【連載】めろん。35
・三小杉 心太 26歳 刑事①
他言無用、あくまで内密に。
三小杉宛に届いたメールにはそのように念を押す文言があった。
それだけならば怪訝に思いつつも無視を決め込むこともできたが、僕はそうしなかった。なぜなら『両間伸五郎』の署名がしてあったからだ。
綾田や高橋には悪いが、僕の憧憬する将来はあんなうだつの上がらないたたき上げの現場刑事ではない。
警察組織でも特別な存在である公安こそが僕のいるべき場所なのだ。
両間と親しくしたところで出世にかかわる、なんてことはないことは知っている。だが僕がいつかそこへ配属された時にはきっといい方向に導いてくれることは確かだった。
綾田たちは疎ましく思っているみたいだが、あんな連中よりもよっぽど両間のほうがいい。今、自分が経験という名のもとに現場に飛ばされているのが無駄以上のなにものでもないと思っていた。
現場に出向くような刑事は三流だ。早く僕は本庁からでない仕事に就きたい。そのために必要な通過儀礼だとしても。
「それにしても……」
指定されたビルを見上げ溜め息を吐いた。
意表を突いた佇まいのビルを前に『他言無用、内密』から胸に膨らんだ期待が急速に萎んでいく。
そのビルとは、カラオケボックス店だったからだ。
「両間、で入ってる部屋は?」
フロントに部屋番号を聞き、エレベーターで上がった。
案内の部屋は一番奥、団体用のパーティールーム。小窓から覗くと両間が気持ちよさそうに歌っている姿が目に入った。
「ええ……マジ歌い……」
思わず苦笑いが浮かぶ。意を決し部屋に入るとひとり立ち上がり熱唱する両間とそれを見上げ手拍子をする無表情の黒服たちの光景が目に飛び込む。
わかりやすく接待のような気もするが、どこか異質にも見えた。
「ベイエリアからリバプールからこのアンテナがキャッチしたナンバー」
なんの歌だろうか。サウンドから懐メロだということだけはわかるが、誰の曲かまではわからなかった。
ひとまず黒服たちに交じってソファに腰を落とすと両間の歌に手拍子でもって耳を傾ける。歌唱力はまあ……普通だ。
「あぁこんな気持ちうまく言えたことがない~……ない」
気持ちよさそうに歌い切った両間はマイクを置くとようやく僕の存在にきづく。
「やあ、きてたんだね。ええっと、小森くんだっけ」
「三小杉です。今日はお呼びいただいて光栄です。以前から両間さんのことを尊敬」
「RCサクセションだよ。わかる?」
「……は? RCなんですか」
「忌野清志郎。知らないのかい? 勉強不足だよ小森くん」
「すみません。あの、三小杉です」
両間はグラスに手を伸ばすとストローをすすった。緑色の飲み物はメロンソーダだろうか。
「なにごとも雑学を制する者が世の中をうまく渡るんだ。真面目そうに見えて実はなにかにこだわりがあるとか、そういう人間のほうがおもしろいだろう?」
そうですね、と相槌を打った。なぜか両間はそんな僕を見て大きく息を吐く。
「君、なんかそういうのある? 学生の時や小さなころからずっとやってることとか」
「そろばんと英語でしょうか。中国語も少し」
そういうことじゃないんだよね、とつぶやき両間はもういいと手で制した。
一体なにを期待しているのかさっぱりわからないが、期待に添えられなかったことで焦りを感じた。
「でも父は外交官でして、母は昔ミス……」
「わかってないなあ。親は関係ない。僕はいいけど、そういうの他の人の前であまり言わない方がいいよ」
口の中が渇く。一体僕のなにが気に入らないというのだろう。次になにか話題をださなければと思うほど焦りが募る。
せっかくのご指名なのだ、ここで気に入られなければ。誰にどんな評価を口にされるかわからない。
「まあいいよ。君、来週の金曜日休める?」
「え、有休の申請は一か月前でして……」
はあ、と溜め息をつくのと見て慌てて訂正した。
「大丈夫です! 休めます。安心してください」
「安心って、別に君じゃなくてもいいんだけどね。無理しなくてもいーよ」
「いえ、決して無理はしていません。是非」
ずるずる、とグラスが空になる音が室内のBGMと混じった。
「飲み物、入れてきます! メロンソーダですか?」
「そう? じゃあジンジャーエール」
グラスを受け取り、ようやく役に立てると思わず笑みがこぼれた。両間は釣られるように微かに口角をあげる。
ジュースカウンターでジンジャーエールと新しいストローを取り、部屋に戻ると両間は一転して上機嫌そうな顔を浮かべていた。
「どうぞ」
「ありがとう小森くん。じゃあ、早速打ち合わせをしよう」
三小杉です、と訂正するが両間はまったく聞いてないようだった。
両間が話した内容はほとんど伏せて項目で、結局なにがしたくて自分が呼ばれたのか理解するに困難な内容だった。できるだけ顔にださないようにして聞いていたが、両間は最後に「ま、くればわかるよ」と締めくくった。
そして、指定された日がきた。
駅のロータリーには黒のセダンが停まっていて、ウィンドウから顔を覗かせたのは両間ではなく取り巻きの公安職員だ。
「乗って」
二時間を超えるドライブで男が口にしたのは、そのたったひとことだけだった。
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