信の信州からの贈り物

信州で単身生活 6年、その間に魅せられた信州の大自然。そして関東周辺の自然と花々を織り交ぜて発信しています。

奈川渡ダム

2020年02月18日 | 信州紀行


お早うございます、信です。
昨日は曇り空でしたが、温かい一日でした。夜になって本降りの雨になっていましたが
一変して今朝は、快晴の空が広がっています。寝坊しました。


今日は普段、皆さんも素通りするであろう奈川渡ダムです。
2月9日の上高地の帰り、一度ゆっくり見てみたいと思って寄り道しました。

前川渡で乗鞍への道を過ぎ、親子滝を過ぎたところの梓湖です


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午後の陽光で湖面が輝いていました


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美しいエメラルドブルーの湖面でした


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さらに前進して奈川渡トンネルを過ぎて駐車場で停めました


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奈川渡ダムです


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壁側に案内板がありました 





梓湖の銘板と奈川渡ダムのバス停です


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美しい湖面でした


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今は営業していない梓川TEPCO館


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R158の地下歩道を潜ります


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反対側はこんな感じです
真下に安曇発電所が見えます


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あの山に登ってみたい気がしました
どんな眺望が広がるのだろう


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奈川渡ダム(ながわどダム)は、長野県松本市、信濃川水系犀川の上流部・梓川に建設されたダム。
高さ155メートルのアーチ式コンクリートダムで、東京電力による大規模な水力発電所開発に伴い下流の水殿(みどの)ダム・稲核(いねこき)ダムとともに完成。これらは総称して安曇3ダム、もしくは梓川3ダムと呼ばれる。ダム湖(人造湖)の名は梓湖(あずさこ)という。
(Wikiより)


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犀川は飛騨山脈(北アルプス)槍ヶ岳(標高3,180メートル)を水源とし、上高地を経て松本盆地で奈良井川ほかを合流させ長野県内を北上、長野市で千曲川(長野県内における信濃川の呼称)へ合流する一級河川である。奈良井川を合流させる手前から上流部は梓川と呼ばれ、急しゅんな地形から明治時代より水力発電所の建設が進められていた。焼岳(標高2,455メートル)の噴火によって上高地に誕生した大正池を調整池として利用した霞沢発電所(梓川電力、39,000kW)、セバ谷ダムを調整池とした湯川発電所(京浜電力、6,000kW)などが上流に建設され、現在の奈川渡ダム地点には奈川渡発電所(京浜電力、18,000kW)があり、松本市波田地区西端の竜島温泉そばには竜島発電所(京浜電力、当時20,100kW)があった。これらは発生した電力を首都圏に向けて送電しており、戦時中の日本発送電による管轄を経て、戦後の電力会社再編成によって誕生した東京電力に移行した。



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なおこのような経緯から、梓川近辺(長野県松本市の安曇地区、奈川地区)では標準周波数が60ヘルツの中部電力管内に位置する長野県内において、例外的に50ヘルツの電気が供給されている。また電気使用者は東京電力が供給した電気を受け取っているが、使用料金は中部電力に支払われており、それに応じて両会社間で料金のやりとりが行われている。




発電所が見えます
日本国内は戦後の復興を間もなくして急速な経済発展とともに電力需要は増大の一途をたどる。
特に京浜工業地帯・京葉工業地域を営業エリア内に抱える東京電力は新規電源開発が急務となり、太平洋沿岸部に火力発電所を建設、福島県では原子力発電所の建設に着手した。一方で深夜の余剰電力を利用して水をくみ上げ、貯えた水による昼間のピーク需要に即応できる設備として揚水発電所の計画を進める。群馬県、利根川の上流部にその第一号として矢木沢ダム直下に矢木沢発電所を完成させた東京電力が、第二の建設先として選んだのが梓川だった。



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1964年(昭和39年)、東京電力はダム建設地点付近に第一・第二建設所を設置し、一部の準備作業に着手。
1965年(昭和40年)には本格的着工をみせた。奈川渡ダムの建設はダム本体を鹿島建設が、発電機を三菱電機・東芝が手がけることになった。3ダム建設に必要な資材は関東地方で生産し、工事現場まで運搬するための交通網の整備が行われた。
国鉄(現東日本旅客鉄道、通称JR東日本)中央本線(中央東線)を複線化し、松本駅構内の連絡線を経由してD51が松本電気鉄道上高地線渚駅まで貨物列車を牽引して乗り入れ、渚駅からは松本電鉄の電気機関車が赤松駅(1966年10月1日に新島々駅に改称)の資材集積場まで輸送。松本電鉄はこの資材輸送に対応して、ED40形電気機関車を新造している。
当時道幅が4.5メートルしかなかった国道158号は、幅6.5メートルに拡幅された。3ダム建設工事における死傷者は合計99名。うち奈川渡ダムおよび直下の安曇発電所における死傷者はその大半を占める75名にものぼった。



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野麦峠・木曽への道です


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左手は木曽の奈川、右手は梓川


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奈川渡ダムという名称は、梓川とその支流である奈川の合流地点にある地名「奈川渡」に由来する。ダム建設の最中、東京電力がこのダムの名称を安曇ダムに決定したと新聞が報じたことで、旧奈川村住民の反発を受けた。抗議を受けた東京電力はダムの名前を「奈川渡ダム」とした。




美しい梓湖でした


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松本インターから長野道に乗って梓川SAで


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北アルプス側は丸一日荒れていました


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東側の鉢伏山


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人が疎らな梓川SAでした


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東側に登るべきだったか・・なんてことを想いました


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明日は「頑張れ!上田電鉄」です


 撮影日: 2月9日
 撮影場所:松本市安曇 奈川渡ダム・松本市島内 梓川SA


それでは皆様、ご機嫌よう。





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2 コメント

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Unknown (takayan)
2020-02-19 00:05:31
こんばんは。
ダムの周辺では全く雪がないのですね。
上高地の風景と比べると、春のような風景で少し驚きました。
例年ならこの辺りでも雪が積もっているのでしょうね。
ダム湖の名前は梓湖というのですね。
下界ではこんない青空が広がる良い天気ですが、
相変わらず北アルプスは、終日荒れ模様付だったようですね。
詳しい説明があり、興味深く読ませていただきました。
次回の撮り鉄が楽しみです。
奈川渡ダム ()
2020-02-19 05:36:33
takayan師匠>

お早うございます。
私もまったく雪が無いことに驚きました。
朝は真っ白な世界でしたが、一日で溶けてしまったようです。
いつもなら素通りする奈川渡ダムでしたが
やはり相当な国家的プロジェクトだったようです。

それにしてもこのダムが建設される前は、どうやって上高地まで行ったのか
その道程の過酷さを想像すると、気が遠くなるような気がします。
これからはこの堰堤を通るたびに、75名もの尊い命が、その人柱で出来ていることを
噛みしめながら通ることでしょう。
コメント有難うございます。

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