 
 
 
 
 
ただただ
広くて静かだった
 
家のなかでは
 
娘の存在があるだけで
そこがパーーっと照らされたように明るくなった。
 
 
 
 
 
娘が
歩きだして
家中を遊びだすようになると
 
 
 
なんでもなかった場所
家の片隅
出窓・・・
 
 
そんな場所で遊びだして
 
なんでもなかった場所が
 
 
特別に
ステキな空間になった。
 
 
 
 
いっしょに
手をつないで
外を歩きだすようになると
 
 
なんでもない葉っぱや
なんでもない石ころや
 
 
いろんなものに
ひとつひとつ立ち止まり。
 
 
 
娘のそのとなりで
わたしもいっしょに
 
いつまでも立ち止まる。
 
 
( なにも急かさず、なにも遮らず、ただただ、いつもそばで、少し娘のうしろをついていた日々だった。
 振り向く娘に、笑顔でうなずき(いいよ、大丈夫だよ)
  この子の命のしたいことのありのままを見守り
   この子の命の欲することのすべてが、そのまま満たされて成長していってほしかったから。 )
 
 
娘が産まれる前から知っていたはずの
 
いつもの
見慣れた同じ場所でさえ
 
 
 
娘の世界を通して
 
娘が見せてくれるその場所は
 
わたしの知らなかった
美しすぎる
色をもった躍動感のある
はじめての世界に変わっていった。
 
 
 
 
 
それまでの私には
見えなかった
 
この世界の
生命力や彩りにさえ
 
そこに在った
たくさんの歓びといっしょに
 
小さな娘が
ひとつひとつ気づかせ、見せてくれ続けた日々だったー。
 
 
 
 
 
 
 
この子といる
この世界は
 
美しく、楽しい。
 
 
 
 
 
子どものいる世界は
まったくちがう次元に入ったかのようで
 
 
この子たちのいなかった日々が
もう思い出せないほどに
信じられない気さえする。
 
 
 
 
 
 
いまもふと
主人と
 
 
子どもたちがいなかったら
いまごろ自分は何をしていたのかなって
 
( 私は主人と結婚もしていなかったと思うし )
 
お互い、あのまま病気になって
  もう死んでいたんじゃないか(笑)
 
と話したりする。
 
 
 
 
 
 
 
母乳育児にきりかえて
自分のカラダと
はじめて向き合ったとき
 
 
 
繰り返す乳腺炎のなかで
 
何が自分の「 血の質 」をどう変えるのか?
 
直接、母乳というカタチで
毎日自分が食べたもと「 血の質 」のつながりをみながら
 
その母乳を飲む赤ちゃんの
 情緒やカラダへの影響をも、確認しつづけることができた。
 
 
命まるごとをかけて
 その全身で、赤ちゃんのカラダや心は、すべてを教えてくれた。
 
 
 
 
自分のそれまでの
 
乳がんになりかけていたような
食生活にも気づき
 
それを改めるきっかけともなり
 
赤ちゃんのために
「 母乳の質をよくしたい 」と求めたことから
 
赤ちゃんの
カラダと心が教えてくれる
 
赤ちゃんがいちばんご機嫌がよく
カラダ(肌)もキレイな状態であるときの
 
食事バランスを
丁寧に求めていったことで
 
 
それはそのまま
自分自身の
 
子宮頸がんの進行や
冷え性が治っていくことにもなった。
 
 
 
赤ちゃんのために
と思ってしてきたことが
 
自分自身を
 
強く、健やかに、中庸へと、導かれていったー。
 
 
 
 
 
 
娘が
たすけれてくれた命だと、心から思う。
 
 
 
 
 
 
 
そこから
 
娘を子育てするなかで
 
 
自分が育ってきたような
「 自己犠牲をよしとする、女の子を幸せにしない洗脳・教育 」
 
のすべてから
 
もっと
「 命の本質に沿った子育て・生き方 」がしたい
 
と強く感じ
 
 
ただ
自分がされたように
子育てするのではなく
 
 
すべてのことを
ひとつひとつ
自分の納得のいく「 命の本質を尊重した子育ての在り方 」を求めていった。
 
 
★当時読んだ本で
   とても共感した著書たち★
 
 
 
