福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

大般涅槃経長壽品第四

2023-11-14 | 諸経

大般涅槃経長壽品第四

・「一切人中、天上地及び虚空の壽命大河は悉く如來の壽命海中に入る。是の故に如來の壽命は無量なり」、といい、「破戒壞正法の者を有るを見れば即ち應に驅遣呵責擧處すべし。若し善比丘、壞法者を見て、置きて驅遣呵責擧處せざれば、當に知るべし、是の人は佛法中の怨なり。若し能く驅遣呵責擧處せば、是れ我弟子眞の聲聞也」ともいい破法者には武力を用いよという。)

 

佛、復た諸比丘に告げたまはく「汝、戒律において所疑あらば今汝が問を恣にせよ。我れ當に解説して汝が心をして喜しむべし。我已に一切諸法本性空寂を修學し明了に通達す。汝等比丘、謂ふ莫れ、如來は唯だ諸法の本性空寂を修す、と」。復た比丘に告げたまはく「若し戒律において所疑あらば今悉く問ふべし」と。時に諸比丘は佛に白して言さく「世尊よ、我等、能く如來應供正遍知に問ふ智慧あることなし。所以者何。如來の境界は不可思議なり。あらゆる諸定は不可思議なり。演ぶる所の教誨は不可思議なり。是の故に我等、能く如來に問ふ智慧あることなし。世尊よ、譬へば老人の年百二十なる、身は長病に嬰かかりて床席に寢臥し起居する能はず氣力虚劣にして餘命幾いくばくも無きが如し。一富人あり、縁事に行かんと欲し當に他方に至るべきに、百斤の金を以て彼の老人に寄せて、是の言を作さく「我今他行す、是の寶物を以て持用して相寄す。或は十年を經、或は二十年、事畢りて當に還還時に我に歸せ」と。是の老病人、即便ち之を受く。而も此の老人、復た繼嗣無し。其の後、久しからずして病篤命終し、所寄之物悉く皆な散失す。財主、行より還りて求索するに所無し。

如是の癡人は所寄の可否を籌量することを知らず。是の故に行より還りて求索するに所無し。是の因縁を以て財寶を喪失す。世尊よ、我等聲聞も亦復た如是なり。如來の慇懃の教戒を聞くと雖も受持して久住を得しむること能ず。彼の老人の他の寄付を受るが如し。我今無智なり。諸戒律において當に何の問ふべき所ぞ」。佛告比丘「汝等今者、若し我に問はば、則ち能く一切衆生を利益せん。是の故に汝に告ぐ。諸有の疑網、恣に所問に随へ、と」。時に諸比丘白佛言「世尊。譬へば人ありて年二十五、盛壯端正、多く財寶金銀琉璃有り、父母妻子眷屬宗親悉く皆な具存す。時に人有り、來りて其に寶物を寄せ、其の人に語りて言く「我、縁事あり、他處に至んと欲す。事訖りて當に還るべし。還時に我に歸せ」と。是の時、壯夫は是物を守護すること自己の有の如くす。其人、病に遇ひ即ち家屬に命ず。如是の金寶、是れ他の寄する所なり。彼れ若し來り索めば悉く皆な之を還せ、と。智者は如是に善く籌量(ちゅうりょう・ものごとのよしあし)を知る。行より還りて物を索むるに皆な悉く之を得て亡失する所なきが如し。世尊も亦た爾なり。若し法寶を以て、阿難及諸比丘に付囑せば、久住を得ず。何以故、一切聲聞及び大迦葉は悉く當に無常なり。彼の老人の他の寄物を受くるが如し。是の故に應に無上の佛法を以て諸菩薩に付すべし。善能く問答して如是の法寶、則ち久住なるを得て、無量千世に増益熾盛、衆生を利安すること彼の壯人の他の寄物を受くるが如し。是の義を以ての故に、諸大菩薩乃ち能く問はん耳。我等の智慧は猶ほ蚊蜹の如し。何ぞ能く如來の深法を諮請せんや」。時に諸聲聞は默然として住す。爾時、佛、諸比丘を讃じて言く「善哉善哉。汝等善く無漏之心・阿羅漢心を得たり。我れ亦た曾って念ず。此の二縁を以て應に大乘を以て諸菩薩に付して是の妙法をして久しく世に住せしむべし」。

