わたしの携帯電話INFOBAR NISHINIGOIってね。

ぜんぜん鳴らないんですよ。

 

 

鳴らない右矢印(イコール)誰からもかかってこない

 

 

ということなんですが

 

 

 

 

 

時々ね。

それを

 

寂しい・・・

 

とか思ったりするんです(笑)

 

 

 

なんのために

携帯電話持ってるんだろう?

 

 

 

なんて・・・(笑)

 

 

 

 

 

 

実際はね。

鳴ってるんですよ。

 

子供からLINELINE電話がかかってきたり

 

大事な友達から毎日Whats app(LINEみたいなアプリ)でメッセージ来たり

 

あと

社員から、とかね。

 

 

 

 

ちゃんとね。

鳴ってます、わたしの電話(笑)

 

 

 

 

でもね。

 

全体からみたら

わたしの電話が鳴ることはやっぱり回数少なくて

 

 

鳴らない携帯電話

 

 

なんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは

携帯電話をあけて

なんの通知も入っていないと

 

寂しいな〜

 

なんて思ったりする人なので

 

 

 

 

いっつも

ピンピンピンピン

携帯が鳴っていたり

 

どこかからメッセージがひっきりなしに入っている人を

羨ましいな〜なんて思ったりするんです。

 

 

 

 

 

誰かのLINEの

 

キンコーンルンルン

 

の呼び出し音に

もしかしてわたしの電話?

 

 

 

なんて

期待して開けたりして。

 

 

 

 

どんな寂しい

友達少ない人間やねん

 

なんて

自分ツッコミするときもあるけど

 

でも同時に気がついています。

 

 

 

 

 

忙しく携帯が鳴ってるとか無理ショック

そんなん困るえーん

 

 

 

 

そう思っている自分。

本当はこれが本音なんですよね。

 

(だから、本当に親しい人からしかかかってこないという現実を引き寄せている。)

 

 

 

 

 

 

わたしたちはなんとなく

他者に求められることが

(携帯がひっきりなしになること)

 

価値みたいにとらえてしまうところがあるけど

 

 

それってただの

寂しい自分の心の表れですよね。

 

 

 

 

誰かから求められる自分でいたい

 

 

 

 

それの象徴が

携帯電話がなることへの期待

だったりするんですよね。

 

 

 

 

 

でも、

虚しくそんなものを求めても

実際は何も手に入らない。

 

 

 

 

どんなに他者から求められる自分でも

(実際にあちこちから連絡入る自分でも)

 

自分の中身がすっからかんなら

 

いつまでたっても

どれだけ求められても

 

やっぱり虚しい自分はそのままそこに残るんですよね。

 

 

 

 

 

 

最近のわたしは

 

電話が鳴らない時とか

なんの通知も入っていない時は

 

 

 

自分とつながり

自分を見つめてあげる時間

 

 

 

という風にとらえて

その時間を与えてもらったことに感謝し

自分チェックの時間に当てています

 

 

 

 

 

現代人は忙しすぎる。

 

何が忙しいか?って

頭の中で考えすぎでぐるぐるしすぎてる。

 

 

 

 

それ自体は

現代社会に生きるわたしたちにとっては

仕方のないことだと思うけど

 

 

だからこそ

そんな静かな何もない時間を

 

自分のために

自分に向き合うために

 

ちゃんと使うべきなんですよね。

 

 

 

 

 

携帯電話がならない時間は

自分のための時間に当てる

 

 

そんな発想の転換と

ルールを作ってみるのもよいのかもしれません。

 

 

 

 

 

実際

携帯がならない時間は平和な時間。

 

 

 

平和を享受する。

安心を受け入れる。

 

 

 

あなただって本当は

本質的に求めているものもはそこかもしれませんよ。

 

 

 

 

 

 

まこねえ(東野真子)ラブラブドキドキ