藤巻隆(ふじまき・たかし)オフィシャルブログ

藤巻隆(ふじまき・たかし)オフィシャルブログ

私のテーマは6つあります。
(1)ビジネス書の紹介(2)医療問題 (3)自分ブランド力
(4)名言 (5)ランキング (6)ICT(情報通信技術)
このブログでは、主に(1)~(4)を扱っています。
(5)と(6)はそれぞれ別のタイトルで運営しています。

藤巻隆(ふじまき・たかし)オフィシャルブログ



数千万もあるアメブロの中から、このブログに訪問して
いただき、ありがとうございます。



藤巻隆(ふじまき・たかし)オフィシャルブログには、
アメブロ以外のブログも含め、記事を掲載しています。(2022年2月13日記)


2015年8月8日に妻に先立たれ、10日から無期限休止していました。
それ以来6年半が経ち、戻ってきました。

妻の死後、2年後に母、翌年に姉が相次いてこの世を去りました。娘は2021年12月下旬に結婚し、家を出ました。父は24年前に鬼籍に入りました。
もう私には失うものはありません。
2018年8月に元保護猫ノア(オス キジトラ)が家族の一員になりました。


これからは下記のテーマでブログを更新していきます。

1 自費出版した回想録『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』を公開します。

2 半導体を中心にした関連記事を投稿します。

3 伊集院静さんの本から心に響く言葉を投稿します。「心に響く伊集院静の言葉」

4 大前研一さんや堀紘一さんの本から「重要なポイント」を独断と偏見で取り上げます。

5 ノアの成長記録を不定期で投稿します。


気長にお付き合いしてくださると光栄です。




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具体的には、FC2ブログで書いた記事も含まれています。


ブログのジャンルは多岐にわたり、日経ビジネスに関連
するブログから名言集、身近な医療問題に至るブログを
書いています。


ブログのテーマは6つあります。


(1)ビジネス書の紹介

(2)医療問題

(3)自分ブランド力

(4)名言

(5)ランキング

(6)ICT(情報通信技術)



このブログでは、主に(1)~(4)を扱っています。

(5)と(6)はそれぞれ別のタイトルで運営しています。


(5)こんなランキング知りたくないですか?

(6)中高年のためのパソコン入門講座(1)
です。

それぞれの記事は、単なる紹介記事ではなく、
テーマに則した独自のコメントを付けています。



自分の考え自分の言葉でお伝えしています。


今、ブログ記事をバックアップする目的で、新たにブログを
立ち上げました。

WordPress と私の独自ドメインのサブドメイン、そして
レンタルサーバーのサービスに含まれていたデータベース
を使っています。


藤巻隆のアーカイブ
というタイトルにしました。


ブログ記事の固まりを書籍に見立て、書庫(アーカイブ)と
いう意味を込めました。


藤巻隆のアーカイブ


に、今まで書いてきた10を超えるブログと、
1つのウェブサイトの記事を、一元管理していきます。

永遠に完成することはありません。

常に新しい記事が作成されるからです。


(* 2014年10月13日夜、「藤巻隆のアーカイブ」の
WordPressのデータベースに障害が生じ、復旧でき
なくなりました。やれることはやりました。

ですが、元には戻りませんでした。

今まで投稿した記事数は1000を越えていましたので、
全てを消失したショックは大きかったです。

ですが、オリジナルは存在するので、また1からやり
直すことに決めました。

そこで、翌14日にデータベースを再設定し、14日から
記事を投稿しています。)


これからも、ワクワクする記事を書いていきますので、

藤巻隆(ふじまき・たかし)オフィシャルブログ
をよろしくお願いします。

こんなランキング知りたくないですか?

中高年のためのパソコン入門講座(1)
もよろしくお願いします!


「こんなランキング」でGoogle検索すると、

約3億9400万件中、第1位(2014.01.08現在)

 こんなランキング
   詳細はこちら



ご注意

読者登録申請を毎日のようにいただいています。

とてもありがたく思っています。

ですが、以下に該当する人の読者登録は承認いたしません。

1 プロフィールを書いていないか、プロフィールを詳細に
書いていないブログ


2 記事の投稿が10件未満のブログ

3 アメブロを拝見しようとすると、他のサイトへ自動遷移
するブログ


4 複数のアカウントでミラーサイト(同一内容のブログ)を
運用しているブログ(利用規約違反)

  

なぜこのような措置をとるのかといいますと、ブロガーが
どんな方なのか確認できないからです。



藤巻隆(ふじまき・たかし)オフィシャルブログ

管理人・藤巻隆





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🔷「可奈が生まれて」の中の「待望の赤ちゃん誕生」を掲載します。🔷

 

『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第37回)✍

 

「可奈が生まれて」の中の「相次ぐ父の死」を掲載します。

 

 

可奈が生まれて(2)

 

 相次ぐ父の死

 

