平安時代の会議について。 | タケ海舟の歴史事件帳

タケ海舟の歴史事件帳

自称歴メンことタケ海舟が、歴史上の事件を独自の視点と勝手な思い込みで取り上げ、真相に迫ります。
大河ドラマを中心に歴史に関する話題をお届けします。

誰もが参加経験がある会議ひらめき電球

 

因みに会議の進め方については…

 

①予め設定された議題をもとに出席者が意見を提出1

 

②(時には激しい意見の応酬も)議論の末、結論を導き出す2

 

というのが一般的であります注意

 

結論が出ない場合は、多数決を以て、最も相応しいとされる賛成多数の意見を採用する上三角

 

これも、ホームルームや生徒会を始め、国政決定の最高機関たる国会でも幅広く行われていますね100点

 

最も民主的な意思決定方法であるのが、多数決が広く採用される要因なのですが、その決定に関しては誰が責任を持つのか?

 

という点については些か曖昧な所があると言えます完了

 

もう一つの問題としては・・・

 

会議の参加者の中で最も地位が高い、若しくは強い権限を持っている(声が一番大きいというのも見逃せません)人の意見が通り易く、少数意見がなかなか通らないという弊害が顕在することです注意

 

現在でもこうしたマイナス要素がある訳ですが、それでは昔の会議では、どの様に結論を出していたのでしょうかはてなマーク

 

律令国家と呼ばれていた我が国(朝廷)では、上級貴族のみが参加できる会議によって、国策が議論・決定されていました注意

 

その会議のことを陣座(じんのざ)・議定(ぎじょう)等と呼んでいたのですが、それは以下の様に進められていましたOK

 

①予め予告されていた議題について、参加者メンバーの中で最も地位の低い者から意見を述べるFREE

 

②以下の意見陳述は順番に地位が高い者が行っていく注意

 

③この会議では結論を出さず、参加者一人ひとりが言った意見を議事録にまとめて、会議に参加しなかった天皇や関白に提出され、両者が討議して結論を出す祝日

 

即ち、公卿会議では単に意見を出す場所に過ぎず、決裁は会議に参加しなかった最高権力者の天皇や補佐役たる関白(藤原家)が出す訳で、意思決定を行ううえでの参考資料こそが、公卿会議で出された意見であったのです長音記号1

 

さて、この公卿会議の特筆されるべき長所とは、果たして何でしょうかはてなマーク

 

それは、地位の低い者から意見を述べることができるという、発言の場がきちんと保障されている所にありますドキドキ

 

前述した通り、件の公卿会議の参加者は、公卿の中でも上級(議政官とも)たる三位までの者に限られていましたチョキ

 

(通常は五位までの貴族を公卿と呼んでいました)

 

三位から二位、そして一位へと順に意見が発せられるのですが、もしここで一位(大臣クラス)の公卿が会議の冒頭でいきなりビックリマーク

 

『私はこうした方が良いと思う!!』と言ってしまった場合、地位の低い他の公卿達は…

 

『いやそれはどうでしょうか…』等とという反対意見が言い難くなる訳で、結果、建設的な良い意見が会議の場で議論されなくなるという弊害が生じる可能性が極めて高かったのですグッド!

 

こうした悪弊を回避すべく、下位の者から意見を出すことは、良い意見をより多く議論するのが可能で、併せて会議の円滑化・効率化に繋がったのですチョキ

 

こうした地位の低い者から意見を言うというシステムは、現在の会議においてもあまり採用されていないみたいで、もし広く採用できたたならば、退屈と感じる会議の活性化をもたらしますねもぐもぐ

 

加えて、予め議題が告知されているので、参加者は会議を控えて十分な準備(勉強)をしなければならず、仮に本番の場で的外れな意見を発表してしまえば、他の参加者の厳しい視線に曝される訳で、同時に発表者の政治生命にもすこぶる影響が出ることは論を俟ちませんねひらめき電球

 

組織の方針を決める会議に参加する以上、出席者がきちんと準備をして臨むことが、或る意味当然であり、そうした組織人としての常識も、古の会議から学ぶことも出来るのですねパー

 

本日はここまでにしますあしあと