A Challenge To Fate

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【実録】REAL MODERN MUSIC Talk Show Part1 〜モダーンミュージック開業からPSFまで〜

2020年02月18日 00時24分52秒 | 素晴らしき変態音楽


REAL MODERN MUSIC Talk Show Part1
〜モダーンミュージック開業からPSFまで〜

2020年2月16日(日) 12:00〜
東高円寺UFO CLUB Charge:¥1000+D

司会進行:宇田川岳夫 (フリンジカルチャー)

松谷健 (キャプテン・トリップ・レコーズ/ミュージシャン)
石原洋 (サウンドプロデュサー/ミュージシャン)
小山雅徳 (ムジカロコムンド/バミューダ・トライアングル)
高桑聡郎 (web/グラフィックデザイナー)

輸入レコードショップ・モダーンミュージックの80年代
初期モダーンミュージックのスタッフだった小山、松谷、石原の三氏に初代スタッフだった高桑氏を迎え、若かりし日の生悦住英夫が創業した、ニューウェイブ、ノイズをはじめとする80年代の先端音楽の中継地点モダーンミュージックの草創期を語る(宇田川 岳夫)

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雨の日だったが昼間のUFO CLUBはほぼ満員の盛況ぶり。当時お客として訪れていた人から、名前しか知らない若者まで、是ほど多くの人の関心を集めるモダーンミュージックの黎明期の話を聞ける機会は初めて。公開できないマル秘話も多く、会場は時に笑いも起こった。80年代半ばからモダーンに通っていた筆者にとっては、お店の内情が興味深かったのと共に、ずっと客として通い詰めていた司会の宇田川氏はもちろん、当時の店員四人のレコード愛を強く感じて嬉しかった。モダーン以外のレコード店の話題も面白かった。ここには筆者の箇条書きのメモを元にトークの内容の一部を掲載した。図版は宇田川岳夫氏作成のプレゼンスライドを提供いただいた。

●モダーンミュージックの軌跡
1980年9月開業
1980年前半 レコード店黎明期
1984年 P.S.F Records設立
1992年 雑誌G-Modern創刊
2014年3月 実店舗営業終了
2017年2月27日 生悦住英夫氏逝去



●高桑聡郎:80〜82年
学生時代ヴァージン・ファンクラブの会長で、下北沢・五番街でフィルム・コンサートをやっていて、店員だった生悦住氏を知っていた。青山学院大学の同期の桜井氏に「面白そうなレコード屋が明大前にできた」と誘われてMMを訪れたら生悦住氏がいたので驚いた。桜井氏は初代バイトになり、次に高桑氏もバイトを始めた。初期の在庫は6割プログレ。国内盤の王道プログレや生悦住氏の個人所有のローリング・ストーンズのブートレッグも多数売っていた。

レコードバッグ、初代は無地だったが、生悦住氏がつまらないので何とかしたいと言うので、高桑氏がたまたま近くにあったニコのLPジャケットをコピーして切り抜いて貼ったら「いいじゃない」と採用。2時間後に入稿した。高桑氏の初デザインとのこと。初期の雑誌の広告、文字はフジヤマ渡辺氏だが、デザインは高桑氏。ただし『ロック・マガジン』の広告はテイストが異なり、高桑氏のデザインではないと思われる。
初期はアパレル系の客も多かった。ヨーガンレールのデザイナーなど。
82年頃からニューウェイヴ系の取り扱いが増えた。



●小山雅徳:82~84年
高校時代に吉祥寺ジョージ~レコード舎でアルバイトしていた。ニューウェイヴ目当てでモダーンを訪店。Joy Division、New Orderなどを買った思い出。入店した頃から、小山氏は次第にニューウェイヴよりサイケが好きになった。
小山氏とプログレマニアのヌメロ上野(上野信吾)氏の2人体制、のちに西村茂樹氏(元THE LOOSE、ラウド・マシーン)が入店。
85年ころ渋谷Disk Port西武(のちのWAVE)が出来て、特に4ADのジャケットなどニューウェイヴはオシャレなイメージになっていった。



●松谷健:85年~
プログレ廃盤専門店だった下北沢エジソンの店員。お茶の水エジソンで新譜担当。新宿エジソンには行かず退職。
客として以前からモダーンに出入りしていた。自主制作カセットを販売したりもしていた。あるとき生悦住氏から誘われて、バンド活動と並行して店員として働き始める。
85年以降同時代の音楽がつまらなくなり、60年代の音楽を掘るようになった。PsychoやEvaなどの再発レーベルの隆盛と同時期。
ベーシックなものを知らないで面白いものに先にいっちゃう時代だった。ピンク・フロイドを聴かないで北欧のレア・サイケを聴くような客が多かった。