爾時、佛、一切大衆に告げたまはく「善男子善女人。我之壽命は不可稱量なり。樂説之辯も亦た不可盡なり。汝等宜しく意に隨ひて若しは戒、若しは歸を諮問すべし。第二第三も亦復た如是なり」。

爾時、衆中に一童子菩薩摩訶薩あり。是れ、多羅聚落の婆羅門種なり。姓は大迦葉、佛の神力を以て即從に座より起ちて、偏袒右肩遶百千匝し、右膝著地合掌向佛して白佛言「世尊。我、今者、少しく諮問せんと欲す。若し佛、聽したまはば乃ち敢て發言せん」。佛、迦葉に告げたまはく「如來・應供・正遍知、                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             恣に汝所問すべし。當に汝の為に説きて汝の所疑を斷じて汝をして歡喜せしめん。」

爾時、迦葉菩薩は復た佛に白して言さく「世尊よ、如來哀愍して已に聽許を垂る。今當に之を問ふべし。然るに我、所有の智慧微少にして猶ほ蚊蚋の如し。如來世尊、道徳巍巍として純もっぱら栴檀・師子の難伏不可壞の衆を以て眷屬と為す。如來之身は猶ほ眞金剛の如し。色は琉璃の如く眞實にして壞し難し。復た如是の大智慧海の圍遶する所なり。是の衆會中の諸大菩薩摩訶薩等、皆な悉く無量無邊深妙功徳を成就す。猶し香象の如し。如是等の大衆之前に於いて豈に敢へて發問せんや。當に佛神通之力を承け、及び大衆の善根威徳に因りて少しく發問すべき耳」。即ち佛前に於いて偈を以て問ふて曰く

   云何んが長壽・金剛不壞身を得、

    復た何の因縁を以て大堅固力を得るや。

    云何んが此の經に於いて究竟して彼岸に到るや、

    願くは佛、微密を開き 廣く衆生の為に説きたまへ。

    云何んが廣大、衆の為に依止となり

    實は阿羅漢に非ずして 量は羅漢と等しきことを得るや。

    云何んが天魔の衆の為に留難を作すを知るや。

    如來波旬の説、 云何んが分別して知りたまはん。

    云何んが諸調御、 心喜眞諦を説きたまふや。

    正善、具さに成就して四顛倒を演説したまふ。

    云何んが善業を作したまふ。 大仙、今當に説きたまへ。

    云何んが諸菩薩、 能く見難きの性を見るや、

    云何んが滿字及與び半字の義を解すや、

    云何んが共聖行、 娑羅迦隣提、

云何んが日月、 太白および歳星の如きや、

    云何んが未發心を 而も名けて菩薩と為すや。

    云何んが大衆に於いて無所畏を得ること猶し閻浮金のごとく能く其過を説くことなきや。

    云何んが濁世に處して 汚れざること蓮華の如くなるや。

    云何んが煩惱に處して 煩惱染むること能はざるや。

醫の衆病を療して病に汚されざるが如くなるや。

    生死の大海中に 云何んが船師となるや。

    云何んが生死を捨つること 蛇の故皮を脱するが如くなるや。

    云何んが三寶を觀じて猶ほ天意樹の如くなるや。

    三乘、若しは無性、 云何んが説くことを得るや

    猶ほし樂未生の如く 云何んが受樂と名くや。

    云何んが諸菩薩は不壞衆を得るや。

    云何んが生盲の為に 而も眼目導と作るや。

    云何んが多頭を示すや、 唯だ願くは大仙、説きたまへ。

    云何んが説法者は 増長すること月初の如きや。

    云何んが復た示現して 涅槃を究竟するや。

    云何んが勇進者は 人天魔道を示すや。

    云何んが法性を知り 而も法樂を受くるや。

    云何んが諸菩薩は一切の病を遠離するや。

    云何んが衆生の為に 秘密を演説するや。

    云何んが畢竟及び不畢竟を説くや。

    如し其れ疑網を斷ぜば 云何んが定説せざるや。

    云何んが而も最勝無上道に近ずくことを得るや。

    我今如來を請ず、諸菩薩の為の故に

    願くは爲に甚深微妙の諸行等を説きたまへ。

    一切諸法中に 悉く安樂の性あり。

唯だ願くは大仙尊、 我が為に分別して説きたまへ。

    衆生の大依止、 兩足尊妙藥、

    今、諸陰を問はんと欲すれども 而も我智慧無し。

    精進の諸菩薩も 亦復た如是等の甚深、諸佛之境界を知ること能はじ。

 

