芸術家のアイデンティティ。 | 日本画いろは 川村愛

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福岡在住の日本画家 川村 愛 の【 ことのは帳 】です。
絵のこと。日々のこと。綴ってまいります。


現代アートやアートマーケットについて語るとき、日本のアートシーン、日本画の現状と世界との違いの話に必ずなる。
日本の画家は、油絵なら油絵、日本画なら日本画を極めていくが、海外の芸術家は絵を描きインスタレーションをし陶芸をし詩を書きそれらを総合して自分の哲学や世界観を語る。
技術技巧を追求するだけでない、芸術はもっと大きな自己表現でメッセージだ。そこを観る側(批評家やコレクター)が評価し、その芸術家が成長していく過程での作品の位置付けをし、芸術家を美術史世界史の中での位置付けをしていく。
その成長を楽しみにコレクターが作品を買う。
考えや言葉、佇まいを含めて芸術家自身が魅力的であることが価値となる。

では自分の世界観とは何か。
その言葉を見つけていくのが、私を含めて日本の芸術家は慣れていない。海外では小さな子供のころから芸術家になる以前からアイデンティティを見つめ考えを伝えることがごく自然である。
日本人の感性もそれには不向きだ。
自然を愛で単純にきれいなものをきれいに描く。素直な感情、表現を最も良しとしてきた。
日本の文化同様、日本画の技術技法表現は、良い意味でも悪い意味でもガラパゴス化して独自の進化をしている。その食物連鎖のヒエラルキーは日本国内の画壇が頂点だった。だから通用するのは日本国内だけで世界のアートの中で日本が語られることは少ない。

しかし良い意味でと言ったように、世界は日本画の表現を稀有な物珍しさで見ている。ガラパゴスのイグアナを見るように。
ただ表現だけでは評価されない。そこにいるだけではだめなのだ。
生物史の中でイグアナが稀有なものであることを説明する言葉が要る。

じゃああなたの表現は?

『言葉にできないことを描いてるから芸術なんですよ。』は通用しない。
外に向かっているのならば、芸術家としてのアイデンティティを語らねばならない。
   。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。続く