福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日弘仁六年四月一日は大師が「諸の有縁の衆を勧めて秘密の法蔵を写し奉るべき文」を草された日です。

2023-04-01 | お大師様のお言葉

今日弘仁六年四月一日は大師が「諸の有縁の衆を勧めて秘密の法蔵を写し奉るべき文」を草された日です。
「諸の有縁の衆を勧め奉って秘密の法蔵合わせて三十五巻を写し奉るべし。
それ教は衆色に冥ひ、法は一心に 韞つ つめり(法は衆生の心にある)。迷悟機殊にして感応一にあらず。この故に応身化身影を分かって類に随い、理佛智佛(胎蔵界の理法身大日、金剛界の智法身大日)秘宮にして楽を受く。一乗三乗鑣を分かちて生を駆り、顕教密教機にかなって滅を証す。いわゆる顕教とは報応化身の経これなり。密蔵とは法身如来の説これなり。
顕は因果の六度を以て宗とす。これすなわち菩薩の行、隋他語の方便なり(衆生の機根により世間語により説法する)。密は本有の三密を以て教とす。つぶさに自証の理を説く如来語真実の説なるものなり。故に「楞伽経」につぶさに四種の佛の説法の相を列ねていはく、虚妄の体相を分別する、これを報佛説法の相と名く。応化佛は化衆生の事をなすこと真実の説法に異なり、内所証の法、聖智の境界を説かず。法佛とは内証聖行の境界を説く。華厳の地論には果分不可説と述べ、法華の止観には秘教不能伝と談ず。空論には第一義の中に言説なしと述べ、有宗(法相宗)には真諦の廃詮談旨を顕す。上、応化の経より、下、論章疏に至るまで、自証を韞つつんで説かず。他病に随ってもって訓を垂る。希有甚深なりというといえども、しかもこれ権にして実にあらず。伝法の聖者秘を知らずして顕を伝うるにはあらず。知って相い譲る。まことに故あり。末学この趣きを知らず。人人自学をもって是とし、家々
未だ知らざるをもって非とす。教はこれ迷方の示南なり。衆生の迷くを開示す。仏智を証せんと欲わば局執すべからず。一歩してすなわち憩はば誰か宝城を見ん。
貧道愚陋なりといえども、訓を先師に承けたり。貧道遠く大唐に遊んで深法を求め訪う。幸いに故大広智三蔵の付法の弟子青龍寺の法の諱恵果阿闍梨に遇ひ奉ることを得て、この秘密神通最上金剛乗教を受学す。和尚つげたまわく、「もし自心を知るはすなわい仏心を知るなり。仏心を知るはすなわち衆生心を知る也。三心平等なりと知るはすなわち大覚と名く。大覚を得んと欲はばまさに諸仏自証の教を学すべし。自証の教とはいわゆる金剛頂十万偈の経これなり。此の経は浄妙法身大毘盧遮那佛自眷属とともに、法佛法界秘密心殿の中に常恒に演説したまうところの自受法楽の教なり。故に金剛頂経に説かく、自受法楽の故にこの理趣を説く、応化佛の所説に同じからず。また龍猛菩薩のいわく、自証の三摩地の法は諸経の中に闕して書せず、と。言うこころはただこの経論のなかにのみ説けり。自外の顕の経論の中には説かず。法身如来より我が大広智三蔵和尚に至るまで師師伝授して今に六葉なり(六代)。仏法の深妙またこの教にあり。菩提を証せんと欲はばこの法最妙なり。汝まさに受学して自ら覚り他をして覚らしむべしてえり。
貧道謹んで教命をい承けて服勤し、学習してもって弘揚を誓う。貧道帰朝して多年を歴といえども時機未だ感ぜず。広く流布すること能わず。水月別れやすく幻電駐りがたし。元より弘伝を誓う、なんぞ敢えて韞黙(というぼく、だまる)せん。今機縁の衆のために読講宣揚して仏恩を報じ奉らんと欲う。しかれどもなおその神通乗の機の善男善女、もしは緇もしは素、我と志を同うせんものあらば、この法明に結縁して書写し、読誦し、説の如く修行し理の如く思惟せば三僧祇を経ずして父母所生の身に十地の位を超越し、心佛に証入せん。六道 四生 は皆是れ父母なり。蝦飛蠕動仏性あらざ ること無し。庶 はく は無 垢 の眼 を諮 か にし て三密 の源 を照 らし 有執 の縛を断じ て五智 の観 に遊ばしめむ。今、法を弘め人を利する至願 に任 へず、敢 え て有縁 の衆力を憑り煩わす。不宣。謹んで疏す。
弘仁六年四月一日 沙門空海疏す。」

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