爾時佛、迦葉菩薩を讃じたまはく「善哉善哉。善男子。汝今、未だ一切種智を得ざるも、我已に之を得たり。然るに汝所問の甚深密義は一切智の問の如く、等しうして異あることなし。善男子、我、道場の菩提樹下に坐して初て正覺を成ず。爾時、無量阿僧祇恒河沙等の諸佛世界に諸菩薩あり。亦た曾って我に是の甚深義を問ふ、然るに其の所問の句義功徳も亦た

皆な如是に等しうして異あることなし。如是に問はば則ち能く無量の衆生を利益す」。爾時迦葉菩薩復た白佛言「世尊よ、我が智力の能く如來の如是の深義を問ふこと無きこと、世尊よ、譬へば蚊蚋の大海彼岸に飛過し、虚空に周偏する能はざるが如し。我亦た如是なり。如來に如是の智慧の大海法性虚空甚深之義を諮問すること能はず。世尊よ、譬へば、國王、髻中の明珠を典藏臣に付するに、藏臣は得已りて頂戴恭敬し増加守護せん。我れ亦た如是なり。如來所説の方等深義を頂戴恭敬増加守護す。何以故。我をして廣く深智慧を得しめんが故なり」。爾時、佛、迦葉菩薩に告げたまはく「善男子。諦聽諦聽。當に汝が為に説くべし。如

來所得の長壽之業、菩薩は是の業因縁を以ての故に長壽を得。是の故に應當に至心に聽受すべし。若し業能く菩提の因と為らば應當に誠心に是の義を聽受し、既に聽受し已りて轉じて人の爲に説くべし。善男子。我如是の業を修習するを以ての故に、阿耨多羅三藐三菩提を得る。今ま復た人の爲に是の義を廣説す。善男子。譬へば王子の罪を犯して繋獄されんに、王甚はだ憐愍愛念するが故に、躬自みずから駕を迴して其の繋所に到るが如し。菩薩も亦た爾なり。長壽を得んと欲せば應當に一切衆生を護念して子想を同じくし、大慈大悲大喜大捨を生じ、不殺戒を授け、善法を教修すべし。亦當に一切衆生を五戒十善に安止し、復た地獄餓

鬼畜生阿修羅等の一切諸趣に入りて、是の中の苦惱の衆生を拔濟し、未脱者を脱せしめ、未度者を度し、未涅槃者をして涅槃を得しめ、一切諸の恐怖者を安慰すべし。如是等の業因

縁を以ての故に、菩薩は則ち壽命長遠を得、諸智慧に於いて而も自在を得、壽終の所に隨ひて天上に生ず」と。

爾時、迦葉菩薩復白佛言「世尊。菩薩摩訶薩、等しく衆生を視ること一子の想に同じ。是義、深隱にして我れ未だ能く解せず。世尊。如來の説きたまひし、菩薩は諸衆生に於いて平

