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南波六太と南波日々人兄弟が宇宙という未知の世界に魅せられ、宇宙飛行士となり様々な困難を乗り越えながらも夢を実現していくマンガ「宇宙兄弟」。リアルに描きこまれ、マンガというよりもまるで長編映画を見ているような印象を受ける。その作者である小山宙哉さんにお話を伺った。実は、小山さんは大の文具好き。最近のマンガ制作はデジタルツールに移ってしまったというが、愛用の文具についてもディープなお話をお聞きすることができた。前編では小山さんがマンガ家になるまで、そして「宇宙兄弟」について色々とお聞きした。

「宇宙兄弟」作者 小山宙哉さん

好奇心旺盛だった少年時代

「小学生の頃は、友達とサッカーやスケートボード、ちょうどファミコン世代ということもあってスーパーマリオなどで遊んでいました。当時は色々なものが流行っていたので、なにかひとつというよりも様々なことに興味を持っていました」

そんな中、宇宙を身近に感じるひとつのきっかけがあった。

小学校の担任の先生がバレーボールを手にとり、それを水の入ったバケツにドボンと沈みこませてから取り出した。すっかり水に濡れたバレーボールを手に、地球がこのバレーボールと同じ大きさだとしたら、海というのは、ちょうどこのバレーボールについている水くらいであると説明してくれたという。なるほど地球上の海はそれくらいしかないんだと感じた小山少年。科学雑誌の「ニュートン」もよく読んでいてその中で太陽系の星の大きさを図解した比較図なども興味深く見入っていたという。他にも植物の比較図など、とにかく比較したものが好きだった。漠然とした大きさではなく比べて並べることで色々なことを身近に感じる、そんな少年時代だったという。しかしながら、超マニアックな宇宙少年というほどではなかったと小山さんは話す。

マンガ家を目指した20代

子どもの頃はじめて読んだマンガは「ドラゴンボール」の3巻だった。1巻ではなくたまたま3巻だったという。以来、色々なマンガを読んでいった。自らも描くようになったのは、小学5〜6年生の頃だった。友人の一人がマンガ「おそ松くん」の模写をしていた。それがとても上手く、自分でも描いてみたいとはじめていった。もともと絵を描くのは好きで、クラスの中でも先生も認める絵の腕前だった。運動会などの行事ともなれば、クラスの大きな看板やポスターを描く役回りが自然と小山さんにやってきた。

その後、美術の学校を経て、地元京都のデザイン事務所に入社した。そこでは主にMacでカタログの制作などを行っていた。そこで働きながら、仕事が終わった後に自宅で夜にマンガを描き続けていた。子供の頃からマンガ家になれたらいいなという思いはずっとあった。ちゃんと目指していたというよりは、まずは自分の才能を出版社のひとたちに見てもらおうとひたすらマンガを描きためていたという。一般にマンガ家になるにはプロのマンガ家のアシスタントになるという選択肢もある。ただ、いかんせん小山さんの地元京都ではそうした環境がなかなかなく、仕事をしながら描き続け出版社に持ち込んでいくしかなかった。

そうした中、24歳の時に転機が訪れる。「マンガオープン」という新人のための賞を受賞したのだ。惜しくも大賞は逃すものの2位の「わたせせいぞう賞」をとった。受賞したことで編集担当がつき、マンガ制作は本格的なものになっていった。その後、別のマンガ賞も受賞して、小山さんご自身もマンガ家としてやっていけるという確かな手応えを感じ、地元京都を離れ上京する決断をした。

東京での8ヶ月のアシスタント生活の傍ら、初の連載作品であるスキージャンプをテーマにした「ハルジャン」、そして泥棒する老人を描いた「GGG-ジジジィ-」など着実な実績を重ねていった。そしていよいよ「宇宙兄弟」へと進んで行く。

「宇宙兄弟」誕生

本格的な連載というタイミングが到来。小山さんいわく、テーマは何でもよかったという。編集担当から「宇宙」はどうですか?と提案されたのがきっかけだった。「宇宙」というジャンルには、一定の固定ファンがいる。サッカーや野球のようにファンがいるテーマの方がマンガとして成立しやすいというのが担当編集の意見だった。「以前私が書いていた『GGG-ジジジィ-』では、『泥棒』も『老人』も特定ファンはいませんからね」と小山さんは苦笑いを浮かべつつ、当時を振り返る。

「宇宙兄弟」の「宇宙」は実はこうしたファンをターゲットにしたマーケティング的発想から生まれたものだった。

では、「兄弟」というキーワードはどこから来たのだろうか?

