福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

仏教大原理(釈雲照)・・27

2022-09-27 | 法話

Q、十念も十善戒も同じく往生の素懐を遂げ得るということならば殊更にこの十善戒を主張する意味はなにか?

A,念仏門の十念は十悪を制せず、品行を問わず、ただ阿弥陀仏の本願に任すというもの。こちらの十善戒はまず品行を正し、十悪を制し、よく彼岸に到達るというもの。・・昔は戦乱のため品行戒行を問うに暇あらず。その故に臨終正念・十念相続を説いた、しかし平時に於いては万国競って品行道徳を仰ぐ。しかるに今の仏者は無知無行の者多く、国と獅蟲の類にして(獅子身中の虫が獅子の肉を食べるように、僧侶が国を亡ぼす)遂に仏教をして・・文明の民を欺き文明の国を益する者にあらずといいて、之を侮蔑するに至る。このときにあたりて我が仏教徒は十善を守り品行を整粛にし、文明社会を助け冥には(死後は)往生の素懐を遂げん。

この十善を否定する者は人道を壊乱するものにして撥無因果・誹謗正法の罪(因果を否定し仏法を非難する罪)を招き、かって阿弥陀・諸仏の本誓に違背して、しかして仏の摂取をのがれて自ら一闡提の中に入り好んで暗黒中に陥るものというべし。かくのごときの誹謗正法、邪見因果の有情は諸仏も救いたまふこと能わず。是を「仏力、業力に勝たず」といふ(注1)
もしこの十善を信受奉行してますます進んで止まざるときは己身の三業が如来の三密と相応して(自分の身口意が仏の身口意と一致して)娑婆即寂光土にして、唯心の弥陀を拝し、己身即密厳仏国にして蓮華の華が足下に現出する。
而して今勧奨するところは念仏の功徳を嫌うにあらず。戒力(十善戒)と法力(十念)と彼此相助くる時はすなわち順流れに楫棹を加えるようなもの。(十善戒と念仏は相乗効果である)。

注1)沙石集に「東塔の北谷に、貧しき僧ありけり。日吉へ百日参詣して、祈り申しけるに、「あひはからふべし」と仰せある示現を蒙りて、悦び思ひて過ぐすほどに、いささかのことによりて、年来の房主に追ひ出だされて、寄る方もなかりけるままに、西塔の南谷なる房に同宿してけり。示現蒙りて後は、ものを待つ心地にてありけるに、させることなきのみにあらず、房主にも追ひ出だされぬ。面目なく思えて、また参籠して祈請申すほどに、示現に蒙りけるは、「先業つたなくして、いかにも福分なきゆゑに、東塔の北谷は寒き房なれば、西塔の南谷の暖かなる房へやりたるなり。これこそ、小袖一つの恩と思ひはからひたれ。このほかの福分、わが力の及ぶべきにあらず」と示し給ひける上は、思ひ切りて祈り申さず。
先業の決定して、逃れがたきは、仏神の御力もかなはず。されば、「神力、業力に勝たず」と言へり。



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