ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

片付けも選択肢を少なく

2024年04月05日 | ●断捨離

 

私は今、ゆるゆると「終活」にとりくんでいる途上・・・

と思っていて、

片付けも、ゆるゆる、ダラダラと続けています。

 

こう書くと、しっかり続けてるんだ、と

思われるかもしれないけれど

(逆かな? 片付けは一気に、という人もいますからね)

とんでもなくて、

ずっと止まって、時々、少し進む、

たまに急に進む、

みたいな状態が常態で何年もやってきました。

 

でもね、できない、進まない、と言っていても

自分の気持ちは上がらないので、

少しずつでも何かやって、

できたものは「できた」とポジティブに捉えることで、

自分で自分を応援しようと思うことにしました。

 

 

そんなわけで、

片付けネタ多めになります。

(っていうか、ほとんど片付けブログになりつつあるかも?)

 

 

 

「とりあえず置いておこう」になるわけ

 

 

最近、ずっと気になっていたリビングの背の高い家具2つを処分し、

その代わりに背の低めの家具に変えました。

 

結果、リビングが落ち着いて、

それを眺めているのがなんだか気持ちよく、

ソファに座って読書、みたいな時間も増えました。

 

 

一旦そうなると、

それまでは、「ま、いっか」と思って、

とりあえず置いておいたものが気になり、

その場から無くしたい、という感覚になってくるから面白い。

 

これが先日書いた、

「片付け筋」が少しついてきた状態かもしれません。

 

 

そうして、思い出したことがあります。

「人は、選択肢が多いと選べない」という話。

 

たとえば、

ジャムが24種類あるのと6種類あるのとでは

どちらがよく売れるか?

といった話があります。

 

これ、6種類の方が売れるんですね。

3とか5とかが良いと言われたりもするようです。

 

理由は、シンプルに、

人は、多すぎると選べなくなるから、です。

 

確かに、私も、選んで決めなくてはならない時、

選択肢がいっぱいあると考えすぎてしまって

頭が疲れてきて、

 

「あー、めんどくさ。

 もう、あとで考えよう」

 

とか、

 

「もう、買うのやーめた!」

 

と、簡単になります。

 

 

それと同じで、

モノがありすぎる状態だと、

人の脳は、どれを残してどれを捨てるか、

選べなくなるんだろうな、と思います。

 

それで、

「とりあえず、置いとこう」

となって、

使わないものもそのまま残る、

という現象が起きているんだと思います。

 

それが、ある程度、片付けられて、

すっきりもしてくると

要る・要らないも、判断しやすい、

つまり選択しやすくなるんだと思うのです。

 

 

 

●2者択一は強制と同じ

 

そうだとすると・・・

 

無理に、要る・要らないの2択を迫って、

一度にすっかり片付けよう、とするのは、

ハードルが高いことになるでしょう。

 

だからこそ、

片付けは、螺旋階段を登るように、とか

筋トレのように、とか、

徐々にやりながらステージを変えていくもの

と思えばいいんじゃないでしょうか?

 

これ、片付けの専門家からしたら、

「当たり前」のことなんでしょうけれど、

私は、やっと最近わかってきました。

 

以前は、

その場で「要・不要」の判断ができない自分は

なんてダメなやつなんだ、と

自分を責めたりして、

片付けをますます苦手だと思い、

片付けを考えるだけで心が重くなり、

結果的に片付けが進まない、という

悪循環の中にいました。

(まだ、そこに居るけど)

 

それが、

「要・不要」の他に「判断に迷う」という選択肢を作り、

そこに一定期間置いておく、

ということをすることで、

グッと楽に選択できるようになりました。

 

コーチングでも、

選択肢が1つや2つだと、強制と同じ。

選択肢は3つ以上出してみよう、

と言われます。

そして、クライアントが3つ以上選択肢を考えられるよう

サポートするのもコーチの仕事、と

マイコーチに言われたことを思い出します。

 

 

●「とりあえず」のその後

 

では、「とりあえず」「判断に迷う」に分類されたものは、

その後どうなるの?

という疑問も、

当然ながら、湧いてくるのではないか、と思います。

 

それについては、

面白いもので、

時間が経ってくると、

自然と、「もういいか」と思えてきて

手放していけたりすると思っています。

 

特に、「とりあえず」のものたちを

目に見えるところに置いておくと、

その間、それまでは隠れていて対面していなかった

そのモノたちと、

自然と心の中で対話することになるせいか、

ある時「もういいね、ありがとう、さようなら」

と思える時が来る感じ。

 

あるいは、「あ、そうだ!」と閃いて、

そのモノに、新たな、ぴったりの役割を

任命することもあります。

「そっか、あなたはこれを待ってたのね」みたいに。

 