●石原洋:86年〜
83年くらいからサイケ再発レーベルにハマる。下北沢のロックバー「マキシ」のオーナーに進められてモダーンに来店。
86年に生悦住氏から買付に行ってくれないかと頼まれてロンドン~ドイツに買付旅行に。ロンドンは何もなかったが、ドイツでPilz/Ohrをはじめとするレア盤を多数買い付けし、帰国したらバイトやらない?と誘われ店員になった。

高桑氏や小山氏は学生のバイトだったが、松谷・石原氏は社会人。バンドだけでは食えないからモダーンでバイトしていた。そのため長期間店員をしていて、80年代後半からノイズとサイケ中心のカオス状態になっていった。



●モダーン・ミュージック 3大サイケアーティスト
ピーター・アイヴァース Peter Ivers
ティム・バックレー Tim Buckley
タイニー・ティム Tiny Tim

他に
Yahowha 13
David Peel
Jandek(本人の父親から直接購入していた)
Shaggs
Silent Records (Sweden)
Plasticland (80’sサイケリバイバルで生悦住氏の一押し)



●モダーン&生悦住氏にまつわるエピソード
開店当時から客を選別していた。いち早くコピー機を導入したので、明治大学の学生が試験時期になるとコピーを取りに来た。一緒に来た女の子がレコードを見はじめると、生悦住氏は追い出すためにメルツバウやメタル・マシーン・ミュージックを大音量で流した。すぐかけられるようにカセットテープを用意していた。

モダーン開店の前は東宝レコードのアンテナショップだった模様。そのため東宝レコードの四人囃子のLP多数在庫があった。カウンター奥の窓のない小部屋に在庫多数有り。トイレもあったが荷物で入れない状態。トイレの窓から泥棒が入り盗難事件も起こった。犯人が転売しようとして発覚、全部回収出来た。

隣のパーマ屋「寺田美容室」のママがジャックスの水橋春夫氏の親戚だった。モダーンに貼ってあったジャックスのポスターを見て「(早川)義夫ちゃんのレコード!」と喜び、自分の持っていた(買わされた)レコード売ってくれた。

現在レア盤の自主制作LP『ジャックス・ライヴ』を売りに来た人がいて高く買ったら、次の日ダンボール1箱分持ってきた。LP制作関係者だった模様。最初は高く売っていたが最後は3500円で売っていた。



生悦住氏はローリング・ストーンズやブルース・スプリングスティーンも好きだったが、店に置くと他のロックも置かなければならなくなって普通の店になってしまうからと言って避けていた。

80年代半ばから日本のインディーズの売り込みが多かったが、生悦住氏は気に入らないものは断固として断った。ハードコアバンド、チフスの売り込みを断り、怒る強面のパンクスになぜダメか理由を得々と説明し納得させた。宮部知彦、阿木譲(ヴァニティ)、佐藤隆史(ピナコテカ)、大竹伸朗(19 Juke)、地引雄一(テレグラフ)などインディーズ・レーベル関係者が出入りしていた。モダーンに置かれることがある意味でステータスだったのかもしれない。

他にも黒沢進(GS研究家)、根本敬・湯浅学(幻の名盤解放同盟)など一癖ある客がいた。
ユニークなお客さんの話は多数有り。○○○連れで来るノイズ・オンリーの客、メロトロンが入っているレコードを全部買う外国人客など。
ニール・ヒル(SPK)、パスカル・コムラード、忌野清志郎など、有名ミュージシャンも多数。



●モダーン・ミュージックとは?
当時の東京で「ロック・マガジン」に載ってるレコードを買えるのはモダーンだけだった(松谷)

生悦住氏が最終的にOKを出すが、バイトが仕入れたいものは自由に入れてくれた。その時々のバイトの趣味が反映された品揃えだった(小山)

当時はネットも配信もなく、好きな曲を聴くにはレコード店の店員になるしかなかった。得意分野のある店員が集まった(石原)

「モダーン塾」というか、学校みたいな存在。生悦住氏がいい音楽はなぜいいか、良くないものは何故良くないかじっくり説明してくれた(高桑)

お客も一緒にライヴやプロレス(アントニオ猪木ファン)、落語に連れて行ってくれた。

PSF第1弾HIGH RISE 1st LPに貼ってあった生悦住英夫氏のコメント:
「Blue Cheer, MC5, ガセネタ、SPK、全て好きな人のみお勧め。それ以外の人は聴かないでください