こちらは、小山さんの意見で決まったそうだ。宇宙というテーマが決まり、小山さんは色々な関連書籍を読んでいった。その中に「君について行こうー女房は宇宙をめざした」という本に出会った。これは日本人初の女性宇宙飛行士、向井千秋さんの夫である病理医の向井万起男さんが書いたものだ。そこに描かれていたのは「夫婦」。本の中で妻千秋さんの打ち上げシーンを夫万起男さんが詳細に綴ったシーンがあった。これを読んだ小山さんは、夫婦ではなく「兄弟」でいこうと考えた。兄が弟の打ち上げシーンを見上げるというのも面白いと思ったという。

リアルに描かれている世界観

「宇宙兄弟」には、専門の用語や詳細に描き込まれた宇宙船内などが随所に出てくる。こうした専門的な知識に関してはしっかりとJAXA(宇宙航空研究開発機構)が監修している。ストーリーを練る段階で、小山さんから事前にJAXAの方に問い合わせることもあれば、あとでチェックしてもらう場合などもある。小山さんの仕事場にはそうした情報がカテゴリーごとにきちっとファイリングされていた。

仕事場の一角にはこのように専門的な情報がカテゴリーごとにファイリングされていた

「宇宙兄弟」を読んでいて、ぜひ小山さんに聞いてみたいことがあった。それは宇宙飛行士を選ぶJAXAの実地試験の最終段階で行われるグリーンカードと呼ばれるものだ。作中、JAXAの施設内に本物とそっくりに作られた宇宙ステーションがある。そこに数人で何日も生活をして、JAXAから出されるいくつもの課題をみんなで協力して解決していく。グリーンカードとは、JAXA側から一人だけにこっそりと指示されるカードのことだ。決して他のメンバーには話してはならないという決まりになっている。カードには、たとえば宇宙ステーションの時計を壊すといったことが書かれている。指示された人はこっそりと指示通りに時計を壊す。当然誰かが気づいて、誰が壊したという話になっていく。指示され壊した当人は、そしらぬ顔をしなくてはならない。

これは実際のJAXAの試験でもあるのか、もしくはマンガの中でのフィクションなのか?個人的にちょっと疑問を持っていた。小山さんによると、このグリーンカードは、JAXAの方から聞いたもので実際にあるものだという。ただ試験ではなく訓練で使われているものだそうだ。実際の宇宙空間では、思いがけないことが色々と起こる。そうした時にどう対処するかを訓練していくそうだ。なんとそこまでリアルに描いているのか!と驚いた。

そして実際に「宇宙兄弟」を読んだ人たちがJAXAに応募するということも増えているという。比較的最近、JAXAの宇宙飛行士になった油井亀美也さん、大西卓哉さん、金井宣茂さんも「宇宙兄弟」を読んでいたという。たしかにここまでリアルに再現しているのだから、宇宙飛行士を目指す人にとっては最高のバイブルになるはずだ。ちなみに面接の時に、椅子のネジが緩んでいるかをチェックする人も実際にいるという。(これは「宇宙兄弟」を読まれている方にはわかると思うが・・・)

ストーリーにスパイスを与える個性的なキャラクター

こうしたJAXA監修の元、リアリティのある設定をはじめ、そして宇宙という世界。その中で個性的なキャラクターたちが次々に登場する。

「宇宙兄弟」に登場するキャラクターは、小山さんがこれまで出会ってきたり、見知った人からヒントを得て描かれている。六太のモジャモジャ頭は、出版社の知人がモデルになっているというし、元NASA職員のデニール・ヤング(キャンディをペッ!とするおじさん)は、小山さんがNASAに行った際、一緒に打ち上げを見ようと誘ってくれた人が元になっている。マンガの中で彼がよく車の窓からキャンディをペッとはき出すシーンは、現地のタクシーの運転手さんがやっていた仕草だったという。

