しまなみ海道は
いつも通過するばかりでしたが
先日、因島へ行くことができました

因島は造船業で知られますが
瀬戸内海の水軍『三島村上氏』のうち
因島村上氏の本拠地でもあります

さっそく因島水軍城という、ちょっと恥ずかしいネーミングの博物館へ行って見ました

村上氏の出自については確証がないようですが
資料館の説明によると
南北朝時代に南朝側で活躍した村上義弘には子がなく、信濃国から村上師清が養子に入り、その三人の子供が能島・因島・来島の三島村上氏の祖となったとあります(長男義顕が能島、二男顕長が因島、三男顕忠が来島)

さて入って正面には、村上水軍の旗と
大阿武船と関船の1/10模型です


これは大塔宮令旨(元弘3年・1333年)

大塔宮は後醍醐天皇第一皇子で、諸国の有力者に軍勢応援の文を送りました
宛名は村上義弘であろうとのこと


因島村上氏で最も力のあった
六代目村上吉充の像(掛軸)と白紫緋色段縅腹巻


マップは因島村上氏の城の分布です

⑴岡島(小歌島)城;小早川隆景と結び得た城
⑶余崎城:厳島の戦いの報償で得る
⑷青木城、馬神城
⑸青陰城;村上義弘の城?
⑹千守城
⑺長崎城;因島村上氏最初の拠点でピットが残る
青字9  幸崎城、土居城
青字17 美可崎城

因島村上氏は
毛利方として、1555厳島合戦・1576 木津川口海戦に参戦し、関ヶ原の戦いで敗戦後は、毛利氏の船手組番頭となり、代々世襲して明治維新に至りました


青陰城は写真の正面真ん中の
頂上が平たい山で
村上義弘の城という言い伝えもあります



因島水軍城(博物館)のある中庄あたりは
深く海が入り込んでいて恰好の船隠しでもあり、敵の侵入も防げた地形でした


でも--博物館である因島水軍城は、近世のお城のような外観なので、ちょっと勘違いしまう人もいるかもしれません--

傾斜のきつい坂道の上にあり、元々は村上家家老の住まいがあったところだそうです
ん--誰ですか?風雲たけし城みたいなネーミングだと言っているのはww(続く)