申し訳なさと後ろめたさを引き受けて。
おはようございます。
断捨離のやましたひでこです。
部屋のコーナーにあしらったドウダンも紅葉!
少しばかり寒さを覚える朝。
でも、まだ暖かさも残る。
涼しいが寒いに変わり、
暑いが暖かいとなっていくこの季節。
さて、今日は何を着ようかしら…と、戸惑うことがふえる。
そう、毎度のことながら<笑>
捨てようとするということは、
捨てられる側があるということで。
辞めようとするということは、
辞められる側があるということで。
別れようとするということは、
別れられる側があるということで。
こんな場面で、相手の立場を思いやって…
なんてやっていると身動きが取れなくなる。
申し訳ない気持ち
後ろめたい気持ち
それらが自分を苛む。
誰だって自分を加害者の身には置きたくはないから。
その結果の現状維持。
まあ、現状維持ですめばいいけれど。
大抵は、こうなる。
わたし、こんなに我慢しているのに…
わたし、こんなに辛抱しているのに…
その結果、被害者意識の塊へと自分を追いやる。
さあて、どちらの立場を選ぶことが、より賢明な選択なのか。
そう、自分の人生にとって、ね。
難しい。
けれど、一つだけ言えることは、
私たちは、
申し訳なさと
後ろめたさと
その両方を引き受けてまでも自分の道を往くべき時があるということ。
いずれにしろ、私たちの人生は、
加害者と
被害者と
その両方を演じなくては成り立たないのだから。
あれ、もしかしてそう思うのは、この私、断捨離のやましたひでこだけなのかしらね?
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