軽井沢に住む会員の増田かな子さんから、
手紙と共に、
ご本人が書かれた書籍が2冊届いた。


タイトルは、
アマウツシのもり』。

 

 

 

 

 

そしてもう1冊はその続編らしく、
アマウツシのもり2

 

 

 

 


まず最初に驚いたのは、
一緒に同封されていた手紙がまるで写植したかのように美しい文字列。

つい便箋を裏返して、
筆圧やインクの滲みを確認したくらいであるw。




実は多くの方から書籍を頂戴するのだが、
今から30年ほど前に速読術講座を開発した反動からか、
ほとんど1冊丸ごと読むことはなくなった。

今までは頂いたのに大変申し訳ないが、
前書きだけ読むか、
パラパラめくる程度が関の山。

それが今回は違った。

まず表紙を見てみると、
タイトルの『アマウツシのもり』とはいったい何だか分からないが、
分からないながらもなぜか幻想的な言葉の響きに惹かれた。

※著書には一切その説明が書かれてないが、
どうもカタカムナの「生命の本質と作用」を指すものらしい。
アマウツシ


表紙の帯には、
「ほんとうの名をみつけてごらん」。

 

 

そして裏の帯にはこう書いてある、

 



「識(し)る」とは
心の中に
その意識を有すること

このアマウツシのもりへ
たどり着くのは
自分のほんとうの名(本質)を
識(し)っている者
あるいは
真に識(し)ろうとしている者だけ



そして早速1ページ目をめくり、
最初から読み始めた。

するとどうだろう、
1文字1文字がスーと心に浸透していくのだ。

それも違和感なく、
自然にまかせてスーと。

難しい言葉は一つもなく、
まるで童話のように物語は進行していく。

情景もイメージとして目の前に浮かんでくる。

一見、
メルヘンチックな物語なのかな…とは思ったが、
読み進めているうちに、
いつの間にかその世界に引きずり込まれている自分がいた。

そこには一般の物語にありがちな、
強引ともいえるメッセージ性もなく、
作者が訴えかけたい意図もない。

ただ1冊読み終えて、
昔、森の中でさまよった時に感じたような、
なんとも言えない清涼感と清々しさが込み上がった。

そこには良い・悪い、
常識・非常識の枠などなく、
ただ感じたままの自分という存在がいる。

そして逆に、
今まで生きてきて、
知らず知らずいろんなものを身にまとって、
自ら束縛と不自由を求めた自分が見えた。

心の解放、
自由とは何なのか。

そして、
本当に自分が求めているものとは。

そんなことを感じさせた、
不思議な物語だ。


あっという間に1冊読み終えて、
次の2冊目を手に取る。

その表紙の帯を読み、
さっきそう感じた答えが書いてあった。

 



これはね、
“内のものが外になり、外のものが内になる”
という鍵よ



あのね
ほんとのっていうのが
あるだけなの

あとは
あるようでも
ほんとは
ないの


ギョッとした。

まるで自分の心の奥を、
母親から見透かされたような気がしたからである。

それでいて、
読んでいて心が安心し、
とても温かくなるのを感じた。


この2冊の書籍と共に手紙を頂いたのが、
昨年の12月27日。

仕事納めの大掃除のさなかだった。

そこで家に持ち帰り、
夢中で読んだ。

読んでいながら、
素晴らしい本だと思いながらも気がかりなことが一つだけあった。

手紙の中の一文である。

お恥ずかしいのですが、
何か自分にできる社会貢献のようなものを…
という気持ちで出版した拙著ですが、
売ることをあまり考えていなかったのでさすがに売れず、
近々、(二冊の)この子たちは多分絶版になる予定です(笑)。


この本を是非ブログで紹介したいと思っていたのだが、
絶版では皆さんに紹介できない。

それを確認しようと、
早速増田さんの電話番号を調べ直接連絡した。

奇麗な文字が表していたように、
とても清楚で気品のあるお声だった。

そこで、
JESの本井である事を告げると、
かなり驚き感動されていたw。

命水を飲み始めてから、
いろんな体調の苦しみから解放されたこととか、
読んでもらったことが今年一番の喜びです…とか。

※今年始まったばかりなんだけどなぁw…。


ズバリ聞いてみた。

本井:

あの~、

この本が絶版されるなんて残念ですね。

すると…

増田さん:

それが不思議なんです、
本井さんに本をお送りしてからすぐに、
出版元の担当者から電話があったんです。

あまり売れてはいないのだけれども、
今の世に必要な本なので再販が決まりました…と。


!!!

出版元の文芸社では、
売れていない本の中でも、
良著だと思われる本を数冊だけ抜粋し、
特別に再販する制度があるのだという。

偶然にも、

この本がそれに選ばれたというのだ。

いや、
偶然と言うのはないのかもしれない。

あるのは真実(本質)だけ。

その証拠に、
先ほどの本の帯に書いてあった言葉を、
もう一度述べよう。


このアマウツシのもりへ
たどり着くのは
自分のほんとうの名(本質)を
識(し)っている者
あるいは
真に識(し)ろうとしている者だけ


あのね
ほんとのっていうのが
あるだけなの

あとは
あるようでも
ほんとは
ないの・・・