伯耆国国府跡のすぐ近くには
国分寺・国分尼寺跡もあり
歴史公園になっていました


とっとり文化財なびによると
『国分寺の寺域は東西約182m、南北約160mで、溝と土塁(南側は溝と築地塀)で画される。南門、金堂、講堂の伽藍中軸線があり、塔は東南隅に位置する。
天暦2年(948)焼失。出土遺物は、多量の瓦のほか、風鐸、杖頭などで、創建時の軒丸・軒平瓦は伯耆国分寺特有の文様をもつほか、塔跡付近出土の風鐸はほぼ完形の稀な例である。』


すぐ隣りには法華寺畑遺跡

『溝で区画された中央に並列する3棟の東西建物等が確認されていて、当初、役所として使用され、後に国分尼寺に転用されたと推定』されているようです


そして
数百メートルほど離れた場所には
1993年(平成5年)に発見された『不入岡遺跡』

『奈良から平安時代にかけての大規模建物群で巨大な掘立柱建物が軒を接するように10棟並列
倉吉市の埋蔵文化財発掘調査団は東西40m、南北150mの敷地に並ぶこの建物群を、当時の税にあたる調・庸を集積しておく伯耆国庁直轄下の倉庫群とした。』

広々と広がる風景は
古代からそれほど変わってないのかも
そんな思いさえする場所でした