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100日後に死ぬワニ。

 
3月20日は
ワニ君の100日目。
 
誰にでも優しく
親切で、毎日を生き生きと
楽しく笑いながら
過ごしていたワニ君。
 
そのワニ君が
100日目。
フッと消えてしまう。
死んだのか
死んでないのか
わからないような終わり方に
思いがけず議論が起こりました。
 
思えば
この日
志村さんの
命がけの闘いが
静かに
始まっていたのです。
 
いつまでも
当たり前のように
私達を笑わせてくれると
思っていたのに。
 
身も心も
お笑いに捧げた
孤高の天才の名のままに
その最期はあまりに
切ないお別れになりました。
 
人づてに聞かされる
切迫した状況の中で
見舞い励ますことも許されず。
一人逝った後でさえ
旅立ちの身支度を
させてあげることも叶わず。
ただ、言われるままに
渡された
小さな箱を
抱きしめることしか
出来なかった
ご家族の方の
無念さはご心痛は
本当に計り知れません。
 
人は励まされ
笑わせてもらった分だけ
惜別の涙を流します。
 
いまはまだ
たくさんの人が
気がつかないフリをして
現実から目を逸らし
心の底が
抜けてしまわないように
心に蓋をしているような
気がします。
 
風天の寅さん
みたいに
どこか遠く
旅に出ていると
思いたい。
 
人間そのものの
可笑しみを
そっと掬いあげ
誰も傷つけることなく
みんなを笑顔にしたり
動物達のありのままの
愛おしさを
そっと掬いあげ
動物達の心さえも
和ませて見せた人。
 
家族でも
親戚でもないのに
心の中
いつもおんなじ
場所にいて
思い出すだけで
笑顔になれる
なんとも言えない
優しさと可笑しみと
安心感をくれた人。
 
ああ、それは
まるで
志村さんが
大切にしていた
彼らそのもの。
 
だから、みんなが
大好きだった。
だから、みんなに
愛されたのに。
 
それなのに。
それなのにね。
 
想像してみて下さい。
 
コロナの最期は
いろんな機械に繋がれて
宇宙の果てで
たった一人に
されたような世界です。
 
壁一枚が驚くほど遠く
誰にも会えず
触れてもらうことも叶わず
孤独で寂しく
水に溺れているような
苦しさが続く。
 
命の瀬戸際は
あまりに
さり気なくやって来て
その顛末を
一番信じられないのは
誰あろう
ご本人だったと思うのです。
 
落ち度の
ある無しでなく
これは
誰にでも
起こり得ること。
 
ワニ君は
いつかは死ぬと
知ってはいても
100日後に死ぬと
思っては
いませんでした。
 
志村さんもきっと
そうだったに違いない。
 
ワニ君が
私達に投げかけた問いを
志村さんが
私達に鳴らした警鐘を
どう受け止めて行くか。
 
また明日。
 
それが、奇跡に
ならないように。
 
一人一人が
生き抜くための
最善を尽くして下さい。
 
志村けんさんへの
哀悼の意を込めて
拡散希望。