湖南(hu2 nan2/フナン)省に、株洲(zhu1 zhou1/ジュジョウ)という市があります。

省都である長沙()(chang2 sha1/チャンシャ)から、東南の方向に40㎞ほど離れたところに位置します。

長沙の南側にあるのが湘潭(xiang1 tan2/シアンタン)で、その東隣りが株洲という感じです。

この株洲、昔は、建寧(建宁)(jian4 ning2/ジェンニン)と呼ばれていました。

何でも、後漢末の建安19年、すなわち西暦214年に、湘江(xiang1 jiang1/シアンジアン)を境に、西は劉備()(liu2 bei4/リウベイ)、東は孫権(孙权)(sun1 quan2/スンチュェン)の領土と取り決めたのだそうです。

よって
、孫権は、ここに建寧県を置きました。

「建安寧辺境
(建安宁)(jian4 an1 ning2 bian1 jing4/ジェンアンニンビェンジン)の意味です。
建安に辺境が安定した、という感じでしょうか。

「寧
()(ning2/ニン)とは、安らかである、安定する、という意味になります。

県政府の所在地を「県治()(xian4 zhi4/シェンジ)と言います。
このとき、櫧洲()(zhu1 zhou1/ジュジョウ)が県治になりました。

櫧洲は、この地にカシ「櫧()(zhu1/ジュ)が生えていたことと、この地を流れる湘江(xiang1 jiang1/シアンジアン)が、ぐるっと曲がりくねっているため、中洲「洲」(zhou1/ジョウ)が多かったことから「櫧洲()(zhu1 zhou1/ジュジョウ)と呼ばれるようになったのだそうです。

ここらへん、地図を見ればわかりますが、湘江は、何じゃコリア?というほどに曲がりくねっています。

1カーブが株洲で、第2カーブが湘潭だと覚えておくとわかりやすいかもしれません。

なお、湘江は、南から北に流れ、洞庭湖(dong4 ting2 hu2/ドンティンフ)に注ぎます。

南宋の建炎元年(1190年)に、櫧洲から、株洲に変更されました。
それ以降、お役人は「株洲」、民間は「櫧洲」を用いることが多かったと言います。

「櫧()(zhu1/ジュ)と「株」(zhu1/ジュ)で発音が同じであるため、どちらでもよく、あまり気にしなかったのかもしれません。

ただし、1910年に鉄道がとおり、駅名が「株洲車站(株洲)(zhu1 zhou1 che1 zhan4/ジュジョウチャジャン)になってからは、もっぱら株洲が使われるようになり、櫧洲が使われることは無くなりました。

注意をしなければいけないのは、もともと中洲という意味であるため「株洲」になります。

杭州
(hang2 zhou1/ハンジョウ)や蘇州()(su1 zhou1/スジョウ)のように、行政区としての「州」(zhou1/ジョウ)が置かれた訳ではないので「株州」とは言いません。

「満洲()(man3 zhou1/マンジョウ)も、本来は、女真族の名称を変更したもので、満洲族のことを指しました。

こちらも「満洲」という国はありましたが、行政区があった訳ではないので「満州()(man3 zhou1/マンジョウ)ではありません。

日本では「満州」と誤用されていますが、本来は、間違えてはいけないところだと思います。