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人は「死んだら」どうなるのか、なぜ「死ぬ」のは怖いのか…その「意外な答え」

2020年11月25日 | 病気 余命を考える 死を迎える準備
人は「死んだら」どうなるのか、なぜ「死ぬ」のは怖いのか…その「意外な答え」

11/23(月) 8:01配信
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現代ビジネス
人間は、死んだらどうなる?

写真:現代ビジネス

 さて、突然ですが、死んだらどうなるかの話です。

 人間は、自分がいずれ死ぬだろう、と知っています。動物は、そんなこと知らないと思います。ただ毎日生きていて、そのうち食べられたり病気になったりして、死んでしまう。死にかけている最中も、なにが起きているかわからないだろう。

【写真】死ぬ瞬間はこんな感じです。死ぬのはこんなに怖い

 人間は、自分が死ぬと知っている。考えてみると、不思議です。でも、知っている。では、死ねばどうなると、知っているのでしょうか。

 死ねばどうなるのか。いちばん確実な方法は、死んだひとに聞いてみることです。死んでどうなりましたか? でもこれは、無理というもの。死んだひとは、動かなくなって、意識がなくなり、聞いても答えてくれません。答えてくれたら、それは、死んでいないということです。

 死ねばどうなるのか、死んでみなければわからない。これが本当のところです。

 いま生きているひとは、死ねばどうなるのか、誰も知らないのです。そういうこともあって、死ぬのは怖い。そして、死ぬことを考えるのはむずかしい。
人間が、死ぬのが怖いと思う理由

 誰だって、死ぬのは怖い。その理由を考えてみました。

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(1)死ぬまでが、苦しくて痛そうだ。
(2)死ぬと、やりたいことができなくなる。
(3)死ぬと、大事なひとと会えなくなる。
(4)死ぬと、どうなるかわからないので不安。
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 ひとつだけでも困るのに、この4つがいっぺんに起こるのが、死ぬということです。こんなおおごとが起こるのは、人生で一度きり。でもやがて、確実にそれは起こります。いやはや、これは困った。

 死ぬということは、あんまりおおごとなので、人びとはふだん目を背けています。でもいずれ、自分も死ぬと思ってはいる。そこでたまには、死について考えてはみるのだが、すっきりまとまりません。頭のなかのぐるぐるを整理すると、つぎのようです。

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 a.自分もやがて死ぬだろう。(死の可能性)
 b.死なないわけには行かないだろう。(死の必然性)
 c.死について、知り尽くすことはできないだろう。(死の不可知性)
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 そう、死は可能で、必然で、しかも不可知なものなのです。逃れようのない、絶対の現実です。


いくら社会的地位があっても…

photo by iStock

 死が厳然と待ち構えている。一歩一歩、死に近づいていく。のが人生だとしたら、目を背けず、死を見すえて、覚悟して生きていくのが、揺るぎない生き方だと思うのです。

 死を前に、じたばたしない。生き方がぶれない。人間の品格とはそういうものです。

 いくら社会的地位が高くても、財産があっても、権力があっても、人びとにちやほやされても、おいしいものを食べ好きなことをして暮らしても、死から目を背けて生きているのでは、大した人間ではありません。

 いずれ死ぬ。だから、生きていることに価値があります。

 生きているあいだにしかできないことがいろいろあります。死を見つめることで、自分の生き方を見つめなおすことができます。
人間は死んだらこうなる?

