神戸の震災24年目、その当日は何も書けなかった | 訪問看護師はミタ

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訪問看護師MINAの頭の中をのぞいてみたら、こんな感じです。

あの神戸の震災から24年経ったのか。17日になんて何も考えられないよ。シンボリックなものばかり強調されたメディアにもついていけない。数日後の今だから、ちょっと振り返って見る気にもなる、なれる。

 

私の人生は震災前と震災後で半々になったのだなと思った。つまり、50歳を超えたこの歳は、震災が私の人生の真ん中に来たと言うことだ。この24年間色々あったし、たくさんの死別やお別れもあったし、また、出会いもあった。でも、まだ書く気になれないのが震災の時の私の主観の真実。このまま私の中で風化してしまうのは勿体無いと思っていたけど、もう誰にも知られなくても良いのかもしれない。

 

ならば私は静かに沈黙を続けて行こう。パンドラの箱を心の海に沈めて。伝えたいと言う思いすら荒んでしまった。今の私は過去の亡霊なのかもしれない。空っぽになってしまった。本当に空っぽなのだ。それはそれはいろんな事がありすぎて。今の私が過去の亡霊だとしても、明日をも行きて行くしかない。子供も猫も面倒を見てやらないと行けないし、生活に追われ毎日がすぎて行く。

 

最初にいた場所に戻りたい。心の底では懇願しているのかもしれない。直視できないで顔を背ける。ああ、願わくば神様、私が最初に使わせれた場所に、私の心を戻してください。「人よ、良いことの何であるかはすでに告げられている。公議を行い、慈しみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むこと、それである」。ああ、できるものなら・・。でも「厳しい環境で生きる人たちに、寄り添う人生を送りたい」その思いだけは変わらない。だから今日も明日も頑張れる。