だから、私は、部屋全体とか家全体が

ある程度、これで落ち着いたとなる時、

言ってみれば、試行錯誤を経て、

全てのものに定位置が決まり

何が本当にあぶれるのか、自分で納得する時までは、

「とりあえず」ちゃんたちには、

家に居てもらおうというスタンスです。

(ま、置ける範囲でね

 

 

 

#片付け

#断捨離

#選択肢が多いと人は選べない

#選択肢は3つ以上

#要・不要

#「とりあえず」に置き場を

 

 


「片付け」は筋トレと同じ

2024年04月04日 | ●断捨離

 

●突然過去を見た

 

Facebookを見ていると、

過去の同日にアップした写真を提示してくれたりします。

そんな時、

「~年前の自分もおんなじだなあ」と感じることがあります。

 

先日は、10年も前に、

その日に「捨てたよ」というものを

アップしていたのが出てきました。

 

それを見て、

10年前も「断捨離」しなきゃと思っていたなあ、

変わってないじゃん、自分

と思いました。

 

同時に、

今なら即刻ゴミ箱行きなのに、

10年前は、それをやっと捨てた、という感じだったな、

とも思います。

 

そこには、

「進歩してるよ、自分」とも感じました。

 

 

●片付けは螺旋階段を登る、筋トレと同じ

 

そんなふうに、ものを処分する、片付ける

ということは、終わりがなく、

まるで螺旋階段を登るように

ぐるぐると同じことをしながら

ステージを変えていくんだな、と実感します。

 

片付けは、筋トレと同様だと思います。

いわば「片付け筋」とも呼ぶべき片付けの筋肉は、

筋トレと同様に、

体を使って何度もトレーニングすることで

少しずつ鍛えられていく。

 

筋トレの本をいくら読んでも、

筋肉はそうそうつかないように、

片付けも、実際にやってみて、

気持ちがいいとか、軽くなったとかということを

体感する、体で実感するからこそ、

さらにできるようになるんだと思います。

 

 

もし、なかなか片付けができない、

という人がいたら、

とりあえず「5分だけ」と思って

とにかく、体を動かして行動してみる、

ということがオススメです。

 

脳の「作業興奮」という仕組みに働きかけることができます。

 

 

 

#片付け
#筋トレ
#螺旋階段
#片付けは体感することから
#作業興奮



 

 

 

 


老人と子どもと自立ということ

2024年02月12日 | ●子育て・家族

 

 

自分で考えない

自分で決めない

自分で行動しない

 

 

●認知症の人に共通すること

 

たまたまみた動画で、

介護士の方が認知症の方に共通すること

としてあげていたのが、

冒頭の3つでした。

 

認知機能が低下してくると、

そもそも脳がうまく作動しないから、

考えられない、だから決められないし行動もできない、

となるのは当然かとは思います。

 

ただ、その介護士の方は、

「だから、それをしないようにすることが、改善につながる」

と言っていました。

 

つまり、

 

自分で考えるようにする

自分で決められるようにする

自分で行動できるようにする

 

 

すでに認知症を発症した人たちに対して、

これをしていくことは、なかなか根気のいる、

大変なことだろうと思います。

 

同時に、これはまた、認知機能低下の防止にも

つながるのかもしれないと思いました。

 




●人生は来た道を戻るが如し

 

 

ところで。

 

私には、現在、7歳と1歳半の孫と、

91歳のアルツハイマーの母がいます。

いわば人生を始めたばかりの人たちと、

これから人生を終えようとする人の、

両方を同時に観察する機会を持ちます。

 

そんな中でよく思うのは、

まるで山を登って下るように、

人の人生とは初めに辿った道を

逆に戻っていくようなものだなあ、

ということです。

 

子供叱るな来た道だもの

年寄り笑うな行く道だもの

 

という格言(?)がありますが、まさにそんな感じ。

 

 

そう思ってみると、

自分で考え、自分で決めて、自分で行動する

というのは、人として、大人として

自立して生きるためには、

基本的なことだと、改めて思う次第。

 

そして、そうした自立した大人から

だんだんと遠ざかってしまうことを止めるために

自分で考えること、決めること、行動することの3つを促すのならば、

そうした自立した大人に近づくためにも

その3つを促すことが、

とても大事だと思うわけです。

 

 

老化を考えることは

すなわち子育てを考えることにも重なるな、

と思います。

 

 

 

ちなみに、先ほどのこ格言(?)は、

次のように続くようです。

 

来た道 ゆく道 二人旅

これから通る 今日の道

通り直しのできぬ道

 

 

 

#認知症

#老化
#終活

#子育て

#自立



 

 

 


ご無沙汰しています

2024年02月02日 | ●ご挨拶・ご案内

 

大変ご無沙汰しております。

見返すと、前回、ここに投稿したのは

3年半前。

コロナ禍になって半年の頃でした。


これまでにも、

書いてみたり、止まってみたり・・・

 

そもそも、この場は、

私にとっては「練習」であり「実験」の場でもあったのですが、

止まってしまうのは、

その目的が自分でも定められなかったから・・・

かなあと思います。

 

書くこと自体は苦ではなく、

日々、書きたいことはいっぱいあるのですが、

私の日々の想いを書くことが、

読む方にとってはどんな意味があるんだろう?

