【連載】めろん。61
・綾田広志 38歳 刑事⑱
ドアが開き、中に足を踏み入れる。
規則的なエアを送るような音と、時折小さく存在を知らせる電子音が鳴っている。視界に広がっているのは、リクライニングシートに似たベッドに寝かされている人間たちだった。
パッと見て五〇人……いや、もっといる。
「これがメロンの正体か?」
そうだよ、と坂口は語りそばのベッドに近寄った。
「ここで眠っている人間たちにはある薬品を投与してある。意識を取り戻すと面倒だから、ずっと寝てもらっている」
そう言って目を落とすと高校生くらいの少女が腕から管を伸ばし眠っている。坂口は少女の前髪を整えてやりながら寂しそうな顔をした。
はじめてみる表情(かお)だった。
「ここで寝ているのは?」
「もうわかっているだろう。メロンを発症した人間だ」
驚きはしなかった。坂口が言った通り、大方予測はついていたからだ。
蛙子もそうだったようで、特に反応はしていない。
「ただし、ここにいる者たちは人間を食っていない。『まだ生きる見込みがある』者たちだ」
「生きる見込みだと」
「そうだ。一度人の肉を食えばその人間は生きることをやめてしまう。やめる方法は『食べることを放棄する』ということ。人間に限らず生きとし生けるものは食わないと死ぬ」
「その管から投与しているのはつまり〝食事〟ということか」
「そうだ。こいつらは人以外の肉を受け付けない。血なら飲むが水も飲まない。そうするとこうやって別の場所から栄養を補給するしかない」
坂口と話しながら室内を見回す。彼以外の研究員の姿はない。
「悪いがワクチンを開発しているようには見えないな。メロン発症者を生かさず殺さずのまま管理下に置いているだけのように見える」
「ワクチン、と言ったが正しくは違う。正確にいえば、『ワクチンになりえる人間を作る』ことが目的だ」
「意味がわからないな。どういうことだ」
「結論をいうと、メロンは薬では治らない。だから薬や治療法の研究はしていない。かわりに『正気に戻る人間』の特性を調べている」
「正気に戻る人間?」
坂口の言葉を反芻し、ハッと顔を上げた。
「そんな人間がいるのか!」
「ああ。数百人にひとりくらいの確率で現れる。『人を食わなくても正気に戻る人間』が」
「だったら!」
蛙子が叫ぶ。続く言葉は聞かなくともわかった。
『理沙を正気に戻してほしい』……だ。
「研究していると言った。ここにいるのは様々な年齢層のメロン発症者だ。経過を観察しながら、どういう人間が戻りやすいかの統計を取っている」
「待てよ、……じゃあここではすでに〝戻った人間がいる〟のか?」
坂口はうなずいた。
そばで蛙子が「すごい!」と明るい声で叫ぶ。
「だが確実じゃない。ここへ来たものがみんな正気に戻るという保証はない。だが俺の言いたいことももうわかるはずだ」
「理沙を預けろ、というのはここが理沙にとってもっとも安全だから……か」
「そうだ。すくなくともここで俺が見ている限りは起きることもない。起きないということは人の肉を欲しないということでもある。ここで直接養分を供給しておけば餓死することもない」
願ってもない話だ。今は眠り続けているが、理沙が起きれば確実に檸檬の肉を欲するようになるだろう。
だがそれはあくまで『坂口が本当のことを言っている』ことが条件である。
「信じられるわけないじゃない」
俺が言わなくとも蛙子が代弁した。
「根拠は示したはずだ」
「根拠ってこの寝てるだけの人たちのこと? これがどう根拠になるっていうのよ。バカにするのもいい加減にして!」
わかりやすく溜め息を吐き、坂口は理解できないとばかりに両手を広げた。
「そういうところがバカにしているって言ってんでしょ。自分が他の人間より利口で賢いって思い込んでいるようなやつに理沙は預けられない!」
俺は口を挟まなかった。蛙子の言っていることは感情的だがもっともだと思ったし、俺自身もまた坂口を信用しきれていない。
ここは蛙子の言いたいように言わせておけば勝手に交渉決裂に至ると思った。
「……これは俺の姪でね」
その言葉に時が止まる。沈黙の中でエアの音と電子音だけが虚しく響いた。
「綾田。お前には意外だったろう、俺がこんなところで人に使われているのは。俺自身だってそうだ。こんなこと好き好んでやるわけがない。こいつが発症するまではな」
「情に訴える作戦か」
そんなもの、坂口らしくない。嫌っているからこそこの男がそういう男でないと知っている。だから本心ではわかっていた、これは真実だと。
「どう思おうがかまわん。だがここにこれだけのメロン発症者がいる。いわばその子供が特別というわけではない。俺からすればついでなのだよ。それに幼い子供が人を食ったり、最悪死んだりは俺も望まん」
「ついで……か」
蛙子と顔を見合わせる。そこまで言われてもまだこの男に預ける度胸はなかった。それが俺たちの共通した認識だった。
「私、信じる。理沙を任せようよ」
だがいともたやすくそんな認識を瓦解させたのは、理沙の姉檸檬だった。
檸檬は強い意思の宿った眼差しで俺たちを真っすぐ見る。
「その人、大丈夫だから」
坂口は「と、言っているが?」という表情だ。
「蛙子と檸檬を置いて行ってもいいか」
ちょっと! と蛙子が食い下がった。
「かまわんよ。そうしてお前が納得するなら」
「だめよ広志! ひとりで行こうなんて」
「俺ひとりだからいいんだ。危険な役目は慣れている」
これもまた、俺の本心だった。
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