愛媛県の続きです
今治市はかつて伊予国国府のあったところで

神宮町(かんのまち)には
このあたりを治めた
麻(後の野間)国造の若彌尾命ゆかりの式内社
野間神社があります


神門の中には
櫛磐間戸神・大直日神


神直日神・豊磐間戸神の神像
御門にて外敵侵入を防いだり穢れを祓う神々です


石段をあがって本殿へ
立派な神殿です
狛犬が大きくてあまり見かけないお姿です

ご祭神は
飽速玉命・若彌尾命・須佐之男命・野間姫命

飽速玉命は安藝の國造ですが
その孫が若彌尾命
若彌尾命は神功皇后の三韓征伐で戦功をあげ
後に怒麻(野間)國造としてこの地方を開拓
また野間姫命は御妃になります


さて帰ろうと道路まで出たら
宝篋印塔と野間馬の看板---

調べたら
神社本殿の裏手に宝篋印塔があったようです
『鎌倉時代末期の作で、総高317cmの宝篋印塔。九輪や宝珠は一回り小さい江戸時代の後補』とのこと

神社の本殿裏手にあるのは珍しく
神仏習合時代のなごりかなのかと思ったら
元々は下の谷間にあったのが
昭和10年に移されたとのことでした

また『野間馬』というのは
現在8種しか残っていない在来種の馬のひとつで
この野間地域で飼育されているようですが

あれ---確か魏志倭人伝では
『倭国に馬はいない』と書かれていたはず---また在来種とはいっても、起源はモンゴル高原とのことのようなので、古い時代に渡海して来た?のでしょうか

何はともあれ
松山→旧北条→今治ルートで
国造ゆかりの式内社へ行けて
いいドライブになりました

○由来記より
堂社は上皇室の御尊崇も厚く、天平神護二年從五位下を授けられ神戸(御神領)二烟を充てられました。それは今から千二百年も前の事です。平安時代には神戸も增され承和四年には名神に預りました。神階も度々御進みになり、天慶三烟には正二位に、永治元年には正一位となられました。鎌倉時代以後は武将の崇敬が厚く源賴朝を始め、河野家が代々神領を寄進し、足利尊氏も教書を二度も捧げてゐます。又後醍醐天皇は特に當社を御尊崇あらせられ両度御綸旨を賜はられました。明治になりましては、四年に郷社、同二十八年縣社に昇格せられました。しかし既に延喜式内の國幣の大社で、當國の總社ですから官社にも列せられる御資格が十分あります。

當社は古來疫病除開運農業の神として靈驗があらたかであり、又松山藩主の雨乞の祈願所として度々神異を顯はされてゐます。重なる祭祀は、正月の一日から七日迄開運並に惡病除け、五月十九日は例大祭、土用の入りから二夜三日は惡病除け、六月の丑の日には牛馬の祈禱を致します。何れも參詣人が多く、特に大祭は古式の行列が澤山あつて賑やかです。