大鐘稔彦医師の講演「安楽死か尊厳死か?」を聴講した | 訪問看護師はミタ

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訪問看護師MINAの頭の中をのぞいてみたら、こんな感じです。

大鐘医師の講演を聴講した感想を誰かに伝えたくて思わず走り書きしてしまった。彼の凄いところは、「私は後期高齢者で、もうその日が近いんです」と死について「当事者」として話をされていた事。「皆さんより私の方が(死ぬのは)先ですからね」と、メスを握り多くの命を救ってきた外科医がそれを語る時、ズッシリとした命の重みと、人間としての定めを心に思った。

 

冒頭からショーペンハウエルの「人間は無期執行猶予付きの死刑囚としてこの世に生み出される」との言葉を引用され、「本当にその通りですよねー」と言われていました。

 

中盤では故*日野原重明先生の100歳を超えてからの言葉、「人間は弱いものです、私も死ぬのが怖いんです」を引き出して「みんなこわい、わたしもこわいです」話されていました。でも、どうしても自死を選んで死んで逝かれた多くの関わった方々の話をしてくださいました。逝かれた患者さんの話も、流行りのacpも、そして、1日で終わった小藪の人生会議のポスターも講義の中にサラリと出てきました。でも、先生は否定も肯定もせず、風がさらさらと吹いたように講義の中で流れていきました。安楽死と尊厳死について自分の見解をまとめたものを提示して、世界の最新の安楽死事情なども話されました。

 

先生自身が体験してきた関わった看取りの話もたくさんありましたが、普通は医療者がこの手の話をする時には、援助者として支援のあり方などが語られるのに、大鐘先生は違いました。物語りのように語っておしまい。自分が支援者としてそれをどう受け止めて考察したかは一切無しです。ただ、こんな死に様ありき、また別にはあのような死に様もありき、で、自分はどうしようかな、どうなるのかな、といった感じで斬新でした。

 

医療者は結論、まあ関西人でいうとオチを求めます。でも、オチ無し。山のような古今東西の死から、現代の安楽死事情まで多くのケースをひたすら物語り、その先のストーリーをあえて言わない。ただ、先生自身が自分の死と向き合っておられるお姿も感じられ、これは大変衝撃でした。その後のストーリーは聴講した我々に委ねられているのです。

 

いつも医療者はまるで自分には死なないかのように死についての支援を語ります。大鐘先生は反対でまず、自分は遠くない将来、聴衆よりおそらく早く死ぬ存在だというところから講義が始まりました。こんな謙虚で正直な先生ってすごい。死の臨床を取り扱う医療者や学会はまず「自分も死ぬんですファースト」な宣言でもしてから、みんな話し始めたら良いのに。知らず知らず傲慢になっていないか私も内省させられました。