 
 
 
そうして
 子どもの育ちのとなりで
  子どもの育ちを見守るうちに
 
 
 
自分自身が
こんなふうに育てられたかった
こういうふうにキモチを大切にされたかった
 
 
 
自分の子育てを通して
 
 
気づけば
癒やされていなかった
 
自分自身のなかに
生き続けていた
 
小さかったころの自分自身
インナーチャイルドの自分が
 
あるとき
いっしょに癒やされていることに気づいた。
 
 
 
 
 
母になった私が
 
 
娘と
自分のなかのもうひとりの小さな自分を
 
 
いっしょに
大切に子育てしてきていたんだと
 
 
目に見えないけれど
 
ずっとわたしのなかにいた小さい自分が
 
娘の子育てを通して
ようやく満たされて
癒やされていることに気づいたのでした。
 
 
 
そのときから
わたしは
それまでの
母(やすべてのそれまでの洗脳されていた教育 )の価値観や
そういったものの顔色を伺うような感覚がいっさい消え
 
母は母で、自分とは別個のひとという感覚のなかで
 
 
まったく自分は自分で
満たされて
 
ようやく
自分を「 幸せにする 」感覚に
 それで良いと、歓びをもてるようになった。
 
( とくに、4人目の死産したわが子が、私のなかのわだかまりをすべて持っていって浄化してくれた。
 わたしは、産婦人科出産をした長女のときの出産に対して、産婦人科医にも、看護師にも、その処置や母子への対応に対して強い怒りを消せずに持っていた。その感情を、4人目の息子の産婦人科で、すばらしい産婦人科医さんと看護師さんたちのおかげで、すべて癒やされることとなった。 )
 
 
 
 
 
そして
 
『 自分を大切にする 』
 
ということが
ようやく
罪悪感を伴わずに
 
歓びから求められるようになった。
 
 
 
 
 
 
だれの目からでもなく
( とくに、育った母や教育からの目や価値観 )
 
ママの自分自身が
 
いちばん
うれしいことをする
心地よいほうを選ぶことを
 
日々
小さなことからすべてにおいて選択していくことが
 
( ママが自分を決して犠牲にしないことが )
 
 
 
ママの自分を満たしていき
 
満たされたママのそばにいる
 
わが子たちにとっても
パートナーにとっても
 
家庭にとって
いちばん幸せなことだと
 
 
家族円満は
『 ママファースト 』からだと
 
 
いまでは
自然に実感することができるようになった。
 
 
 
 
 
 
すべては
小さな赤ちゃんの神さまが
 
命まるごとをかけて
 
ママを助けにきてくれて
教えてくれて
導いてきてくれたことたちだったー。
 
 
 
*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
 
 
 
 
「  ママとカフェに行きたい^^ 」
 
 
7歳になった長女ちゃん。
 
 
ふたりきりになれる時間や
ゆったり向き合ってあげられる時間が
 
ふたりの妹や弟たちの誕生から
なかなかとれずに
いつも
 
弟や妹に
ママをゆずって、寂しい想いをしていたりする長女ちゃん。
 
 
 
 
ゆったり
いっしょの時間を過ごそうね^^☆
 
カフェでいっしょに宿題をしたり
おいしいスイーツをいっしょに食べる☆*・。
 
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赤ちゃんのときから
変わらない
 
この子の雰囲気に
 
ママは
目をつぶっても
 
生まれ変わっても
また、きっとあなただと
気づけます^^♡
 
 
 
 
 
ママのところに
命まるごとをかけて
 
産まれてきてくれて
ありがとう♡
 
 
 
 
これからも
 少しうしろで、あなたの命の欲するところを、見守っています♡
 
 
 
 
 
。・*★ー命の本質を尊重する医道ー★*・。
      ♡ー食医ママサロンー♡