 人間はいずれ死ぬものだ、と知っている。よろしい。では、人間は死んだらどうなる、と知っているでしょうか。

 これまで人びとは、死んだらどうなるか、いろいろ考えて来ました。あるひとの整理によると、だいたいつぎの6つのどれかだそうです。

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 1.他の人間や動物に生まれ変わる
 2.別の世界で永遠に生き続ける
 3.すぐそばで子孫を見守る
 4.子孫の命の中に生き続ける
 5.自然の中に還る
 6.完全に消滅する
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 1~6は、どれもありそうに思えます。でも、別々のことを言っています。では実際のところ、どれがほんとうなのだろうか。

 仮に、1~6のどれかがほんとうだとしても、生きている間にそれを経験的に確かめることはできません。

 じゃあ、1~6のどれだかわからないから、どれでもいいや、と考えればよいか。それは、考えるのをやめる、というのと同じです。自分が死ぬとはどういうことか、考えるのをやめる。自分が生きるとはどういうことか、考えるのをやめる、でもあります。死から目を背けているだけです。
「宗教」にはどう生きるかの知恵が詰まっている

 これまで生きた人びとは、いろいろ知恵をしぼって、人間が死んだらどうなるか、考えました。それが、宗教のかたちで伝わっています。それぞれの宗教は、人間が死んだらどうなるか、つまりどう生きるべきかの知恵が詰まっています。

 とりあえず、そのひとつひとつを理解すること。そのどれかを選べば、自分の生き方が一本芯の通ったものになります。ほかの生き方についても、理解が深まります。そのどれも選ばなかったとしても、自分だけの生き方が手に入るかもしれません。

 死ぬことについて考える。死が間近に迫って時間切れにならないうちに、さあ、始めましょう。

橋爪 大三郎(社会学者)




che***** | 2日前

昔、高校生の時に交通事故で意識を失った事があったな。あの時、意識が戻るまでは怪我の痛みも何もわからず、「無」の状態だったのを覚えてる。死ぬって、状況によっては痛みも苦しみも伴うだろうけど、最終的に意識を失った時のような「無」になるのではと思ってる。

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sim***** |2日前

数年前、足の骨折手術を全身麻酔でやってもらった。

手術前から、麻酔中は意識がないのでひょっとしたら幽体離脱なんかできるかなって少し楽しみにしていたが、麻酔で気を失った瞬間、目が覚めて手術は終わっていた。

一年後、留めてある金具を抜く手術も全身麻酔だとのことで、それまでの間、前回の手術の時、気を失ってている間に無の時間があったんだろうかなんて考えていたが、次の手術でもやっぱり気を失った瞬間目が覚めた。
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***** |1日前

産まれる前は、無だったはず。
産まれる前の場所に還ると思えば、怖さも少し和らぐ気がする。
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oic***** |2日前

コメントしようと思ったら同じ事仰っている方がいらっしゃいました。
自分は全身麻酔で手術をした時、コメ主さんと同じ経験しましたね。
『そこに時間があるのか?』とか『そこに安らぎがあるのか?』という指摘をされている方がいらっしゃいますが、それもないから『無』なんです。電源(システムバックアップ用の電池なども含めて全部の電源)を完全に落としたPCが何かの処理をする事は一切出来ないのと同じ。その間は『本当の本当に何もない』といった感じ。だから麻酔が切れて覚醒した時は、麻酔が掛かる直前から一瞬しか経っていない感じがしました。この辺は熟睡しても時間の経過を感じるのとは明確に異なります。
この状態が永久に続く。つまり『無』になるのが死に一番近い例えだと自分も認識しています。
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psy***** |2日前

恩師が手術中にそのまま亡くなりました。
最初から難しい手術だとは聞いていました。
ある意味麻酔で意識が無くなり
痛みも何も無く亡くなったんだなと。

でも自分が全身麻酔の手術中にそのまま死ぬかもしれないと思うと、簡単な手術も怖くなってしまいました。
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kms***** |1日前

大学時代に交通事故に巻き込まれて大腿骨骨折・出血多量・自発呼吸停止・意識喪失。数日後に意識を取り戻すまでは「無」そのもの。臨死体験なんてのも無し。そのまま死んだって、本人は何も分からない。
親兄弟には大変な心配をかけてしまったし、神経に不可逆性の後遺症が残った。
けれど、今は元気に生きてるし、結婚もできたし、子供にも恵まれた。
生きることの素晴らしさを身を持って知ったと同時に、生死の狭間を経験したら、いづれ訪れる死の恐怖感は無くなった。
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t*a***** |1日前

