8月22日



去年のひまわりフェスの後はどうしたのか見返したら、
かつての家に行く道を歩きながら

昔との違いと解説してました。
「元住人のすすめるノスタルジックな風景」は

別の回だったんだ。
確か足りないトコ取材に行ったんだ。


今回は何度も言ってるように
「清瀬のはずれ」だった「秋津」が

西武線の1日の乗降人員では81000人と
飯能や東村山を越えてるGreatな駅に変わっていました。


まぁ、理由のほとんどは武蔵野線の利用者増が
絡んでいると思われるけど。


現地に行って西武線のホームの先っぽに立つと
わかりますが、「新秋津」のホームが見えるんですよ。

他の路線の例と同じならば、ここに連絡通路と
改札を置いて乗り換え通路を作れば楽に乗り換えられるんです。


でも、「楽に乗り換えられちゃ困る人たち」が
黙ってなかったんですね。

秋津の武蔵野線への乗り換えは昔も今も
駅を出て商店街を抜けて回り込むように

新秋津の駅前ロータリーに出るという
本川越と川越の半分くらいの距離を歩きます。


まぁ、そういうわけです。
地元商店会の圧力に屈したわけですね。

西武は再開発にはかなり慎重に土地収用を
してる感じです。入曽駅前なんか地主に屈したし。


加えて、秋津駅自体は東村山市、清瀬市、埼玉県所沢市の3自治体に
かかっているという、よく領土問題が起きないなと思う場所。

そんな事情もあるのでしょう。



前置きながっ!
今回はその反対方向、清瀬方面に向かいました。


「はずれ、いなか」と呼ばれてたエリアと
おそらく限界集落化してる野塩団地を歩きました。


なぜ野塩が「いなか」と呼ばれていたのか
理由は簡単で清瀬市内に比べて畑と雑木林だらけ

だったからです。
以前はなかった南口のところからすでに畑でしたから。

で、家があっても農家ばかり。
野塩団地内以外は東京に見えませんでした。

駅から離れると足がないし。
だいたいバスが走れる道がありませんから。

こんな道走るか? の、中野区や杉並区を走るバスなら
走ってしまうでしょうけど。

今も西武バスは路線がなく、市のコミュニティバスが
路線バスがわりになってますが、当時はありませんでしたし。


今回は柳瀬川と空堀川の合流点まで
歩いてしまいましたが、子供の足ですから遠いです。


とりあえず向かった野塩団地。
さすが大人の足、こんなに近かったけです?



てっきり建て替えが進んでると思ったら、
中野の駅前団地のように「廃墟?」って感じの荒れよう。

平日の昼間だったんで人がいないいない。
奥の棟の方から建て替えが進んでるようでしたが、

URの高層マンションのように垢抜けてなく。
「団地」であることには変わりませんでした。







興味深いのは「団地に住むのがステータス」の古い建物と
建て替えた今風の建物が混在してるところが



いい味出してます。
柳瀬川の低地とはいえ駅に比較的近いので

家賃も公社だから都営よりは高いけど、
住人が戻ってこない空き部屋は募集すると

結婚くるかもしれません。
ちなみによく遊びに行っってたタコの

滑り台がある公園は消滅してました。


実はもう野塩一帯は「いなか」ではなく
「新興住宅地」となっていたのでした。





予想ですが、農家ばかりということは畑ばかりでした。
畑や雑木林は片っ端から住宅地になっていくのが、

都市部の流れです。ここもそうでした。
畑の中の一本道がびっしり住宅の並ぶ道と


なっていたのです。
なんせ池袋から30分ですから。




長くなってしまいましたので続きます☆
35年以上の時を感じることもありました。