8月23日
今回は郷愁編。でも地味だなあ。



農作地がすっかり住宅地に変わってしまって、
前回の最後に貼った旧家もほとんどなく、

農業をやってた家は綺麗な家に
建て替えられて練馬区あたりと風景が変わりません。


その中で大きく変わったのは川。
市内を流れる空堀川なんて今、問題になってる東京湾の

汚水そのまんま。23区内のほとんどは大雨で
処理場が機能不全になると雨水もトイレの水も

海に流してしまうのは知っていましたが、
それを常時行なっていたのが昭和の都市河川です。

それが下水処理のおかげで大水が出ない限り
きれいな川になったのは東久留米だけじゃありません。


水が透き通ってる。
川底が見えるよ、川で遊んでる人がいるよ。


釣りをしてる人がいるよ。

汚くて近寄り難いイメージだったので嬉しくなって
しまいました。



川筋は洪水対策で幅は広くまっすぐに変わってました。
そこで気になった都県境の清瀬橋で空堀川が

落ち込むように合流してたところは。
元の川筋は緑の森になったのですが、

ここも洪水対策なのか、手前の未開の雑木林だったとこを
本流の柳瀬川に壁を作って分離し、水量が増えた時には


溢れた水を広い空堀川に流し、
本流は直接合流するという形になってました。






それだけじゃなく、地下に遊水池を掘っていました。
なかなか見ごたえのある場所なので興味のある方は。


さて、3丁目の西武線のそばにある八幡様は
そのままの場所で残っていたので、休憩を兼ねてお参り。



実はこの近くに卒園した幼稚園があったはずなのですが…。
「しゃら幼稚園」という、お寺がやっていた幼稚園でした。

お寺や教会がよく幼稚園や保育園をやってますよね。
幼児の記憶は不思議なもので、卒園してからきたことないのに

裏門の坂を当てて、空いていたので中に入ってみました。

なんかというか、全然幼稚園らしくありません。


三重塔が建ってたり、電車の図書室もなくなって、
立派な100%お寺。でした。



あれ〜、もう幼稚園じゃなくなったのかなと、
グーグルさんにきいて見たら出てきません。

出るのは本来の「園福寺」だけ。


しかし、集まりでも使っているのか、幼稚園の教室と
ホールは残っていました。なつかし〜。




きっと園長先生が変わるか何かして
やめちゃったんだろうな。と、表側の送迎バスが

入っていたところに、遺構がありました。



なんか寂しいです。過疎地で学校が統廃合された
人の気持ちがちょっとだけわかった感じ。


見るものは全部見た感じなのでここで終わりにしました。
強烈に興味をそそるものがないのにひっぱったな〜。
これを見ると、古い村だったということがわかります。