等心を修し子想を同じうすと言ふは応ぜず。所以者何。佛法中において、破戒者、逆罪者、毀正法者あり。云何んぞ當に如是に等しき人に於いて子想を同じふすべけん耶」。

佛、迦葉に告げたまはく「如是なり如是なり。我衆生において實に子想を作すこと羅睺羅の如し」。

迦葉菩薩復白佛言「世尊。昔十五日僧、布薩の時、曾て具戒清淨衆中に一童子あり。善く身口意業を修習せず、隱屏處に在りて説戒(布薩)を盜聽す。密迹力士、佛神力を承けて金剛杵を以て之を碎くこと塵の如し。世尊。是の金剛神は極めて暴惡をなし、乃ち能く是の童子の命根を斷ず。云何んが如來、諸衆生を視ること子想を同じふして羅睺羅の如くならんや」。佛告迦葉「汝今應に如是の言を作すべからず。是の童子は即ち是れ化人なり、非眞實也。破戒毀法を驅遣して衆を出でしめんと欲するが故なり。金剛密迹も是れ化なる耳。迦葉。正法を毀謗し及び一闡提、或は殺生乃至邪見及び故犯禁あり。我、是等に於いて悉く悲心を生じ、子想を同じうすること羅睺羅の如し。善男子。譬ば國王、諸群臣等の王法を犯すあらば、罪に隨ひて誅戮して捨置せざるが如し。如來世尊は如是ならざる也。毀法者において、驅遣羯磨・呵責羯磨・置羯磨・擧罪羯磨・不可見羯磨・滅羯磨・未捨惡見羯磨を輿ふ。善男子。

如來、謗法者のために如是等の降伏羯磨を作す所以は、諸の行惡之人に果報あることを示さんと欲するが為の故なり。善男子。汝今當に知るべし。如來は即ち是れ惡の衆生に恐畏なからんことを施す者にして、若しは一光、若しは二、若しは五を放つに或は遇ふこと有ん者は悉く一切諸惡を遠離せしむ。如來は今、具さに如是の無量の勢力有り。善男子。未だ見るべからざるの法を汝は見んと欲せば、今當に汝の為に其の相貌を説くべし。我、涅槃後、其方面に随ひて持戒の比丘ありて威儀具足し正法を護持し、壞法の者を見て即ち能く驅遣呵責

糺治するあらば、當に知るべし、是の人は福を得ること無量にして稱計すべからず。善男

子。譬ば王ありて專ら暴惡を行じ、會たまたま重病に遇ふこと有らん、隣國王有り、其の名聲を聞きて兵を興して來り將に之を滅せんと欲す。是の時、病王、力勢無きが故に方に乃ち恐怖して改心し修善す。而も是の隣王は福を得ること無量なるが如し。持法の比丘も亦復た如是なり。壞法之人を驅遣呵責して善法を行ぜしめば福を得ること無量なり。善男子。

譬ば長者所居之處は田宅屋舍に諸毒樹を生ず。長者知り已りて即便ち斫伐して悉く永盡せしむるが如し。又た少壯の首に白髮を生ずれば愧て剪拔して生長せしめざるが如し。持法の比丘も亦復た如是なり。破戒壞正法の者を有るを見れば即ち應に驅遣呵責擧處すべし。若し善比丘、壞法者を見て、置きて驅遣呵責擧處せざれば、當に知るべし、是の人は佛法中の怨なり。若し能く驅遣呵責擧處せば、是れ我弟子眞の聲聞也」。

迦葉菩薩復白佛言「世尊。佛所言の如きは、則ち等しく一切衆生を視ること子想を同じうして羅睺羅の如くならず。世尊。若し一人有りて刀を以て佛を害せん。復た一人有りて栴檀を佛に塗りたてまつらん。佛、二人に於いて、若し等心を生ぜば、云何んが復た當に毀禁を治すべしと言はん。若し毀禁を治せば、是の言、則ち失せん」。

佛告迦葉「善男子。譬ば、國王・大臣・宰相、諸子を産育せんに、顏貌端正・聰明黠慧、若しは二三四、將ひて嚴師に付し。而して是言を作さく「君、我為に諸子を教詔して、威儀

