KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ショーケンをいまいちど噛みしめてみる

 今年ものこり一か月を切った。3月に亡くなったショーケンこと萩原健一さんが出演していたNHK大河ドラマいだてん〜東京オリムピック噺〜」も終わりをむかえようとしている。

 

 その視聴率の低さから、いろいろ言われてはいるが、私にとってはこのドラマ、作品そのものもよかったし、ショーケンが出演したというだけでも価値があったとも思われる。 

kotobasm.hatenablog.jp

 以前にも記録したが、ショーケンは昭和初期の首相・蔵相をつとめ、226事件で暗殺された高橋是清役を演じた。ほとんど収録は撮り終えたとのことだったが、残念にもきっとあったのであろう暗殺シーンは無かった。

 

 もしそれが収録できていたなら、太陽にほえろのマカロニ殉職とならんで、きっと語り継がれるシーンになったと思われる。だがこればかりはしかたない。ショーケンがいなくなり、平成も終わり、ひとつの時代が私のなかで終わり、今年も終わろうとしている。

 

 撮りためておいたドラマ「傷だらけの天使」をまた観てみようと思っている。

 

 こちらもあわせてどうぞ。ちょっとだけど懐かしさ満載です。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。