なぜなら、自分の人生を諦めている人があまりにも多いから。
美しい日
去年の今日。
2019年2月18日に書いた記事。
今日もまた、ここで。
なぜなら、自分の人生を諦めている人があまりにも多いから。
なぜなら、自分が自分の人生を諦めていることに気づいていない人があまりにも多いから。
◇◇◇
ひと月前、あるお宅に伺った時のこと。
これから断捨離に励もうと心に決めた妻に対して、夫はこんな言葉を漏らす。
「どうにか、なるのでしょうかね…」
「どうせ、したって元に戻るだろうに…」
この夫の独り言のような言葉。
決して、妻を揶揄する意図がある訳でもなく、それは、まるで、自分に尋ねているようでもあったり。
そうか、無理もない。
あまりにもたくさん、あまりにも長い間、モノが堆積している期間が長かったから。
何度か、片づけに取り組んだこともあったあはず。
けれど、はかばかしい結果が得られたことはなく。
そうか、あきらめてしまっていたんだ。
けれど、あきらめてはいけない。
なぜなら、これはあきらめてはいけないことだから。
こんな有様の住まいに、自分と自分の家族を押し込めたままでいい訳がないのだから。
なぜなら、「どうにかなるのか」ではなく、「どうにかしていく」ことだから。
また、元に戻ってしまっても、また、チャレンジすればいいだけのことだから。
そう、ごくシンプルに例えてみれば、この夫の言葉は、
「どうせ、また垢が溜まるのだから、お風呂に入る意味がない…」と言っているのと同じ。
その都度入浴して、リフレッシュすることを、この夫だって毎日しているだろうに。
住まいを爽快にしていくことは、暮らしを爽快にしていくこと。
暮らしを爽快にしていくことは、人生を爽快にしていくこと。
もしも、住まいを爽快にしていくことをあきらめているのだとしたら、それは、自分の人生をあきらめたも同じ。
この事実に、誰もが気づかなくてはいけない。