禮節伎藝書數、悉く成就せしむべし。我が今の四子、君に就きて受學す。假使へ三子、杖によりて死して餘の一子あるも、必ず當に苦治して、要かならず成就せしむべし。三子を喪ふと雖も我終に恨ず」と。迦葉。是の父及び師、殺罪を得るや不や」。「不也世尊。何以故。愛念を以ての故に。成就を欲するが為にして惡心あることなし。如是の教誨、福を得ること無量なり」。「善男子。如來も亦た爾なり。壞法者を見ること、等しく一子の如し。如來今、無上正法を以て諸王大臣宰相比丘比丘尼優婆塞優婆夷に付囑す。是の諸國王及び四部衆は應當に諸學人等を勸勵して戒・定・智慧を増上するを得しむ。若し是の三品法を學ばず、懈怠破戒して正法を毀る者有らば、國王大臣四部之衆は應當に苦治すべし。善男子。是の諸國王及四部衆は當に罪ありや不や」。「不也世尊」。「善男子。是の諸國王及四部衆尚ほ罪あることなし。何ぞ況んや如來をや。善男子。如來は善く如是の平等を修し、諸衆生に於いて一子の想を同ふす。如是に修する者、是を名けて、菩薩、平等心を修し諸衆生において一子の想を同ふすと名く。善男子。菩薩、如是に此の業を修習せば便ち長壽を得、亦た能善く宿世之

事を知る」

迦葉菩薩復白佛言「世尊。佛の所説の如く、菩薩、若し平等心を修し諸衆生を視ること子想を同じくする有らば便ち長壽を得るとは、如來、如是の言を作したまふべからず。何以故。知法の人の如き、能く種種の孝順之法を説く。家中に還至せば諸瓦石を以て父母を打擲す。而も是れ父母は是れ良福田なり利益する所多し。遭ひ難く遇ひ難し。應に好く供養すべきに反て惱害を生ず。是の知法の人は言行相違す。如來の所言も亦復た如是なり。菩薩、

等心を衆生に修習して子想を同じうせば、應に長壽を得、善く宿命を知り、常に世に住して變易あることなし。今者世尊、何の因縁を以て壽命極短の人間に同じなる耶。如來、將た、諸衆生に於いて怨憎想を生ずること無きや。世尊、昔日、何の惡業を作すや。害する所幾如にして是の短壽を得て百年にみたざるや。」佛告迦葉「善男子。汝、今、何に縁りてか如來の前において是の麁言を發すや。如來の長壽は諸壽中において最上最勝なり。所得の常法は諸常中に於いて最も第一と為す。」

迦葉菩薩は復た佛に白して言さく「世尊。云何んが如來は壽無量を得たまふ」。

佛、迦葉に告げたまはく「善男子。八大河の如し。一は名けて恒河。二は名けて閻摩羅。三は名けて薩羅。四は名けて阿夷羅跋提。五は名けて摩訶。六は名けて辛頭。七は名けて博叉。八は名けて悉陀。是の八大河及び諸小河は悉く大海に入る。迦葉。如是に一切人中、天上地及び虚空の壽命大河は悉く如來の壽命海中に入る。是の故に如來の壽命は無量なり。復次に迦葉。譬へば阿耨達池の四大河を出すが如し。如來も亦た爾なり。一切の命を出す。迦葉。譬へば一切諸常法中に虚空第一なるが如し。如來も亦た爾なり。諸常中最も第一と為す。迦葉。譬へば諸藥に醍醐第一なるが如し。如來も亦た爾なり。衆生中において壽命第一なり。」

迦葉菩薩は復た佛に白して言さく「世尊。如來の壽命、若し如是ならば、應に住すること一劫、若しは減一劫にして常に妙法を宣ぶること大雨を澍ぐ如くなるべし」。「迦葉。汝今應に如來の所において滅盡の想を生ずべからず。迦葉。若し比丘比丘尼優婆塞優婆夷乃至外

道五通神仙の自在を得る者ありて、若しは住すること一劫、若しは減一劫、空中に經行し、坐臥自在なり。左脇に火を出し、右脇に水を出す。身は煙炎を出すこと猶し火聚の如し。若し壽を住とめんと欲せば能く如意なることを得る。壽命中に於いて脩短自在なり。如是の五通、尚ほ如是の隨意神力を得る。豈況んや如來、一切法に於いて自在力を得て而も當に壽を住むること半劫若しは一劫、若しは百劫、若しは百千劫、若しは無量劫なること能はざるべきや。是の義を以ての故に、當し知るべし、如來は是れ常住、法は不變易法なり。如來の此身は是れ變化身にして雜食身に非ず。衆生を度するが為に毒樹を示同す。是の故に捨てて涅槃に入るを現ず。迦葉。當に知るべし。佛は是れ常法・不變易法なり。汝等、是の第一義中において應に勤めて精進し一心に修習し既に修習已りて廣く人の為に説くべし」。