キャラクターの個性に厚みを持たせる工夫

「宇宙兄弟」を読んでいてストーリー展開の巧みさをとても感じた。時間の流れが効果的に移り変わる点だ。現在から一気に過去に展開が変わることがある。その狙いを小山さんにお聞きしてみた。

それはキャラクターの隠れた一面を描くためなのだという。過去を見せることでキャラクターの見えてない所を描きやすくなる。現在だけを描くよりも伝えやすくなるという。新田というキャラクターが六太を「お兄ちゃん」と呼んでいるシーンがある。実は、新田には引きこもりをしている弟がいる。微妙な兄弟関係になっているそうした過去について時間をさかのぼって描くことでキャラクターの個性に厚みを加えていたのだ。

キャラクターの隠れた一面を見せる上では、小道具も効果的だった。仕事柄、私はキャラクターが持っているペンについつい目が行ってしまう。たとえば、伊東せりかは、カランダッシュ849ボールペンで勉強をしていたり、ロケット訓練で日々人はフィッシャースペースペン アストロノートを手にしていた。いずれも、なるほど!というセレクトだった。単に登場人物にペンを持たせるということではなく、ペンの種類によってそこに醸し出される「人となり」というものが浮き上がってくる。せりかの持っていたカランダッシュ849は、カラフルではあるが、スイス製の作りの良さ、芯の強さみたいなところが、せりかのキャラクターに重なる。持ち物にはその人の価値観が表れる。文具好きの小山さんならではのこだわりを感じた。

笑いを織り交ぜる狙い

「宇宙兄弟」では、様々なトラブルや命に関わることなども起こる。その一方でクスッというか、じわりじわりと笑いがこみ上げてくる場面も随所に登場する。それも「宇宙兄弟」の魅力のひとつだ。

たとえば・・・
「みんなよりシャンプーが泡立ちます」
「ケーキの角度は日頃の働きに比例する」などなど。
その笑いに隠された意味を小山さんはこう話す。

「ずっとシリアスな場面が続くと読んでいてちょっと辛くなってしまいます。一方でずっとふざけ過ぎているのも面白さが半減します。どっちに行きすぎてもよくないんです。それに、ちょっと嘘っぽくなってしまうという面もあります。バランスを取ることが大切なんです」

「宇宙兄弟」で伝えたいこと

単行本で現在37巻、そして今も続いている「宇宙兄弟」。長く続けるコツはあるのだろうか?

そうお聞きすると、ウーンと考えこまれてしまった。特にないのだという。長く続けたいとあまり考えていないというのだ。とにかくこの一話をどうするかだけに集中しているという小山さん。一人一人のキャラクターをちゃんと描いていこうと考えていたら、ここまで長くなったのだという。

では、「宇宙兄弟」で読者に一番伝えたいことは?

「『兄弟』ということです。人類みな兄弟とよく言いますよね?宇宙飛行という大きなプロジェクトでは国籍も人種も違う様々な人たちが関わっています。みんながひとつになって共通の目的を達成していきます。そうした広い意味での兄弟ということなんです」

土橋が注目したポイント

壮大なスケールの宇宙をテーマに、リアルに描かれ、ディテールにもこだわった「宇宙兄弟」。あれほどの世界観を描かれているので、私はてっきり小山さんは根っからの宇宙マニアの方だと思い込んでいた。宇宙というテーマは編集の方からの提案だったというのは正直意外だった。意外だったということで言えばもうひとつ、小山さんが一人っ子であったことだ。六太や日々人をはじめストーリーにはその他色々な兄弟姉妹が登場する。その微妙な関係がこちらもリアルに描かれている。こうしたことも回りの兄弟のいる人たちから聞いてキャラクター作りをしていったという。あたかもそこに本当にその世界がある、そうした兄弟がいるようなリアルさは小山さんの視点の客観と主観の絶妙なバランスからきているのかもしれない。

後編では、いよいよ文具について色々と迫っていきます。

プロフィール

名前
小山宙哉(こやまちゅうや)
生年月日
星座
てんびん座
出身
京都
影響を受けた漫画家
  • 浦沢直樹
  • 井上雄彦
  • 松本大洋
  • 小林まこと
好きなミュージシャン
  • ユニコーン
  • 真心ブラザーズ
  • カサリンチュ
好きな映画
アポロ13
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