なんだりかんだり

電動車いすで街に繰り出して感じたことを気軽に書きます。

9年目の3.11

2020年03月11日 13時35分00秒 | 日記
本日、3月11日は「東日本大震災」があった日です。我が街多賀城市も2メートルの津波にやられました。幹線道路は、一週間通行止め、電車は40日不通でした。ライフラインは、電気は4日、ガス、水道は一ヶ月停止してました。高台にある自宅は大丈夫でしたが、エレベーターが壊れて一ヶ月使えませんでした。街は壊滅状態で、生きるための闘いがありました。避難所に行かなければ、支援物資はもらえないし、自分たちで調達しなければなりませんでした。あの日々の苦闘は、昨日のように語れます。私は二ヶ月くらいで元の暮らしに戻れましたが、その間いろいろな方達に助けて頂きました。 

それ以降、私は3.11を福島の地ですごしています。二十代の5年間をいわき市の小名浜で暮らしました。そして、福島は原発事故があり、元の暮らしに戻れていません。福島の人達と共に黙祷し、在住されている方達からお話を聞いておきたいから。私なりの追悼の形でした。

しかし、今年は「新型コロナウィルス」のせいで断念しました。先日お世話になっている介護派遣事業所から「新型コロナウィルス感染したときの対応」を書類にして説明されました。本人、家族が「感染」または「濃厚接触者」になった時は、ヘルパーの派遣はありません。又はヘルパーが同様になっても事業所は、休業になり、ヘルパーさんが来なければ、生活出来ない死活問題になります。ですから、「臆病者」と言われようが、人一倍気を使って用心しなければならないのです。皆さまご理解下さい。









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