江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

あらためて「業績評価」を問う

2019-08-19 | 江戸川区教組
私たち東京の教員にとっては、既に実施され職場での差別分断のみならず、子どもたちの学習にも影響を及ぼしている「業績評価」ですが、千葉県においては今、新たにこれが実施され始めました。
例によって、友好団体である千葉県学校労働者合同組合(学校合同)から最新ニュースが届きました。
先行実施されている私たちにとっても、あらためてとらえなおすべき視点が端的に表現されています。
これを機に、闘いの再構築に向けて頑張りましょう。

以下、『学校合同』からの引用です。

「先生方に喜んでもらって、力をつける評価制度になる。」
「試行から、おおむね好評を得ている。」

(業績評価に対する県教委の回答)    
どこが?
誰に聞いたの?

 
 
 今年度から一般教職員にも、昨年度の業績評価による給与の差別支給が始まりました。
 月々の基本給(1号給アップ)やボーナスの勤勉手当(0.04ヶ月アップ)が約3割のA(優秀)評価の人だけ割増支給されています。《主幹教諭だけは約7割にA評価の特別扱い!》
 組合から何度も学校現場に悪影響をおよぼすことしか考えられないとして中止を要請してきましたが、受け入れられませんでした。
「先生方に喜んでもらえて、なおかつ 力をつけてもらえる評価制度になる。」
「試行からは、おおむね好評を得ている。」と県教委は回答していましたが、さしたる根拠はなく、どこからそんな『大見得』をきる自信がやってきたのか?
 給与の差別支給という目に見える形でやってきた業績評価をここでもう一度取りあげてみたいと思います。
 
 《自分は人一倍仕事をしていたし、それなりの結果も残すことができていたのに、どう見てもたいした仕事もせずに他の人の足を引っ張っていた人たちと同じ給料というのは納得いかない》と感じていた人にとっては、A評価による給与支給はうれしいことであり、大満足であったことでしょう。

 しかし、こういう人がB(良好)評価による給与支給ということになったら、どうでしょうか? たぶん、不満たらたらの日々が待っていることでしょうし、A評価の人が判明すれば、不満の矛先はその人に向けられ、いかなることになるやら・・・・。

 また、他の人よりよい評価や高い給与を望んでいなかった人でも、A評価による給与支給ということもあるわけですが、そんな人でもよい評価やより多くの給与をもらえたことに悪い気はしないはずでしょう。

 しかし、一方で一緒に仕事をしていた人たちへの後ろめたさも、そういう人だからこそ感じるかもしれません。もやもやしたものが、残り続けてしまうのではないでしょうか?
 
 さらに心配なのは、こういう差別評価や給与支給に徐々に慣れてしまい、それが至極当たり前のことであるかのようになって、その体制に囲い込まれてしまうことです。

 おいしい汁を吸ってしまうと、そこから抜け出すことが恐ろしくなって、今度はそこに必死にしがみつこうという姿勢になってしまうのではないか。
「自分を見失い、ひたすら上に目を向け、下は見下していく。」そんな恐ろしいことにならなければよいのですが。
 
 次にB評価による給与支給になった大多数の人たちですが、ここははっきりしています。まあまあよしと評価されながらも、通常の昇給額が多少なりともカットされ、減給という状態になってしまうことに、喜んでいる人はいないはずです。そんなお人好しはいないでしょう。

 ましてや、カットされた分が同じ職場で共に仕事していたA評価の人に回されていると考えたら、その心中やいかに。かなりざわついたものになってしまいます。大多数を占めるこの層の人たちのざわつきは、職場全体の雰囲気にもすぐ反映していきます。協力関係・相互扶助といったものが一気に崩壊しかねません。

 文部科学省が「チーム○○」とか言い始めたせいでしょうか?身の回りの市教委や学校でも、この言葉をよく聞きます。こういう状況を予見して言っているのか、はたまたそういう兆候があらわれ始めたので、あわてて言い出したのかは分かりませんが、いずれにしても、自分たちが壊すことが分かっていながら、あるいは、壊し始めてしまったものを自分たちで壊れないようにするとは何とも笑える姿です。
 
最後にC・D評定による給与支給の人についてです。

ここは、かなり厳しい状況になるのではないでしょうか?自分なりに努力しての結果なのに、それにダメ出しを下され、もっと多くのものを要求されることは、かなり辛いことです。C・D評価に対して何を言っているんだと、立ち向かっていける気概がある人ならばよいのですが、そうでない人は自己否定へと追い込まれ、精神的にかなり不安定な状態になってしまいます。ここまで追い込む前に、何らかの手立てがほどこされるべきです。

