皆さん、こんにちわ。ヒデクラです。

 今回も、メインテーマの「日本の企業に問う!」はちょっと横において置いて、早速、昨日に続き、[番外編:その3]です!

 

 今回の[番外編:その3]も、すごく面白いですよ。特にPCマニアの方には(笑)!

 

 前回は、12.の高校生になって、NECの「TK-80」を手に入れたところまででしたね。あと、前回文字数制限で、最後の肝心のところを掛けませんでした。すみません!

 

 では、今回はその続きです。

 

13. でも、その後、NEC以外にも、東芝や日立のような大手家電企業も、NECのTK-80のようなコンピュータキットを数多く出しましたが、あまりこれらは売れなかったのでは、との記憶があります。(私自身も、TK-80を超える同様のキットは他になかったと思います。) 

しかし、一つの例外は、海外です! 会社名は忘れましたが、その頃のTK-80よりも数段立派な(価格も立派な(笑))個人用のコンピュータキット(ケースに入った完成品も)をいくつか販売している会社が海外にありました!

私が大学当時、その頃のアマチュア無線の専門雑誌にも掲載されており、私も欲しかったですが、メチャクチャ高く、全く手も足もでませんでした。

しかし、その後、私が大学生になった頃に、安価なPCが海外で発売され、日本にも入ってきました! それが、これもまた知る人ぞ知る、あの有名な3社のPCです。 

(1) アップル社の Apple II

  高級品PC、良く同じ高級品のJBLのスピーカー、マッキントッシュのアンプと当時比較されていました!

 で、その後、アップル社はマッキントッシュという名のPCも出したのかな? 今から思えば(笑))

(2) タンディラジオシャック社の、TRS-80

   これが3社の中では、一番安く、私の大学の友人は早々とこれを買って、その頃はやりのBASIC(ベーシック)という言語で、プログラムをしてゲーム等を楽しんでいました。

(3)コモドール社の、PET

これは他の2社と異なり、Z80という、8080とは少し違ったCPUを搭載したPCでディスプレイとも一体になっており、価格もAPPLE IIに比べてもずっと手ごろでした。

 

14.その後、大学に入ってから、もっとコンピュータとの関わりも多くなってきました。

その頃、今は無き、あのコンピュータ専門誌のさきがけの雑誌「ASCII」(アスキー)が発売されていました。また、大学内で、私がコンピュータ好きの友人と新規に設立しました、コンピュータサイエンスクラブ(略称、CSCです。名前は、かっこいいですが、要はPCに興味がある好き者の集まりでした(笑))のメンバーも、その「ASCII」を良く買っていましたね。

(その「ASCII」に部員が投稿して掲載されたことも過去ありました。なつかしいです。)

 そして、遂に、私も皆さんあこがれの高級機「APPLE II」を遂に手に入れたのです!

 その頃、数年でパソコンの普及も進み、そのAPPLE IINECのトレーニングキットとは比べものにならない程の立派な完成度で、その当時では快挙とも言える、I/F(インターフェースの略です。[第2回目]でも、出てきましたが、ここでは、入出力のI/O(インプット、アウトプットも略です。因みにその頃、「ASCII」以外にもいくつかのパソコン専門雑誌が発行されており、「I/O」と言う名の雑誌も発行されており、私も時々買っていました。)として、入力は今のパソコンのように、キーボードでもちろん入力が可能でした。また、出力も今のパソコンと同様、平たいAPPLE II本体の上に、10インチ程度の専用のカラーモニターが乗るようになっていました。

そうなのです。このAPPLE IIはその当時にしては快挙のカラーを扱える(表示できる)パソコンだったのです!(内部メモリーも少なく性能もまだまだで、その当時に、はやっていた「スタートレック」のゲームがAPPLE IIでできる、これをやるためにAPPLE IIを買う、と言う人もいました! 今の時代では、子供も見向きもしないようなシンプルな、その「スタートレック」のゲームをAPPLE IIでやって楽しんでいました。

また、プログラムの入力I/Fも、発売当社は、内部メモリへの保存しか出来なくて、毎回、キーボードからの手入力、あるいは、その当時カセットテープにゲーム等のログラムが入って売っていたのを、遅い転送レートで、オーディオI/Fから読み込ませるしかありませんでした。

技術の進歩は、その当時も早く、そのすぐ後には、FD(フロッピーディスク)I/Fがサポートされ、その当時大型コンピュータでも良く使われていたFDより少し小さめのミニフロッピードライブがサポートされたのです!

これにより、毎回プログラムを入力すること無しに、そのFDに保存できるのです。格段の進歩です。

(私は、初代の機種から少し後になって安くなってから、特価で買いそろえましたが、それでも50万円以上したと思います。性能的には、今のスマホにも及びませんが(笑)。)

因みに、そのAPPLE IIは、会社生活数年後に、譲って貰いたいというパソコンマニアがおり、いくらか忘れましたが譲ってしまい、今は私の手元にはありません。

(その後も、そのAPPLE IIは元気で動いているのかどうか不詳です。もう、30年以上も前のはなしですので。)

 

15.今の若い皆さんは、アップル社といえば、スマホで有名な会社、PCと言えば、せいぜいマッキントッシュくらいしかご存じないのではないでしょうか?

よって、APPLE II(アップル2)を知っている人、持っている人は、かなり前からのパソコン通だと思います。

因みに、以前ロンドン駐在中に、市内の歴史博物館に行ったときに、昔の家電品等が展示されていたところに、何と、そのAPPLE IIが展示されていました!

  

 PCの話で長くなり、いつものようにまた文字数オーバーエラーになりましたので、この続きは、次回とします!
 

次回は番外編の最後とし、私がどうして英語と深く関わるようになり、それがどうして海外留学につながったのかを最後に書くことにします。

よって、次回にて、今回の一連の【番外編】を終えて、通常の【ヒデクラの真の戯言】新シリーズ「日本の企業に問う!」【第3回目】に戻すこととします!

 

 Take care and study hard. See you soon!

ヒデクラでした。