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『つみびと』山田詠美緒 著ー2児放置死事件がモチーフ

2010年6月、大阪市内のマンションで母に置き去りにされた幼い姉弟が餓死した事件をモチーフにして山田詠美さんが書いた長編小説です。

山田詠美らしいタッチで書き上げていて、重いテーマであり、かなり長い小説ですがとても読みやすく、小説の中に引き込まれていきました。

現在もあちこちで起きている児童虐待の痛ましい事件が報道されていて、耳を塞ぎたくなるような思いでいますが、この小説から何故このような事件が起きてしまうのか、心の深い部分を私たちに提起しているようです。

子供をどのような形にせよ死に至らしめるような虐待をしてはいけないと言うことは誰でもが思うことでしょう。

子供を置き去りにした母親は母、祖母と疎遠で温かな愛情を受けないで育ちました。貧困も連鎖すると言われるように子育ても連鎖するのでしょうか。

母親に育てられたように自分の子供を育ててしまうと言うことをどこかで読んだ事がありますが、この小説からもそのような生い立ちが伝わってきます。

私は振り返ってみて、これらの家族とは全く違った育ち方をしたし、真面目すぎて若い頃は何も出来ない真面目一方な子供時代を過ごしましたが、この小説の女性たちの心がとてもよくわかります。

このような罪を犯さなければならないような環境下で育った女性たちをの生き方を書いて、これらは誰にでも起こりうることだという普遍性を描ききり、人間の罪深さを誰にでも起こりうる問題として提起されたと思いました。

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『つみびと』のあらすじと感想

子供はとてもかわいい物です。大方の人にとってはそうだろうと私は思っています。

反面、育てるのはとても大変です。大げさに言えば、自分の時間をすべてを使ってもあまりあるくらいで、睡眠時間もトイレに行く時間さえない孤独の中での仕事を強いられます。

そんな時間はあっという間に過ぎてしまうのですが、そんな不安定な時間を孤独の中で乗り切らなければなりません。

私もずっと昔にそのような時を過ごし、あっという間に終わってしまいましたが、その当時を冷静に振り返るとかなりしんどかったことを思い出します。

夫は企業戦士で、何の役にも立たず、転勤族だったために知り合いもいないところで、病気になっても助けてもらえなかったことを思い出します。

『つみびと』のあらすじ

桃太4歳、萌音3歳の二人の子どもをマンションの真夏の灼熱の中に置き去りにして母の笹谷蓮音(23歳)が遊びほうけている間に死んでいった児童虐待事件はテレビで連日放映され大きな社会問題になっていました。

蓮音の母である、琴音は母が日常的に夫から暴力を振われるのを見ながら成長してきました。それが子供の勝、琴音に及ぶこともしばしばでした。

そんな、辛い思いを聞いてくれたのは、パン屋の信次郎さんでした。下田家はあまり好かれていなかったのですが、信次郎さんは、喫茶店を開いている叔母の類子が好きだったようでした。

ある日、早めに帰ってきた(父)が琴音に母がいないことに腹を立てていたとき、急に倒れて亡くなってしまいました。あちこちに病気を持っていたが、死因は急性心筋梗塞でした。

下田家に入ってきた継父の信夫は優しかったのですが、琴音は何もわからないまま性的虐待を受けるようになったのです。母は見ぬふりをしていたようですが、精神的に不安定になった琴音の振る舞いでそれは自然に少なくなり、信夫は去って行きます。

高校生になった頃、友人に誘われて少年野球を見に行き、その場で笹谷監督を好きになりました。友人がいかない日でも少年野球に行供養になり、高校を卒業したときしたときに笹谷隆史に、琴音の方からプロポーズしました。

彼から20歳になったら結婚しようと言われて結婚することになります。長女の蓮音、勇太、彩花と三人の子供に恵まれ、とても幸せだと思っていたが、信夫から受けた子供の頃の疵は癒えていなかったようです。

やはり精神が病んでいたのです。隆史もそれに気づき、精神病院に入院する事になってしまいます。そんな状態の中関係は悪化、外を出歩くようになり、実家に行ったり男のところに行ったりと家に帰らないことが多くなり、離婚することになってしまいます。