亡くなるその瞬間は無だろうけど、やはり死に至るまでの間、たいていは痛みや苦しさなんかで辛い思いするでしょう、それが怖い。
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he***** |1日前

父は、心筋梗塞を起して救急車で運ばれました。
電気ショックを何度も受け、もうダメかなと言うとこまでいき、医師がこれが最後、と行った電気ショックで蘇生しました。
後で聞くと、「きれいな花がたくさん咲いていてすごく良い香りがして、身体もこれ以上ないくらい軽かった」のに、すごい痛みで目が覚めたら電気ショックを受けていて、医師が「戻った!判りますか?」って声をかけられていたそう。
この後は吐き気はするし苦しいし、体中に虫が這っているような感覚もあって最悪だったと言っていました。

もうその父も既に他界。
お花がいっぱい咲く気持ちの良いところで過ごしているんだろうな、と思っています。
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まがつき |1日前

cheさん
>昔、高校生の時に交通事故で意識を失った事があったな。あの時、意識が戻るまでは怪我の痛みも何もわからず、「無」の状態だったのを覚えてる。


私も大学の時、交通事故で同じ目にあいました。
もう事故前後の記憶も何もなく、夜中に目が覚めたら病院のICUで、頭は痛い(脳挫傷でした)し首を動かすと世界がグルグル回るし、体中が痛い(複数の腱断裂など)で地獄かと思いましたが、それでも看護師さんだけは天使でした(笑)意識不明の間の記憶もありません。
意識が戻るまでは痛くもなんともなかった(と思う)ので、死後の世界など存在せず「ただただ消え去るのみ」だと思っています。「死後の世界」になんて頼らんでも、現世で生きていけるし。
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ot**** |1日前

臨時体験っていうのかな!?
学生の頃、柔道の絞め技でおとされて意識を失ったらしく、絞められてる時は苦しかったけど
気づいたら金色のお花畑をスローモーションで走ってた!
自分がその場で走ってる感覚があるけど、一方で走ってる姿を見てる自分がいる。(不思議)
柔道着で走ってました(笑)
なんか息苦しかったんだけど、凄く楽しい幸せな気持ちで走ってました!
で、ふと気づくと道場の天井が見えました(目を覚ました)
なので、もし死んだら最期のシチュエーションのまんまなのかな!?と、思った出来事でした。
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c***** |1日前

私も〝無〟が待っているのだと思っています。

子供には、大好きなひいおじいちゃんがなくなった時きっと見守ってるよ
と今でも何度も何度も言っていますが
死は何も出来ない、何も感じない
ただただ〝無〟が待ってると思っています。

人はきっと
何事も見たいように見て
聞きたいように聞いている。。。
人が作る死後の世界は
生きてる人が
大好きな大切な人の死を
受け入れがたさから作っていたりする
生きていくには
そうしないと生きてはいけないと…

でも子供を見ていると
宗教にちかいのかもしれませんが
〇〇が見守っているよ!
といつも誰かが見守っているという
言葉は、
心が強くなる1つのように感じています。
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ao2***** | 2日前

意識がなくなり、組織は分解され多くは酸素、水素、炭素として分散ののち、再び何らかの物質や生物を移動して行くと思う。
怖いのは未経験な事と、素直に自分抜きの世界が許せないだけだろう。
墓碑、墓石に名を刻むより、家族や少ない友人の記憶の中に残るだけで良いと割り切りたい。

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koy***** | 2日前

1週間の間に自分が何を食べどんな感情を持ち続けたか
事細かく記憶している人が居ないのと同じように今の記憶も消えるんだろうが
時間は前に進むわけだし取りあえず今日今現在を楽しく生きよう
来世にとっては現世が過去世と言えるなら今の楽しい積み重ねが
来世への喜びにも繋がると思う