C・D評価を下す管理職・教育委員会こそが、まず第一にこの任に当たるべきです。
それでもC・D評価を与えてしまったのなら、その責任を果たせなかった自分たちも、C・D評価されるべきです。

更に悪いことには、現在、世の中は、労働者と使用者(資本家)の関係では、使用者側が圧倒的に優位に立ってしまっています。
学校教育界もごたぶんにもれず、教育委員会・文科省が絶大な力をふるっています。
教育委員会から、反抗的であるとか、期待する働きができないとにらまれたC・D評価の人は、その後もその烙印を背負い続けさせられ、排除されてしまいかねません。
 
残念ながら、それに対抗すべき労働組合はすっかり弱体化していますし、周りの同僚たちも一人ひとりが分断されてしまい、教育委員会・校長側の尻馬に乗る人が出てしまいかねないくらいです。孤立無援の闘いとなってしまいます。長い時間がたつと経済的にも苦しくなってくるはずです。家庭を持って子育てとなると、支出は増える一方なのに、収入は増えずとなってしまいます。
 
次は視点を変えて、この制度で教職員に力をつけることができるかということについて考えてみます。

この評価のとっかかりは、目標申告による各教職員の個々の目標とその評価から始まります。しかし次にはもう、校長(市教委)による一律の評価で同じ土俵に並べられてしまいます。そして、最終的には、校長(市教委)の『よい』・『普通』・『よくない』さえも離れて、より校長(市教委)から近い存在の順に(S)・A・B・C・Dの評価が一定の割合で機械的に決まっていきます。(今のところ、C・Dの人数は決まっていないとのことですが、先はどうなるか怪しい。)

並べようがないものが、いつのまにか1列に並んでしまうことになります。いろいろ回りくどいことをやって時間と手間をかけて結論はここかよという感じです。こんなことは私が言うまでもなく皆さんは分かっているはずです。

A・(S)の評価をもらってちょっとだけ高い給料を得るには、校長・市教委・県教委、そして直接は繋がっていないが見えない太い糸でがっちりつなぎ止められている文科省の意向にどれだけ添う動きがとれているかということなのです。こういうところに追い込んでいくことが力をつけるということなのでしょうか?
 
私が力をつけたいと思うことは、今やっている数学の教科担任の補助という仕事では、以下の3つです。

ア、生徒の信頼を得て、困ったときにすぐ相談してもらえるようにする。
イ、あらゆる問題を生徒の考えを活かしつつ、わかりやすく解説できるようにする。
ウ、数学の学習をあきらめている生徒に何とかやってみようと思わせるきっかけをつくる。

校長・教育委員会・文部科学省の意向なんて入る余地なしです。しいてあげるなら、高校入試の問題を難しくしないで、もっと数学の学習を楽しめるようにしてほしいです。
千葉県の業績評価の一体どこに《教職員が喜んで力をつける》や《好評》があるというのでしょうか?
その証拠をぜひ見せてほしい!!
 
次にあげる内容は、先日開かれた私たち学校合同の定期大会にゲスト参加された業績評価《先進地》の組合員が、すでに実施されている業績評価について話されたものです。
▪︎上昇志向と見てとれる言動が生まれてきている。
▪︎給料が上がっていかないことから、締めつけ感をひしひしと感じる。
▪︎自分がだんだんと萎縮してきているのがわかる。
▪︎パワハラが横行し始めている。
▪︎ものが言えなくなってきている。
▪︎その場にいる者で話し合って対処することがなくなってきている。
▪︎上から言われたとおりにやっていれば評価される。
▪︎逆に自分がその場でよしと考えたことをやっても、それからはみ出ることは否定される。
 
 私が、業績評価から見て取れるのは、現場のことを全く知らないはるか上の方で《ああだ・こうだ》と旗を振られ、それに黙々と従っていく集団の姿です。  
そこには創造的に何かをつくり出す働く喜びも、その活動の中で仲間と共に語らう楽しさも影をひそめます。
 まさかとは思いますが、こんなつまらない学校職場をつくり出すのが本当の狙いなのかな?      

