私が毒親という言葉を知った頃はもうすっかり大人になってからでした。
同じような親を持つ友人から
「毒になる親」
という本を紹介され、早速読んでみると当てはまること当てはまること…
私の親は世間体を非常に気にする性質の人間で、
幼い頃からの虐待を私が周りの大人たちに訴え助けを求めても
「まさか、あんな良い人達がそんな事するはずない」
と信じてもらえず、幼少期から大人への不信感を抱いた子供でありました。
父は子供が自分の思いとおりにならないと暴力に訴え、
ゴルフクラブの柄で殴られたこともしばしば。
彼曰く、柄の方で殴っているので虐待ではない、躾だ、と。
素手で殴られた時は、父はピアニストだった事もあり
「お前が悪いからお前のせいで殴らされた。手が痛い。
これで仕事が出来なくなり家族全員路頭に迷ったらお前のせいだ」となじられました。
これらの事、共通して父の言う事には「謝れ」でした。
しかし、私は何が悪くてただただ殴られているのか解らず、謝ることが出来なかったのです。
黙り込んでいると、「何が悪いとかどうでもいいんだ、親が謝れと言ったら謝ればいいんだ!」
そしてまた殴られるのです。
これは果たして躾と言えるのでしょうか?
躾と証した虐待以外の何物でもないとしか思えないのです。
こういった場合、母親が守ってくれたりする場合もあるでしょう。
しかし私の母はただ殴られている私を姉と傍観していました。
後に「あんな酷い事をする人なんて父と思わなくて良いわよ!」等と言い始めましたが
その現場に居て父を止めなかった彼女もまた共犯としか思えないのです。
まだまだ被害を出してくれた毒親夫婦ですが、今日はここまで。
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