卯月朔日
桜の春を迎えています

今月も健康で幸運でありますように

尾道市向島は
尾道水道をはさんで浮かぶ島

もともと七つの島からなり
古代の製塩跡も見つかっているようです

江戸時代
初代広島藩主浅野長晟が和歌山から入城し、その際に和歌山の御用商人の天満屋浄友も広島に入り
藩の許可を得て、延宝年間(16731680)~元禄年間(16881703)に向島に塩田を開拓し栄えました

天満屋は屋号で本姓は富嶋
富嶋家は富浜の塩田の西側の山裾に別荘が建て、庭園の『海物園』の一部は現在も残っています

道のつきあたりに三角形の湿地で
浮島があり小さな森の中に胡神社がありました


下の地図の中央に胡神社とある場所です

尾道渡船で向島へ渡って
すぐ西へ歩き
江尻川、天神川を超えて
15分ほど歩いた道のつきあたりでした


地元の老人が話しかけてくださりました

海岸線には木造船も造る造船所がたくさんあった
塩田経営者は六つ七つあったが今はいない
今は住宅地として綺麗に区割りされているのが塩田跡
もともとの住居は山裾だけで、今もある曲がった細い道が古い道---と

楽しいお喋りをした後で


次に向かったのは港近くの厳島神社
(手前の石像は狛犬ではなく手水です)

先述した富嶋家が富浜古新田(塩田)の守護神として、延寶8年(1680)現在地(元の明神島)の亀山に岩屋を掘り、その中に社殿をしつらえました

天和3年(1683年)更に新たなる社殿を建立し、嚴島明神を勧請し「富島大明神」と称し、明治維新に「嚴島神社」と改称(HPより)


なんとここも富嶋家ゆかりでした


向島は中世には『歌島』とも言われ
文人墨客が訪れ
海物園でも歌会があったのでしょうか

「詠当神社詩 於海物園」

と四つの漢詩が刻まれた碑がありました


また常夜燈には
富嶋家奉納とありました(文化3年)


境内を出てすぐに
『明治十一年 金刀比羅宮』とある
大きな常夜燈がありました

元禄10年(1697)塩田がほぼ完成した頃から、願いごとや防犯の役割を込めて、こうした常夜燈が作られ、昭和20年頃まで当番で点灯していたようです


豪商富嶋家ゆかりの地へ行けて大満足し
渡船に乗ったら
ちょうど帰宅時間になっていて船も満員
海風に吹かれながら数分の船旅

8200歩のお散歩もできました