がん患者さんから「あんた、人ごとやなぁ」と言われた | 訪問看護師はミタ

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訪問看護師MINAの頭の中をのぞいてみたら、こんな感じです。

 余命宣告された団塊世代の男性を訪問した。病気のことで気分もふさいでいた。リハビリと気分転換のため彼を車椅子で屋外に連れ出した。車椅子を押す私に彼は同じ病気の在宅療養する人のことを色々と聞いてこられた。私は、こんな感じで生活する人、あんな感じで治療を諦めない人、自分の経験した看護の中から様々な思い出を取り出して、一生懸命彼に伝えた。いろんな話をする中で、急に彼は話を遮って私に言った。「あんた、人ごとやなぁ」。

 

 そうか、この方は客観的な話しを情報として必要としていたのではなく、もっと気持ちに寄り添って欲しかったのかな?と思った。それで、「あの、、自分が同じ立場だったら援助できないですよ、でも、本当に何か助けになれたらと思って色々話しているんです」と自分のその時の思いをそのまま伝えた。その方は「なるほどなあ・・」と怒るでもなく笑うでもなく、私の言葉を受け止めてくださった。

 

 限られた命の人を援助する時に、30年経験選手となった今でも「ドキッ」とする事は多々ある。もちろん私もそのうち時が来ればこの世を去るのだけれども、先陣を逝こうとしている方々に少しでも何か助けになる事をしたいと、この仕事を続けている。「余生を生きているんですよ、僕は」と言う彼に、本当に寄り添えたのか?と今でも思う。最近、「寄り添うという言葉が嫌いなんです、そんな簡単な事じゃない」という記事を読んだ。でも私は他に言葉が見つからない。人ごとかもしれない、寄り添うなんておこがましいかもしれない。それでも、「寄り添って」生きたいと思う。寄り添うってそんな甘いものじゃない、生死の淵に立たされた場所で活動する人からすればそんな物言いもありかもしれない。でも、平和と言われる地でも人の生死は不平等に訪れる。

 

 私には面倒を見ないといけない家族もいる。自分が完璧に健康でもない。それでも自分の人生時間の一部を「寄り添う」事に従事する事は出来る。余命宣告された人に何を言っても「人ごとやなぁ」と降ろされるかもしれない。「寄り添うなんて、おこがましいことを言うな」と言われるかもしれない。それでも今の仕事と今の生活を大事に生きていたいと思う。

 

 今!(今の今まさに)、ここで!(いまいる場所で)、目の前にいる人を大切に!(今あなたの目の前にいる人)、それが一番大事なのではないでしょうか。