江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

ミステリーツアー九州編(8) 見どころ満載の壱岐②

2019-10-13 | 随想
次の下車地は左京鼻とは反対の内海側にある「はらほげ地蔵」。
お地蔵さんの腹が何故か丸くえぐられています。
満潮時には下半身が海に浸かります。






この辺りは海女漁が盛んな所、遭難した海女さんを供養するために祀られたと言われています。
それと共に、鯨の供養・慰霊のためだという話もあります。
何れにしても珍しい六地蔵です。









次に立ち寄ったのは、大和時代にここを治めていた壱岐氏が航海の安全を祈って設けられたという「月読神社」です。
この神社は古事記にも記されているいわく付きの神社です。
壱岐は本当に面白い神話の世界でもあります。

伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の最初の子が天照大神で次に産まれたのが月読尊(ツキヨミノミコト)とされています。

この月読神社は487年に京都に分霊して全国の月読神社の元宮になったというわけです。
古事記によると月読尊は夜を司る神で月に例えられたことから月読神社となったようです。
因みに3番目に産まれたのが須佐之男命(スサノオノミコト)であり、この三神は他の八百万(やおよろず)の神々とは別格で、三貴神(みはしらのうずみこ)と記されています。

こうしたことから、この小さな壱岐の月読神社は日本の神道の元となったという説もありますが、さてどうでしょうか…。
何れにしても、歴史や観光の素材には面白い所でもあります。









午前の部は終わり、島の西北部にある勝本地区へバスを走らせました。
国民宿舎・壱岐島荘で昼食です。
壱岐牛のすき焼きとウニご飯を食べました。
(と言っても、ほんのわずかな…^_^)






ここでの掘り出し物は焼酎でした。
壱岐は麦焼酎発祥の地だったのです。
大分だという既成概念が崩れました。
たっぷり試飲した後、現地でしか手に入らない「嘉助」を含め2本ゲットしました。
マイカーの旅では出来ない特典でもあります。








最後の見学地は奇妙な岩が見える所でした。
一見して「猿だ!」と分かる、「猿岩」のある海岸は景色も良く、ずっと先が対馬に続く海を眺めました。
私も当然ながら猿とのツーショットを撮ってもらいました。






そして、ここには第二次世界大戦の戦争遺跡がありました。
「黒崎砲台跡」です。
当時東洋一と言われた40cmの砲弾が撃てるように設計されていたようです。
これは、昭和の初期に建造された戦艦土佐の大砲を転用したものです。
後に造られた戦艦大和の砲弾と並べて展示してありました。

射程距離は35kmもあったということですが、一度も使われることはありませんでした。
戦後、解体されて現在はその大きな砲台の跡が地下まで続いていました。
現在、崩れる恐れがあるため、中には入って行けません。




これで壱岐の見学・観光は終了しました。
楽しいガイドさんとも別れ、再びフェリーに乗って唐津東港へ帰りました。



ここからバスに乗り、一路福岡空港まで走りました。
2泊3日の密度の濃いミステリーツアーは、納得のいく楽しい旅でした。
 
(「郷土教育全国協議会」ブログより承諾を得て一部転載)

<すばる>

 

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