そういえば先日
気がついたことがありました

伊予松山藩は
加藤嘉明によって慶長5年(1600)立藩され
寛永4年(1627)に会津に転封の後
二代目藩主には出羽上山藩から
蒲生忠知が入りました

蒲生忠知の母は徳川家康の三女振姫です

振姫といえば
広島藩初代の浅野長晟の正室で
浅野光晟の母です

ということは
松山藩主と広島藩主(共に二代目)は
父違いの兄弟ということになります

振姫の最初の夫は、会津藩主蒲生秀行(蒲生氏郷の子)で、忠郷と忠知と依姫をもうけますが、秀行に先立たれ子を置いて蒲生家を去ります
そして和歌山藩主の浅野長晟と再婚し、浅野光晟を生みますが、まもなく逝去

長晟が広島入りしたのは、それから後です

蒲生忠郷も忠知も子がなく改易
(松山藩主は三代目から松平(久松)家)
依姫の子も続かなかったので

結局、振姫の血筋は浅野家に残り
現在も続いているようです