江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

『キューポラのある街』

2020-09-12 | 随想
私は映画が好きで、大学生時代は燃える前の京橋のフィルムセンターへよく行った。
高校時代はせっせと葉書を出し、試写会を当てて行った。

映画好きになったのは祖父のおかげだ。
本当に幼いころから祖父の映画館通いに同行した。
そこで買ってくれる斜めに紙のかかったカステラにつられて。

当時の映画館は通路側に窓のような枠があり、通路にいる人も映画が観られるようになっていた。
映画の人気をうかがわせる。
でも、私にとっては、映画に飽きた時の観覧席だった。

近くに3館ほどあり、毎週のように観ているので昔のチャンバラ映画はほとんど観ているのでは…と思うが、内容はわかりません。
ただ、大川橋蔵とか美空ひばりが出ていたのは覚えている。
中学生の時はお小遣いをためて、近くの東宝で若大将シリーズやゴジラシリーズを観た。


さて、本題。
私の住む町は小津安二郎監督の生誕地なので、毎月映画が上映される。
「キューポラのある街」吉永小百合主演というのは知っていたが、貧乏人の役を?と期待していなかった。



映画は鋳物の街、その煙突「キューポラ」の立ち並ぶ風景から始まる。
ジュン(主人公吉永小百合)は両親とともに暮らす中学生。
父(東野英治郎)が鋳物工場から解雇を言い渡されるが、組合が勝ち取ってくれた退職金も断るほどの頑固者。

その頃、ジュンの家には赤ちゃんが生まれる。
ところが、父はまともな職に就けずにいるのに放蕩三昧で生活費は底をつく。
ジュンは修学旅行の費用を稼ぐために朝鮮人の友人ヨシエに紹介してもらい、ともにパチンコ屋でアルバイトして働く。

友人の紹介で父の職が決まり、ジュンにも補助金が出ることになった。
ところが、修学旅行当日になり、父は辞めたと言い、おまけに「中学を出たら働け」と言うのだ。
ジュンと弟が怒ると父は逆切れし殴る。
ジュンは修学旅行に行くのを止め、それからは学校へも行かなくなる。
しかし、担任(加藤武)の説得でまた、学校に通い始める。

 ある日、ヨシエたち朝鮮人が祖国に帰ると知らされる。
ジュンは同級生と見送りに行き、泣きながら別れを惜しんだ。
ジュンはヨシエとの別れを機に人生を前向きに考えるようになり、工場で働く決心をする。

 その頃、塚本(浜田光夫)の口添えや組合の力で、父は元の職場に再就職できることになる。
父はジュンを県立高校へ通わせられると喜んだ。
しかし、ジュンは自立するため、昼は工場で働き、夜に定時制へ通うと両親に伝える。

 町工場の家庭や朝鮮人の家庭の切実な貧しさ、そんな中でも朝鮮人に対する偏見や差別の酷さ。
ジュンと弟(市川好郎)の親友は朝鮮人ヨシエ兄弟だった。
その差別から逃れるように朝鮮へと渡るのだったが、大丈夫かと思わざるを得ない。また、古い職人気質の父は一徹で、自分の腕を誇るが、新しい機械化された工場にはなじめないで辞めてしまい、結局は、組合の力で仕事に復帰する。

 これらの問題は、現在にも通じている。
人種差別・貧困格差・労働解雇は今も深刻な問題だ。
残念なのは、この時代のように労働者同士が組合を通じて助け合うという意識が薄れていることだ。

 早船ちよ原作を浦山桐郎が監督、脚本を今村昌平・浦山桐郎、音楽は黛敏郎。
作品は1962年。



浦山監督が吉永小百合に「貧乏について考えてごらん」と投げかけ、撮影中も役に入るまでは何時間でも待ったというエピソードが残るくらい、それまでのさわやかなイメージを払拭した演技が見られる。

また、周りの役者の上手なことに驚く。
父・東野英治郎、弟・市川好郎、母・杉山徳子。
それぞれの渋く深い演技で支え、貧しさの中からジュンが環境に甘えず自立する姿を際立たせるように感じた。

もし、チャンスがあったら、是非ご覧あれ!

(写真はWEB上から転載させていただきました。)

<映画好き>

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