昭和の恋物語り

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歴史異聞 第一章 『 我が名は、ムサシなり!』 (五)寺での修行

2020-05-21 08:00:30 | 小説
「これほどに気にとめられるごんすけという小童は、まことに果報者じゃ」
 夕餉を採り終わった後に、古参の僧侶だけを残しての場で住職が訥々と話し始めた。
「年に一度立ち寄られるかどうかの沢庵和尚殿が、三月いや二月かの、足繁く通ってこられるとは。
そしていつも目を細めてお帰りになられる」

 まことにその通りで、と白湯を口にしながら頷く僧侶にこうも続けた。
「ここだけの話じゃが、いまの沢庵和尚殿のほうが、わしには良いわ。
以前の沢庵和尚殿は、実に気難しいお方でな、他の寺でのことをネチネチとこぼされたのよ。
心得違いをしておる、ご本山ばかりに目が行ってしもうては救える民も救えぬわ、とな。
しかしいまの沢庵和尚は、厳しい言葉を吐かれはするが、なんというか、棘がなくなられた」

 お前たちに対する説法も変わったであろう、とも付け加えた。
言われてみれば、と得心できることではあった。
以前のような禅問答を仕掛けてくるのではなく、諭すといった心根がしっかりと届いてくると感じていた。

 ごんすけも、寺に入ってからの三年間を一心不乱に鍛錬に打ち込んだ。
赤銅色だった肌が本来の白く澄んだ色に戻り、端整な顔立ちと相まって美少年と化した。
近在の村に托鉢に出かける折には、普段ならば軒先での読経の声を聞いてから腰を上げる家人たちが、先を争って軒先に並んで待つようになった。
口々に「ほんとにきれいなお坊さんだわ」
「ありがたいねえ、神々しいじゃないか」と褒めそやし、椀を持つ手をしっかりと両手で包んでは嬌声を上げた。

 表情を変えずにお題目だけを呟いて頭を下げ続けるごんすけだったが、そんな毎日に疑問を感じ始めていた。
村での村八分状態に悩まされ続けた毎日と違い、寺では皆から声をかけられる。
特に先輩小坊主たちからは、隣に座れと誘われる。
何かといっては体を触られることが多く、鳥肌の立つようなこともあるのだが、邪険に振り払うこともできずにいるごんすけだった。


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