大乗仏教では定業は転ずることが出来ないと説く(注1)が密教では定業であれども転ずることが出来ると説く(注2)。
(注1)「仏は一切のことにみな自在を得玉へりといへども、
その中に三不能といえることあり。一には無縁の衆
生を度することあたわず。二には衆生界をつくすこと
あたわず。三には定業を転ずる事あたはず。定業と
は前世の善悪の業因によりて、感得したる善悪の業
報なり。これは仏菩薩のちからも転ずる事かなわず。
これらはみな前世の業因にこたへたる定業なり」
(『夢中問答』)
(注2)
理趣釈(大樂金剛不空眞實三昧耶經般若波羅蜜多理趣釋)に「『(以下理趣経の句)金剛手よ、若し此の四出生法を聞いて讀誦受持することあらば設使たとい現に無量重罪を行ずとも必ず能く一切惡趣を超越して乃至當に菩提道場に坐して速かに能く無上正覺を剋證すべし』とは。佛、金剛
手菩薩に告げたまひ、未來の有情の為に、此に理趣を修するの福利を聞いて、心、猶預せずして能く淨信を発して修行すれば、則ち現世の惡報及び來生の能轉の定業、疾やかに無上菩提を証する也」
(注1)「仏は一切のことにみな自在を得玉へりといへども、
その中に三不能といえることあり。一には無縁の衆
生を度することあたわず。二には衆生界をつくすこと
あたわず。三には定業を転ずる事あたはず。定業と
は前世の善悪の業因によりて、感得したる善悪の業
報なり。これは仏菩薩のちからも転ずる事かなわず。
これらはみな前世の業因にこたへたる定業なり」
(『夢中問答』)
(注2)
理趣釈(大樂金剛不空眞實三昧耶經般若波羅蜜多理趣釋)に「『(以下理趣経の句)金剛手よ、若し此の四出生法を聞いて讀誦受持することあらば設使たとい現に無量重罪を行ずとも必ず能く一切惡趣を超越して乃至當に菩提道場に坐して速かに能く無上正覺を剋證すべし』とは。佛、金剛
手菩薩に告げたまひ、未來の有情の為に、此に理趣を修するの福利を聞いて、心、猶預せずして能く淨信を発して修行すれば、則ち現世の惡報及び來生の能轉の定業、疾やかに無上菩提を証する也」