 可奈が生まれた後、岳父と父が、孫の可奈の顔を見届け、満足したかのように、相次いで亡くなりました。岳父、鈴木眞は平成九年六月二十四日に、翌年、奇しくも同月十二日に父、藤巻貞雄が他界しました。二人は誕生年こそ違いますが(眞は昭和二年、貞雄は大正十三年)、誕生日は二人とも一月十日です。そして、亡くなったのが同月ですから不思議な縁を感じます。

 

 職業も似たところがありました。眞は警察官で、溺れた子どもを助け、表彰されています。貞雄は国鉄職員(現JR東日本)で、信号機に関わる責任者でした。叙勲しています。当時の国鉄職員は準公務員でしたから、二人とも公務員だったのです。共通項が多く、馬があったようです。

 

 二人とも七十歳を超えた高齢でしたから、孫の顔を見せてあげられて良かったと思います。可奈は、鈴木家にとっては初孫で、藤巻家にとっては二人目の孫(姉の息子、尚也君)で、両家でたいそう可愛がられました。

 

 二人の父が亡くなったのは、可奈がそれぞれ三歳、四歳になった後で、「目に入れても痛くない」時期であったことも、いっそう可愛いと感じたことでしょう。

 

 相次ぐ父の死後、私の周辺に「負のスパイラル(螺旋、らせん)」が忍び寄っていました。

 

(PP.89-91)

 

 

➳ 編集後記

 

第37回は「可奈が生まれて」の中の「相次ぐ父の死」を書きました。

不思議な縁を感じました。二人とも生まれた月が同じで、亡くなった月も同じでした。偶然と言ってしまえばそれまでですが、不思議に思いました。年齢は異なりましたが、二人とも公務員ということで馬があったようです。日本酒が好きでした。


由美子も私も下戸でしたが、可奈は上戸ですから隔世遺伝(?)かもしれないと思いました。

 

🔷「可奈が生まれて」の中の「待望の赤ちゃん誕生」を掲載します。🔷

 

『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第36回)✍

 

「可奈が生まれて」の中の「待望の赤ちゃん誕生」を掲載します。

 

 

可奈が生まれて(1)

 

 待望の赤ちゃん誕生

 

 可奈が生まれたのは平成六年六月五日でした。「平成六年六月六日でなくてよかったね」と私たち夫婦は冗談を言い、笑ったものです。六六六と六のゾロ目は不吉な数字だそうですから。

 

 安産でした。破水していたため、タクシーで病院へ急行しました。私は病室の外で待っていました。一時間ほどすると看護師さんが「女の子でした」と言うと、私に、タオルにくるまれた赤ちゃんを見せてくれました。周囲が暗かったため、顔をよく見ることができませんでした。それでも、「丈夫そうな赤ちゃんで良かった」、と胸をなでおろしました。

 

 可奈の誕生アルバムに私は願い込めて、「他人(ひと)に優しく、思いやりのある人間になって欲しい」と記(しる)しました。可奈は私の願いを叶えてくれているようです。

 

 近所の人たちによく訊かれたそうです。

 

 「可奈ちゃんのお父さんは外国人ですか?」

 

 その理由は、生後しばらくの間、可奈の髪の色が金髪に見えたからです。徐々に茶色に変化していきましたが。鈴木・藤巻両家で、可奈の誕生をたいそう喜んでもらえました。

 

 私がカメラを向けると、可奈は私に向かって、「ほふく前進」で元気よく近づいてきました。「可愛いな」と心の底から思いました。「可愛い子を産んでくれてありがとう」と由美子に言いました。「お産がとても楽だった」と由美子は言っていました。

 

 可奈は病気に罹(かか)ることはなく、定期検診でも全く問題はありませんでした。

 

(PP.88-89)

 

 

➳ 編集後記

 

第36回は「可奈が生まれて」の中の「待望の赤ちゃん誕生」を書きました。

鈴木・藤巻両家の両親はどちらも高齢になっていたので、孫の顔を早く見たかったのです。

私は当時としては結婚が遅く、36歳になる直前でした。由美子は28歳でした。

結婚して3年後に待望の赤ちゃん誕生となりました。

 

可奈が生まれてから、いろいろなことが続いて起きました。その話については次回以降にお伝えします。

 

 

🔷「新婚時代」の中の「旅行(国内、海外)」の後半を掲載します。🔷

 

『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第35回)✍

 

「新婚時代」の中の「旅行(国内、海外)」の後半を掲載します。

 

 

新婚時代(13)

 

 旅行(国内、海外) 後半

 

 国内では、軽井沢と京都、奈良に出かけました。軽井沢プリンスホテルに泊まりました。由美子と一緒の軽井沢散策は楽しかったですね。由美子も楽しそうでした。

 

 京都では定番の清水寺や金閣寺を訪れ、哲学の道を散策しました。奈良では東大寺の大仏や鹿、銀閣寺を見ましたね。

 