200年生きた人間はいないわけだし
もう細かい事にこだわらず与えられた人生の中で日々楽しく前向きに

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mas***** | 2日前

われわれの普段の生活同様に、眠くなって寝るのと同じ現象だと思う。

心臓が動いている・呼吸をしている状態であれば、「生きている」し、いずれ目を覚ます。
逆に、心臓が動いていない・呼吸をしていなければ事実上「死」となり、永遠に目を覚ますことは無い。

「永眠」という言葉がぴったりだ。
本人にとっては普通に眠っている状態なのだろう。

いずれにしても、眠っている間は、本人は自覚がなく分からない。
せいぜい、夢を見ていたかどうかの違いだ。

日頃善い行ないをしていれば良い夢を見るだろうし、悪い行ないをしていれば悪い夢ばかりを見ているだろう。
これが苦痛(地獄)なのではないだろうか。

「死」ではなく、永遠に目を覚ますことが無い「永眠」と言ったほうが、ふさわしいと当方なりに思っている。

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len***** | 2日前

藤原道長は最期の時に、仏と自分の手をひもで結んだと言いますね。道長に限りませんが、この世で大成功を収めた人は、この世を去るのが耐え難く辛いのでしょう。

私の場合、どちらかというと人生の敗者ですが、すぐにやってくる老後は好きなことをやって細々と生きていきますよ。死ぬ時も、この世に未練なんてほとんどないと思います。

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euz***** | 2日前

私も数年前バイクで自損事故を起こし同じ事を感じました。

事故した時、最後の記憶は転倒した時の衝撃だけで、(どう転倒したかも記憶になく)意識を取り戻した時はすでに病院にいました。

さっきまで仕事してたのに、私何でここに居るの??って変な感じでした。
あのまま死んでたら、自分が死んだ事も分からずに死んでいくんだなぁ〜って思いました。

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tej***** | 2日前

質量保存の法則とか、エネルギー保存の法則のように、命の総量は常に変わらず一定で、死んだ後も形を変えて保存され続ける、っていう考え(「千の風になって」みたいな)が自分の中で一番腑に落ちているので、今のところ死ぬのが怖いとはあまり思わない。
痛かったり苦しかったりするのが怖いかな。でも、生きているのも十分怖くね?

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kwg***** | 1日前

昨年ガンの手術をしました。麻酔をかけられる瞬間から目が覚めるまでの8時間が全くの「無」でした。生きているのだから当然脳波は動いているし、体だって反応しているのに全くの「無」です。夢なんか見ません。
あの時間がもし100年続いても本人にはその間の感覚がまったくありません。ちょっと衝撃の体験でした。
死後の世界は必ず有ると思っていたけど「無」なのかもしれないと思いました....。

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tak***** | 2日前

どれだけ考えても答えは永遠に出ない。

ただ、この前TVで前世の記憶のある男の子が出ていて、話も具体的で、お母さんが実際にその子が事故死した場所に行ったりしていたのを見て、輪廻転生があればいいな、とは思った。

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kan***** | 2日前

何年か前に死ぬ方向に向かってるんじゃないかと思う位、体調が悪かった時に夢の中で人が死ぬときに通るとか言われてる 人が通れない位狭い穴の向こう側に光輝く世界が見えて、向こう側の世界に行ったら死ぬんだろうなという直感がしてなんとかしなきゃと思ったら目が覚めた事があった。
目が覚めて指が動く事を確認してまだ生きていたんだと感じた事があった。
今にして思えば夢の中の光景は死後の世界の入り口だったんだろうかと思う。

昔、会社にいた人はずっと昏睡状態が続いていて川に足をいれたら川の水が冷たいと思って目が覚めたら昏睡状態から復帰したらしい。

別の人の体験談だと死にかけてた時にお花畑がある世界に行こうとしたけど自分を呼び戻す声が聞こえてお花畑がある世界に行かずに助かったと言ってたし死後の世界に向かう時に見る光景は人によって違うのだろうか?

天国や地獄の解釈が宗教によってもいろいろと違うように。





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