爾時、迦葉菩薩白佛言「世尊。出世之法と世間法と何の差別ありや。佛の所言の、佛は是れ常法不變易法の如くならば、世間も亦た梵天是れ常、自在天これ常、變易あることなし。我が常性も常、微塵も亦た常と説けり。若し如來は是れ常法と言はば、如來は何が故に常には現じたまはざる耶。若し常に現じたまはずば何の差別か有らん。何以故。梵天乃至微塵世性も亦た現ぜざるが故に」。佛告迦葉「譬へば長者多く諸牛を有して、色種種なりと雖も同く

共に一群なり。放牧人に付して水草を逐はしむ。唯だ醍醐の為にして乳酪を求めず。彼の牧牛者、ちちしぼり已へて自ら食す。長者命終して所有る諸牛、悉く群賊のために抄掠するところとなる。賊は牛を得已りて婦女あることなければ、即ち自らちちしぼり得已て食す。爾時、群賊各相ひ謂って言く「彼の大長者、此牛を畜養し、乳酪を期せず唯だ醍醐の為にす。我等今者、當に何の方を設けて而も之を得べき耶。夫れ醍醐とは名けて世間第一上味と為す。我等器無し、設使たとへ乳を得るとも安置處無し」。復た共に相謂へらく「唯皮嚢のみ有りて以って之を盛るべし。盛る處ありと雖も攅搖(さんよう・あつめて揺らす)を知らず。漿猶ほ得難し。況んや復た生酥をや」。爾時、諸賊、醍醐を以ての故に之に加ふるに水を以ってす。水多きを以ての故に乳酪醍醐一切倶に失す。凡夫も亦た爾なり。善法ありと雖も皆な是れ如來正法之餘なり。何以故。如來世尊、涅槃に入りて後、如來遺餘の善法、若しは戒定慧を竊盜す。彼の諸賊、群牛を劫掠するが如し。諸凡夫人、復た是の戒定智慧を得ると雖も、方便あることなく解脱すること能ず。是の義を以ての故に常に戒常定常慧解脱を獲得すること能ず。彼の群賊、方便を知らず醍醐を亡失するが如し。又、群賊、醍醐の為の故に之に加えるに水を以てするが如し。凡夫も亦た爾なり。解脱の為の故に、我衆生壽命士夫、梵天自在天微塵世性、戒定智慧及び解脱、非想非非想天即ち是れ涅槃なりと説く。實に亦た解脱涅槃を得ず。彼の群賊、醍醐を得ざるが如し。是の諸凡夫は少梵行、父母を供養する有り。是の因縁を以て天上に生じて少安樂を受ることを得る。彼の群賊の加水之乳の如し。而も是の凡夫、實は少梵行を修し父母を供養するに因りて天上に生ずるを得ることを知らず。又、戒・定・智慧・歸依三寶を知ること能はず。不知を以ての故に常樂我淨と説く。復た之を説くと雖も而も實は知らず。是の故に如來出世之後、乃ち爲に常樂我淨を演説すること轉輪王世に出現するが如し。福徳力の故に群賊退散し牛に損命無し。時に轉輪王、即ち諸牛を以て一牧人の多巧便者に付す。牧人方便して即ち醍醐を得る。醍醐を以ての故に一切衆生は患苦あることなきが如し。法輪聖王、世に出現する時、諸凡夫人、戒定慧を演説すること能はざれば、即便ち棄捨す。賊の退散するが如し。爾時如來、善く世法及び出世法を説く。衆生の為の故に諸菩薩をしてよろしきに隨ひて演説せしむ。菩薩摩訶薩、既に醍醐を得、復た無量無邊の衆生をして普く無上甘露法味を得せしむ。所謂、如來の常樂我淨なるは是の義を以ての故なり。善男子。如來は是れ常不變易法なり。世間の凡夫愚人が、梵天等は是れ常法也と謂ふが如きに非ざるなり。此の常法を稱、要かならず是れ如來は是れ餘法に非ず。迦葉。應當に如是に如來身を知るべし。迦葉。諸善男子善女人は常に當に心に繋けて此の二字佛は是れ常住なることを修すべし。迦葉。若し善男子善女人にして此の二字を修するあらば、當に