そのとき小学生だった蓮音は、弟や妹の面倒に明け暮れる事になります。父が新しい女を連れてきますが、長くは続かず蓮音は一生懸命弟や妹の面倒を見るのでした。

母の愛情も知らずに厳しい父の元で弟、妹の面倒を見ながら育った蓮音もまた、愛情を受けた事のない犠牲者でした。

大学生の真面目な松山音吉と知り合い、桃太と萌音という子供を授かり幸せをつかんだと思ったのですが、音吉とは生まれた環境も性格もことごとく違っていて、音吉はマザコンであり、実家に言ってしまうことの多い夫でした。

気持ちは優しくても母のいいなりの音吉の間に隙間風が吹いた頃、家を出て昔の仲間と遊ぶ楽しさを知ってしまった蓮音は、離婚せざるを得なくなります。

誰からも援助を受けることなく、東京でキャバクラや風俗店を転々としてきて、最後となるキャバクラでこぎれいなマンションを借りて、最初は保育園に子供を預けて働いたが、そのうち家で留守番をさせて仕事に行くようになっていたが、だんだんと遊び歩いて帰ってこなくなってしまいました。

何かが麻痺してしまったのでしょう。そんな中で閉じ込められた子供たちは死んでいったのです。

追い詰められていたとき、母親の琴音のところにも訪ねていったことがありますが、琴音は精神的に病んでいて役に立ちませんでした。

夫も夫の両親も孫を母親から続く血のせいにして、なにの手助けもしてくれませんでした。誰も頼る人がいない中で生活することの厳しさは私たちにも少しは想像がつきます。

愛情を知らないままに育った母と娘は、子供を思いやりながらも死なせてしまったのです。

琴音は性暴力のために心を病んでしまいましたが、一緒に育った兄がいて、精神病院からひきとってくれましたが、蓮音にはそのような人もいませんでした。

また兄が結婚することになったとき、母の元に返りましたが、叔母の類子も琴音の所にはいました。

琴音は定年を前に地元に帰ってきていた信次郎さんに誘われて喫茶店を手伝うことも出来るようになり、幸せになっていました。

母親らしいこともしなかった琴音は、蓮音に何が出来るかを考えるとともに、自分のしてきたことの責任を感じ、出来ることはないと思いながらも蓮音の事を知りたいと思うのでした。

なんとか、蓮音のことを知ろうと、最後に蓮音に出頭を促したという森山に会うことが出来ました。森山が出頭を促したとき、『わかった、じゃあ友達になってくれる?って」言ったのだと教えてくれました。

森山からは子供のことを知ることは無理だろうと言われました。

それから何度も何度も会いに行き、手紙を書き、差し入れをしても会ってもらえませんでした。

そんなことが続いて、やっと会うことが出来た時、お互い言葉をかけることが出来ずにいましたが、『ないか差し入れほしいと聞くと「Banと蒲焼さん太郎」と言います。

その後言葉が繋がらず、何も言えないままに時間が過ぎ、来て立ち上がった娘の名前を呼び、「幸せ」と言うことが出来ました。

『つみびと』の感想

子供の虐待を連日のように報道しています。親が子を死ぬまで虐待するというむごい事件を聞いていてとても辛いですが、すべてを否定できない思いもどこかであるためにとても辛い気持ちになります。

私は育った環境も性格も違いますが、それでも母親という立場から、すべてを責めきることは出来ないでいます。

この小説では、子育ての大変さという立場からではなく、よく言われる子育ての連鎖と言うことを問題にしているように感じます。

よく、親に育てられたように子供を育てるという言葉は聞くことが多いと思います。理性ではわかっていながらどうしようもないと言うこともあると思います。

でも、この物語を読んでいて、父親の立場という物も大きな問題を含んでいるのだろうと思います。

母も娘も、夫とはかなり違った環境で育っています。まるで違った環境で育っていれば価値観も違いますし、子育ての方針も異なるのが普通です。

それが、決定的にかみ合わなくなったときに、問題が起きるのだろうと思います。

そのように考えれば、このような問題は誰にでも起きる可能性を秘めていると思いました。

母子家庭となって、誰にも助けてもらえなくなったとき、どのような解決策があるのだろうかと疑問と、社会の問題点も考えさせられました。

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