<H>

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Unknown (東京都の「業務評価」制度をまねしていいことはないと言いきれます!)
2019-08-20 16:29:13
「業務評価」という制度は、百害あって一利なしです。東京都は私たちを分断・管理し、トップダウンの「教育」をすすめるための「業務評価制度」をすぐにやめるべきです。

以前、私がC評価の理由を管理職に聞きました。
◯授業中に、私が担任するクラスの児童Aさんが教室から出て空き教室にいることがあったこと。
→私は、Aさんが、どういう状況で、よく廊下に行っているかということやそれに対してどういう対応をしているか、その子が通級している担当教員にも学年を組んでいる教員にも話をして対応してきたという話をしました。また、廊下に行っていることは私も把握していたこと、空き教室にいるところを見つけたら、本人に教室に戻るように声をかけて欲しいとも話しました。他にも色々説明しました。その子は、すごく成長したことも言いました。1学期にたまたま通りかかった時に見つけたことをあげて、C評価の理由にされたことに納得できなかったので、説明しました。しかも、その子のことについて、どう対応しているか、その都度報告もしていたことでした。
そしたら、次は理由としてこう言われました。
→オリパラ教育で、講師が来て授業をしてくれている時、クラスの授業態度がよくなかった。〇〇さん(私)は、課題のある子に目がいってしまい、全体の統制が取れていない。
→私は、この時、子どもに声をかけをしたりケンカになりそうな子たちの間に入ったりなどしながらゲストティーチャーの授業に参加していました。興奮するとざわざわしたり時々ケンカになったり話を聞いていなくて何やるかわからなくなったりする子はいましたが、全体としては、子どもたちは授業を楽しんで受けていました。全体の統制が取れていないことについては、私なりの考えを言いました。
◯次は、管理職にやって欲しいと言われた〇〇について、もっとやって欲しかったと言われました。
→どういう理由で私が、あまりすすんでやろうと思わないかをすでに説明済みのことについてでした。また同じ説明をしました。
◯最後には、「誤解しないで欲しい。〇〇さんのことを評価していないわけじゃない。〇〇さんも頑張っているのもわかる。Cは普通。B評価になるには、今まで通りではダメで、何か今まで以上の成果を出さないといけない」と言われました。
→「私はCは普通じゃないですよ」と言い返しました。

他にも言いたいことはたくさんありましたが、全部は言いませんでした。その後、職場の何人かの同僚に話して、私の気持ちを聞いてもらえたからよかったです。不服申立の申請をしようかとも考えましたが、相談窓口が、以前パワハラをした男性指導主事だったので、申請するのをやめました。おそらく管理職は、私が評価の開示請求をするとは思っていなかったのでしょう。だから、理由を聞く面接を求められ、しかも謙虚に受け入れられないので、困ったと思います。「業務評価」は民間企業ではやられているものなのかもしれませんが、教育現場に導入すべきではありません。学校現場で働く者が、競争させられ、協力できなくなったら、子ども中心の教育なんてどんどんできなくなります。子どもに矛盾のしわ寄せがいくことになります。

職場によっては、開示請求を多くの人がする職場もあるそうですが、私の職場では、開示請求をする人は、少数派でした。業績評価の開示を申請する制度はあっても、開示請求すること自体に抵抗がある人もたくさんいます。開示請求したら、パワハラを受けるのではないかとか、どうせ評価が低いから見たくないとかいう理由でです。また、悪い評価で納得いかなくても、納得いかないと言えない人、言ったことで逆にできていないことをたくさん言われて傷つく人、自分が指導力がないんだ、教員に向いていないんだと自信を失くす人もいます。悪い評価をつけられたことに対する抵抗には、かなりの労力を要します。ただでさえ忙しいのに、抵抗することに労力をかけられる人がどれほどいるでしょうか。ましてや、一人で闘わなくてはならないとなったらなおさらです。それでも、一人でも、評価に納得できず、苦情を申し立ての申請をした人もいました。

管理職にいい顔する人や子どもに言うことを聞かせられる人の評価を高くする管理職が増えているような気がします。管理職がどういう評価をしているか、私たちが開示請求をしない限りわかりません。恣意的評価がいくらでもできてしまうのです。

自己申告は、結局のところ、私たちを管理し、トップダウンの「教育」を行うためのものだと思います。私たちにとって、自己申告書を書かされたり授業観察のための指導案を書かされたり管理職2人と面接をされたりするなど、いいことはありません。私も同僚もみんな負担に思っています。自己申告に数値目標を入れるようにとか、〇〇のことを書くようになどと言って書き直しを要求してくる管理職もいます。これでは、自己申告ではないではありませんか。書き直しを要求された教員たちは、「もういやだ」と言っています。自己申告や初任者研修や◯年次研修の報告書など私たち教員の負担でしかない無駄な書類作成業務は、働かせ方改革の一環としても、真っ先にやめていただきたいものです。

もし、評価が悪かった教員の分の給料が、自分の評価に上乗せされたらうれしいですか。もし、一生懸命仕事していても悪い評価だったらどうですか。私は、どちらもいやです。
「チーム学校」などとと言いながら、私たちを分断する業務評価の制度を存続させているのは、明らかに矛盾しているのではないでしょうか。それとも、言われたことに従わない人は、「チーム学校」から排除されてしまうのでしょうか。

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