そんなことを考えると、

つい、手を止めてしまう・・・

 

それでも、

この場を時々覗いてみると、

こんなに空白を開けているにも関わらず、

見に来ている方がいらっしゃる。

それにいつも驚かされ、

ありがたい気持ちになります。



そんなこんなで、クローズすることもなく

放置していたこの場ですが、

せっかく紡いできたものがあるのだから、

また、紡いで行ってもいいかな、と、

ふと、書き込んでみました。



ちなみに、

今年2024年の私のキーワードは

「流れる」。

「流す」でも「流される」でもなくて。

 

歳をとってきて、至った思いかもしれません。

 

なんか、これまでは、

川の流れの中にいて、その流れにただ身を任せれば

やがて行きたいところに流れていくのに、

わざわざ自分の足で、

その流れの中を歩いていたような気もしています。

 

でも、自分の足が届かない深みなども増えてくると、

もう歩きたくても歩けなくて、

ただ泳ぐしかないし、浮かぶしかない。

そうやって力を抜いた方が、

結果、流れが運んでくれて、

行きたいところに早く着くんじゃないか。

 

そんなことを感じるようになったのかもしれません。

 

 

そんなわけで、

ふっとまた、書いてみようと思ったのも「流れ」。

 

続くのかどうか、わかりませんが、

読んでくださる方、

どうぞぼちぼち、またよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


モノには気持ちが乗っていく

2020年06月14日 | ●断捨離

 

ごきげんいかがですか?

 

緊急事態宣言が解除されましたね。

そして関東も梅雨入りしています。

ときは移っていきますね。

 

そういえば、前回(こちら)、書きましたが、

我が家のメンバーが増えました。

 

ジャ〜ン!

 

 

当初6月半ばになる、ということでしたが、

なんと、注文から1週間くらいで到着。

 

 

そうとわかっていたら、

しなかったと思われる「ポチッ」の

第2弾がありまして……

 

この子も仲間に。

 

 

 

で、

それも待ちきれないかも、と思い、

実は第3弾もありまして……

 

 

 

結果

こんなことになりました↓(爆)

 

 

 

 

なんだかなあ、自分・・・

という感じですが、

この子たちと仲良く暮らしております。笑

 

 

 

●ぬいぐるみに乗せる思い

 

ぬいぐるみは、目鼻があったり、

生き物になぞらえて作ってあることがほとんどのこともあり、

ついつい、そこにあたかも生き物のような

「いのち」というか「魂」というか、を

乗せて見てしまいますよね。

 

反応をしてくれるわけではないのに、

語りかけてみたり。

 

喜怒哀楽を共にする感覚もあるかもしれません。

 

だからこそ、処分するときは、

離れがたい、捨てがたい、

と感じるのでしょう。

 

そこには思い出が詰まっているから。

もう、家族のような存在だから。

 

 

 

 

でも。

ぬいぐるみは言ってしまえばただの「モノ」です。

 

 

この、「モノ」に思いを乗せて特別なものとしてしまう行為こそが、

私たちがものを処分できない元凶といえるのでしょうね。

 

 

 

●ものを手放すとは、そこに乗っている感情を手放すこと

 

ものを手放せないというのは、

結局、自分の感情を手放せない、ということ。

「もの」(事実)と「感情」を分けられないということ。

 

だとしたら、

ものを処分するためには、

その奥にある自分の感情をどう整理するか、

そこに向き合うことが必要ですね。

 

そのためには、こんなステップを踏む必要がありそうです。

 

1)そのモノに乗せている自分の感情は何か、気づく。

 

2)乗せていた感情は今はどうなのかを自分に問う。

 

3)もう、満たされていたと分かれば、そのモノに

  「自分の気持ちを満たしてくれたありがとう」とお礼を言って、

  お別れする。

 

4)感情が未だに生きていると分かれば、

  再度、どうしたらその感情を満たせるのか、

  自分に問う。

 

5)答えが出なかったり、答えが分かった上で、

 そのものを持っていることを選ぶのであれば、

 持っていることにする。

 

では、答えが出せない場合は……?

そのときは、その気持ちのさらに奥にあるものを探っていく

必要があるでしょう。

 

 

今回、うちに招き入れた3人(匹? 個?)を

手放すとき、

私自身はどんなことを思うのかな、

どう思いたいかな?

 

来たばかりですが、

そんなことも考えている自分がいます。