4月10日

旧西武所沢工場の取材と記事を差し込んだので、

去年に取材してあった、現「航空公園」

 

旧所沢基地の遺構が延び延びになってしまいました。

なお、記事中には記憶に頼った

 

ものがあるので違ってたらすいません。

 

 

まったく知らなかったプロペ通り裏の

「将校住宅」のあるエリアを通り抜けると、

 

かつての所沢基地への幹線道路「飛行機新道」へ。

道の狭い所沢なので、今でも市内からR463に

 

抜ける道でもあるので、バスも通り勘弁してくれと

いうくらい交通量が多い多い。

この道が東川を渡る無駄に立派な橋があります。

その橋、実は登録文化財の「旭橋」という偉い橋です。

説明は↓

 

何気にある旧商家がいいアクセントです。

 

先に進むとさらにレアモノが隠れています。

西武新宿線をくぐって北上すると、

 

航空公園の交差点手前に消防団の詰め所が。

その門扉の根元に「旧陸軍標柱」があり、

 

門柱と塀は所沢基地のものだったそうで。

つまり、所沢基地は現在の航空公園の部分だけでなく

 

この門柱の位置まで敷地だったそうです。

 

 

反対側の住宅地の中に西武新宿線の駅が

あったそうですが、今は跡形もありません。

 

 

R463まできてしまうと所沢も航空公園へも歩く距離は

変わらないので航空公園に謎の物件があるので

 

航空公園へ。

歩くのは線路沿いなので特に変化がありません。

しかし、立川の昭和記念公園が造成される前のように、

 

基地側は厳重な柵のある、荒地が広がるところでした。

 

その頃は「航空公園駅」は存在せず「新所沢」から

直線の線路が続いていました。

 

「航空公園駅」は航空公園が開園してすぐ隣に

マンションが建ち並んだころ、直線だった線路を

 

少しずらしてできた駅です。

記憶だと高校くらいなので新しい駅です。

謎はそこより新所沢寄りの踏切です。

この踏切自体がそばのマンションができる

 

ころまで存在せず、新所沢から何に使うのかわからない

線路が続いていました。

 

1線分くらいの敷地が残ってます。

実は所沢基地への専用線の痕跡だったようですが、

ここも造成する時に整地してしまったので、

 

古地図や航空写真のあるサイトじゃないとわかりません。

ただ、新所沢駅が今のような2面4線ではなく

 

途中駅のように1面2線で貨物側線跡を

留置線や保守車両置き場に使っていました。

 

 

全面返還されたと思ってた所沢基地ですが、

航空公園駅から歩いていくと合同庁舎があり

 

川越に向かう県道に出るのですが、

防衛医大の向かい一帯は未だに米軍のレーダー基地で

 

広い更地があるのもストビューで初めて知りました。

(元地元なのでストビューなんて見たことなかったので)

 

話によると、ここと新座のレーダー基地で

歴史に残る大航空機事故の「日航123便」が

 

レーダーから消えたのを最初に発見したとか。

 

 

トンデモ駅だった「東所沢」は

開発されてつまんないので、

 

また面白いスポットがみつかるまで

このシリーズは活動休止になりそうです。