12月10日
1年ぶりの社会復帰でしたが
そのことは迷った末後日にしました。

仕事のことじゃないけど、
全身の血液が逆流することがあったので。


昨日の続きです。



ミッションを終えたので、日帰りということもあり
そのまま帰るはずでしたが、

まるで人口密度の少ない川崎のような
近鉄四日市に比べて、JR四日市駅の荒みようと、

おそろく西日本の「廃」な人では有名かと
思われる「三和商店街」が見たくてわざわざ

関西本線の駅までタクシー連絡しました。
なんで地方のJR駅って、広い敷地を持ちながら人がまばらなのでしょうか。


貨物駅を兼ねている大きな駅ですが、
「国鉄」と「昭和」を感じる駅でした。

これもまた貴重な存在かも。


噂の「三和商店街」はハロワ四日市の方へ
行くのですが、そこに行くまでに萌える建物が。





もう日が傾いていましたが、
中を覗くと暗い三和商店街を探索。
「これが商店街ですか?」

なんというワンダホーな世界。
廃アーケード商店街meets取り壊し予定の路地、

meeets川越の消滅した飲み屋街という感じです。


時間軸が違うとかそういうのではなく、時が止まっているようでした。



都内にあったら間違いなく
観光地になっていたでしょう。


っていうか、風でギシギシ行ってる建物やアーケード、
崩壊した店の跡。「頭上注意」の看板。
落ちたアーケードやこの壊れっぷりなら東京なら間違いなく封鎖ですよ。

違う意味でスペクタルです。
日が落ちてくると入り口の

「明るい商店街」にどこがやねん!
と、ツッコミを入れたくなります。
違う意味で明るいよ。




間違いなく危険なため取り壊しの対象になりそうなものです
しかし、電気がついてるとこがあるので

どうやら立ち退きがされてない様子。

周りの建物も昭和30年代を感じるビル多し。
これだから地方都市は面白いです。
なんか時代が違うんですよね。


駅のそばはそんなワンホーなエリアですが、
市街地から名四国道に抜ける道は、

大きな商店街になっています。
かつてはJR駅の方が中心だったのでしょう。


かつて四日市といえば公害でした。
私が子供の頃、「こんなとこ住めない」と

大田区から転居した頃。
川崎も公害の街でした。


そうだから初めてここに降り立った時印象は
川崎に似た街だなと思ったんでしょう。

その当時の遺構が現JR駅ではないかと。


名古屋までの帰りは、JRの快速「みえ」で。転換クロスはロングシートよりいいです。