モダーンの
四方山話
無尽蔵

PSF設立以降の話は次回のお楽しみにしておこう。

【宇田川岳夫氏も出演。モダーンミュージックの精神を継承するDJ+LIVEイベント】


盤魔殿 Disque Daemonium 圓盤を廻す會 Vol.33
Anniversaire de l'empereur de Hérésie 異端音楽天皇誕生日


2020年2月24日 (月・振替休日) 渋谷 DJ Bar EdgeEnd
18:00 open/start  ¥1,000 incl. 1drink

Special Live Act:
Mojo Beatnik(from Hakata・投げ銭制)
DJ Necronomicon a.k.a. 剛田武+ DJ Ipetam a.k.a. Rie fukuda

盤魔殿DJ All Stars:
DJ Vaby a.k.a. 大場弘規
DJ BEKATAROU a.k.a. 伊藤元
DJ Bothis a.k.a. 山田遼
DJ Qliphoth a.k.a. 宇田川岳夫
DJ Athmodeus a.k.a. 持田保
DJ Paimon a.k.a. moppy

Avant-garde, Noise, Industrial, Dark Ambient, Neofolk, Punk, Hardcore, Idol, Black Metal, Middle-east, Ethnic, Ritual, Medieval, UnderGround,… Everything Weirdness About Music!

★来場者全員にZINE『盤魔殿アマルガム』プレゼント
★DJ Athmodeusによる中古書籍物販有り。G-Modern他レア本多数。

⇒詳細はこちら
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4 コメント

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追加エピソード (miro)
2020-02-18 13:56:56
ブログを書いた後で思い出した追加エピソードを載せておきます。

・輸入代理店の大阪のフェニックスからレアなものも入荷した。Cosey Fanni Tutti『Time ToTell』のカセットテープはよく売れたが、途中から初回分のブックレットが入荷しなくなったので、生悦住氏は高桑氏所有のブックレットをコピーして販売していた。

・1Fのスパゲッティ屋の名前が「とうほう」だったのは東宝レコードと関係があったからだと思われる。

・有頂天のケラ氏は高校生時代から客として来ていたので最初のうちはナゴム・レコードも置いていたが、ブームになると置かなくなった。

・Die Krupps の1stアルバム『Stahlwerksynfonie』を生悦住氏が「33回転でも45回転でも聴ける」と言って客に聴かせていた。すると「本当だ!」と驚いて買っていった。

・松谷氏と石原氏の出会い:小山氏店員時代に、松谷氏がCome OrganizationのLPをたくさん売りに来た。たまたま居合わせた石原氏がそれを見て驚喜。お互いバンドもやっていて意気投合、交流が始まる。87年ホワイトヘヴン、マーブルシープで新宿ロフトでイベント。対バンはミュータント・ビーチ・モンスター、ドラムは元フリクションのチコヒゲのもので、バスドラに「3/3」と書かれていた。それを破ったのは石原洋氏の弟の石原謙氏(ホワイトヘヴンのドラマー)。

・忌野清志郎氏はローリング・ストーンズのブートレッグ目当てで来店していた様子。

・灰野敬二氏が来店すると「寺田美容室」のママが「義夫ちゃんみたいな人が来たよ」と喜んでいた。
miro様へ (通りすがり)
2020-02-18 22:58:35
「ミュータント・ビーチ・モンスター」は「ミュータント・モンスター・ビーチ・パーティ」の間違いでは?
もしかしたら、トークゲストの方がそう言われたのかもしれませんが。
http://www.ramonesfanclubjapan.com/mania27.html
http://theboots.boy.jp/girlsbravocollection/10songs_11.html
BOYS BOYS (miro)
2020-02-18 23:14:05
通りすがりさん
ご指摘ありがとうございます。「ミュータント・モンスター・ビーチ・パーティ」の聴き間違いに違いありません。
それはそうとこの方、BOYS BOYSのVO.のKummyさんじゃありませんか!

https://blog.goo.ne.jp/googoogoo2005_01/e/899d6e676b919da27010f2611b06966c

貴重な情報ありがとうございました。もっと情報集めてみます。
miro様へ (通りすがり)
2020-02-18 23:58:31
やっぱりそうですよね!
私、このバンド一回だけ観たことあります。
その時はドノヴァンの「Sunshine Superman」のカバーなどやってました。あれはカッコよかった。

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