知るべし、是の人は我が所行に随ひて我が至處に至る。善男子。若し如是の二字を修習して滅相と為す者あらば、當に知るべし、如來は則ち其人に於いて爲に般涅槃したまふ。善男子。涅槃の義は、即ち是れ諸佛之法性也。」

迦葉菩薩白佛言「世尊。佛の法性とは其の義云何、世尊よ、我今、法性之義を知らんと欲す。唯だ願くは如來、哀愍して廣説したまへ。夫れ法性とは即ち是れ捨身なり。捨身とは名けて無所有となす。若し無所有ならば身は云何んが存せんや。身若し存するならば云何んが

身は法性ありと言はん。身、法性あらば云何んが存することを得んや。我今、云何んが

當に是の義を知るべきや」。佛迦葉菩薩に告げたまはく「善男子。汝今應に如是の如く、滅は是れ法性と説くことを作すべからず。夫れ法性とは滅あることなき也。善男子。譬へば無想天の色陰を成就して而も色想無きが如し。問ひて『是の諸天等、云何んが而も住し、歡娯受樂し、云何んが想を行じ、云何んが見聞す』といふ。善男子。如來の境界は諸聲聞縁覺所知の所に非ず。善男子。説きて『如來身は是れ滅法也』と言ふべからず。善男子。如來の滅法は是れ佛の境界なり。諸聲聞縁覺の及ぶ所に非ず。善男子。汝今、應に『如來は何處に住し、何處に行じ、何處に見、何處に樂しむ』、と思量すべからず。善男子。如是の義は亦た汝等の知るに非ず。諸佛の法身、種種方便は不可思議なり。

復次に善男子。應當に佛法及び僧を修習して而も常想を作すべし。是の三法は、異想あること無し。無常想無く、變異想無し。若し三法に於いて異想を修する者は當に知るべし是の輩は清淨の三歸、則ち依處無し。所有あらゆる禁戒皆具足せず。終に聲聞縁覺菩提之果を証すること能はず。若し能く是の不可思議に於いて常想を修する者は、則ち歸處有り。善男子。譬へば樹に因りて則ち樹影あるが如し。如來も亦た爾なり。常法有るが故に則ち歸依有り。是れ無常に非ず。若し如來は是れ無常なりと言はば、如來は則ち諸天世人の歸依する處に非ず」。

迦葉菩薩白佛言「世尊。譬へば闇中に樹有りて無影なるが如し」。「迦葉。汝、應に樹有りて無影なりと言ふべからず。但し肉眼之所見に非ざる耳。善男子。如來も亦た爾なり。其の性常住、是れ不變異なり。智慧眼無ければ能く見ることを得ず。彼の闇中に樹形を見ざるが如し。凡夫之人、佛滅後において説きて、『如來は是れ無常法なり』と言ふも亦復た如

是なり。若し如來は法僧に異なると言はば、則ち三歸依處を成ずること能はず。汝が父母の各各異るが故に、故に無常ならしむるが如し」。迦葉菩薩復白佛言「世尊。我今より始めて當に佛法衆僧の三事常住を以て父母を啓悟し乃至七世皆な奉持せしむべし。甚だ奇なり世尊。我今當に如來法僧不可思議を學すべし。既に自ら學し已りて亦た當に人の爲に是義を廣説せん。若し諸人の能く信受せざる者あらば、當に知るべし、是の輩は久しく無常を修す。如是等の人には我れ當に其の為に霜雹と作るべし」。

爾時、佛、迦葉菩薩を讃じたまはく「善哉善哉。汝今善能く正法を護持す。如是の護法、人

を欺かず。人を欺かざるの善業縁を以ての故に而も長壽を得、善く宿命を知る。」

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 阿字観行者の日常の心得 | トップ | 延暦二十年十一月十四日法華十講 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

諸経」カテゴリの最新記事