 忘れてならないのは、岳母・マツエの実家のある新潟へ出かけたことです。可奈が三歳頃だったと思います。岳父・眞、岳母・マツエ、由美子、可奈、私の五人でした。新潟の皆さんによくしていただき、SHさん(マツエの弟)にワンボックスカーで温泉に連れて行っていただいたことや、鮮魚市場を案内していただいたことをよく覚えています。Hさんの奥様には、結婚式以来、初めての顔合わせで固くなるところを、緊張させないようにいろいろと心遣いをしていただきました。たいへん感謝しています。

 

 新潟は米どころで有名です。水質の良い地域は美味しい米ができます。新潟に出かけた時に、由美子が感想を述べたことを思い出しました。

 

 「ここ(新潟)で髪を洗ったらしっとりしたよ。やっぱり水が違うんだね!」

 

 いただいたご飯が美味しかったのは言うまでもありません。ご飯だけでも箸が進むほどでした。

 

(PP.85-87)

 

 

➳ 編集後記

 

第35回は「新婚時代」の中の「旅行(国内、海外)」の後半を書きました。

国内旅行は、一緒に北海道にも九州にも行けませんでした(涙)。

私は社内旅行で北海道と九州、長野、箱根、京都、韓国等に行きました。

もう長期間の旅行には行けません。愛猫(ノア)を残して出かけることはできません。

 

 

🔷「新婚時代」の中の「旅行(国内、海外)」の前半を掲載します。🔷

 

『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第34回)✍

 

「新婚時代」の中の「旅行(国内、海外)」の前半を掲載します。

 

新婚時代(12)

 

 旅行(国内、海外) 前半

 

 結婚した年(平成三年、一九九一年)に、海外、国内ともに旅行しました。海外にはハワイへ行きました。ただし、ダイヤモンドヘッドやワイキキビーチで有名なオアフ島ではなく、マウイ島にしました。

 

 二人ともオアフ島には行っていましたので、今度は他の島にしようと話し合い、マウイ島に決めました。当時は、日本からマウイ島への直行便がなかったため、乗り換える必要があり、待ち時間が長かった記憶があります。

 

 当時、マウイ島は日本人観光客があまり多くなく、くつろげました。マウイ島の目玉は潜水艦でハワイ諸島の海底を眺められることです。早速、潜水艦ツアーを申し込み、海底探査(?)となりました。記念写真を撮り、潜水艦に搭乗したことを示す「証明書」を受け取りました。

 

 私にとって、海外旅行はハワイ(オワフ)、オーストラリア、ハワイ(マウイ)の三回ですが、由美子はハワイ(オアフ)、バリ、オーストラリア、ハワイ(マウイ)の四回です。

 

(PP.84-85)

 

 

➳ 編集後記

 

第34回は「新婚時代」の中の「旅行(国内、海外)」の前半を書きました。

二人だけで海外旅行、国内旅行に比較的よく出かけました。どの旅行でも思い出に残る楽しいひと時を過ごしました。

 

由美子はあの世で思い出しているでしょうか?

 

 

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🔷「新婚時代」の中の「新居と転居」の後半を掲載します。🔷

 

『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第33回)✍

 

「新婚時代」の中の「新居と転居」の後半を掲載します。

 

 

新婚時代(11)

 

 新居と転居 後半

 

 Mさんご夫妻の優しさと思いやりは、弔電にも表れています(「葬儀 通夜式と告別式」をご覧ください)。可奈が生まれてから運転免許を取得した由美子は、この頃には運転に慣れ、自家用車で実家に一人で出かけることがありました。

 

 最寄り駅は、花小金井駅→小平駅→久米川駅と移り、高田馬場駅から遠ざかりました。別の言い方をしますと、由美子の実家に近づいたことになります。平成十年、父が他界しました。二年続けて父親が亡くなりました。

 

 四度目で最後の転居先は私の実家でした。平成十五年のことです。十二年ぶりに私の実家に戻ることになりました。この頃、勤務先の洋販は業績が大幅に低下し、同業他社のタトル商会と合併することになりました。この合併後、私は約十八年勤務していた本社経理部から浦和物流センターへ異動させられました。明らかな左遷です。旧洋販の社員の大半は私同様、左遷させられました。

 

 私は毎日片道二時間半かけて自宅から浦和物流センター(最寄り駅は東川口)へ通いました。往復で五時間ですから毎日小旅行をしているようなものでした。経理業務から在庫管理と出荷業務へ変更になったのです。私が長年経理に携わっていたので、新経営陣にとって目障りだったのでしょう。

 

 私がすぐに退職すると高をくくっていた会社側は先に音を上げ、会社都合で退職することになりました。平成十七年のことです。小平市鈴木町に四年間、同市大沼町に二年間、さらに東村山市本町に六年間住みました。

 

(PP.82-84)

 

 

➳ 編集後記

 

第33回は「新婚時代」の中の「新居と転居」の後半を書きました。

4度の転居を繰り返すうちに、由美子と私の運命の歯車は徐々に逆回転し始めていました。岳父と父が二年続けてこの世を去り、岳母が後を追いました。そして、私の左遷。さらに由美子は不治の病に蝕まれていました。

 

 

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