鏡をみると

ニコォ♪っとする

 

9ヶ月の末っ子赤ちゃんに

 

なんだか孫を抱く

おばあちゃん!?

 

のような心地のする

芳恵ママのこのごろ。笑

末っ子の娘が

いまのわたしの年( 36歳 )になるころには

 

わたしは

72歳!!

 

本当のおばあちゃんになる日まで

元気で4人の子どもたちの健やかさを支えながら

 

 

3人の娘たちが

いつかママになるときまで

 

産前産後のすこやかさを守り

子どもたちが

それぞれにその家族のすこやかさを守ってゆけるように

 

食医ママメソッドを洗練させ

つぎにママになる世代の娘たちへ手渡してゆきたい。

 

 

ニコニコ

孫を抱っこできる

元気なおばあちゃんになっていきたいな

と、思いを馳せつつ。

 

 

 

 

 

★★・‥…―━━━―…・・…―━―★★

 

 

 

今年

 

 

わたしの大切な、最愛の

100歳になったおばあちゃんが

 

 

わたしの産後すぐ

 

2月の末に

眠るように息をひきとった。

 

 

 

 

大好きなおばあちゃんが

いなくなったこの世界は急に

 

わたしの心を空っぽにして

ちがう世界の風が

いまでも自分に吹き続けている。

 

 

 

わたしのおばあちゃんが

眠るように安らかに

還っていったいっぽうで

 

 

今年の初夏ごろには

主人のおじいちゃんが

87歳で亡くなられた。

 

 

 

すごくお元気で

明るく朗らかなおじいちゃんでいらっしゃり

 

87歳でもトライアスロンをするほど

お元気だった。

 

 

ある日

病院にかかったことで

そのまま入院という流れになり

 

そこから急に、容態が悪化したとのことだった。

 

たくさんのクスリや

チューブにつながれて

 

最後には

全身がパンパンにふくれて

( 水分が代謝されずに激しいむくみとなり )

苦しみながら亡くなられていったのだそう。

 

 

最愛の自分の父や母が

苦しみながら亡くなる、ということが、どれほど遺族にとっても

耐えきれない辛さか。

 

 

 

 

 

私は

赤ちゃんを産む、という

 

人が生まれることの瞬間にも

 

医療の介入がほんとうに必要ではない限り

 

メスのない

クスリのない

他人主体ではない

 

 

自分主体の

 

自宅出産

助産院出産

 

という

命そのものの力を尊重した

本来の在り方を選び

 

ほんとうに満たされることができた。

 

 

生まれるときも

死ぬときも

 

 

メスのない

クスリのない

他人主体ではない

 

 

 

最愛のひと、自分の命の最期を

尊重したい。

 

 

 

 

 

北海道の夕張市では

実際にこんなことがあった。

 

 

夕張市では、市の財政が破綻してしまったことで

市立病院がすべて無くなってしまった。

 

 

街から救急病院が消えてしまい

 

高齢化率が45%という夕張市では

これから悲惨な現実が待ち受けているかと、誰もが思っていた。

 

ところがなんと

結果はその真逆で

 

死亡率、医療費、救急車の搬送回数

全てが下がったのでした。

 

「病院がないほうが死亡率が下がる」

という夕張市のこの現象は

 

実は夕張市だけに起こった特別な結果ではなく

世界中で同じような事例がたくさん起きている。

 

 

この夕張市立診療所で院長を勤めた

森田洋之氏の動画がこちら。

 

 

 

 

 

メメントモリ

( イタリアの諺で、死をわすれるな。 )

 

 

 

あの日から

 

自分にとっての死が

自分のこととして

感じられるようになり。

 

 

 

 

いま

目の前にいる

 

大事な4人の子どもたちの命を

守りながら

この生を、健やかに全うしていきたいという思いが

改めて強まり

 

この道で( 食医ママの道で )合っているよ、と

内なる自分の声が聞こえてくる。

 

 

 

タイムリミットのある

こちらの世界のなかで

やり残すことの無いよう

 

 

心をこめて

 

今を

 

愛する家族のために

生きていきたい。

 

 

 

 

 

今年の初夏ごろ

( 芳恵ママ、産後4ヶ月ごろ )

 

子どもたちとお散歩していた

 

主人の実家のそばにある

外国人墓地。

この向こうに

たくさんの、外国人の墓石が広がり。

 

 

 

ふと

入り口の門のところに刻まれていた

こんな詩と出会った。

 

 

『 美人の栄華  富豪の驕奢
熟づれか無常の風に逢はさらん
栄光の路 向ふ所は墳墓のみ  』
 
トーマス・グレー

 

 

『 And all that beauty、 all that wealth e’er gave,
Awaits alike th’ inevitable hour:
The paths of glory lead but to the Grave. 』
 
Thomas Gray 1716-1777



 

 

18世紀のイングランドの詩人トーマス・グレーが

 

 

この墓地をまえに感じた思いをいま

300年後のいま

 

私も同じく

この場所で

 

時を超えて

わが子たちとともに

わかちあう。

 

 

 

 

美人が、どんなにその美しさを誇ろうと

富豪が、どんなにその富で豪遊しようとも

 

この生命が向かう先は

最後には、みな同じ

 

この墳墓なのだ。

 

 

と。

 

 

 

 

 

なにひとつ

同じ姿のまま

とどまり続けるものはなく

 

 

最後が必ずある

「 今 」を生かされているなかで

 

 

天からいただいている

この「 時間 」の一瞬、一瞬を

 

 

自分の命を尊重した

最期の日を迎えることをゴールに

 

 

 

ほんとうに

心から好きなことを大切に

愛するものを、愛しきり

 

体験したいことのすべてを

体験し

 

 

命の悦びのなかで

 

さいごまで

シンプルに

心豊かに

 

この生を、全うしていきたい。

 


 

今日も

 すべてのママと子どもたちが

  元気いっぱい、笑顔いっぱいでありますようにー☆*・。

 

 

 

 

。・*☆―命の本質を尊重する医道―☆*・。

♡―食医ママサロン―♡