猫と私 | ことばの花 〜in micia's garden〜

ことばの花 〜in micia's garden〜

miciaの詩♪ことばの花の種は心の中に。
たくさんの花が咲いて、人の心を明るくしますように♡

私は大の猫好きである。
それがいつからなのか分からないが、記憶にある5歳の頃には既に大好きだった。
今は亡き父方の祖母の家には、ミルクという名前のペルシャ猫と、ポン太という名前のチンチラがいたのだが、母が祖母の内職の手伝いをしている間、猫たちと遊ぶのが私の日課になっていた。
幼い私が彼らを力いっぱいギュウっと抱きしめて映っている写真は、大人になってから見ると微笑ましいよりもどこかシュールな絵にも見えて、猫たちを気の毒に思わなくもない。子供というものは正直で心優しくもあり、時に残酷でもあるものだ。

こんな風に猫と接していたせいか、いつの頃からか猫と過ごしたり風邪をひいたりすると、喘息のような症状が出るようになった。
後になって検査を受けると、猫どころか動物全般アレルギーであったわけだが、そんな私は現在3匹も猫を飼っている。
子供の頃にいつか猫に囲まれて暮らしたいと描いた夢はいつのまにか叶っていたといった感じだ。

猫アレルギーで猫を飼っていると、人から大丈夫なのかとよく心配されるが、今のところは共存できている。とは言っても、昨年一時的にアレルギー症状がひどくなり、息をあまり吸えない発作を度々起こした。すぐに病院に行けばいいのに何故か頑なに自然治癒を信じて1週間以上耐えていたのだが、結果的に呼吸困難で入院することになったのはまだ記憶に新しい。喘息ではないが喘息の気があり、今後も何かの拍子に同じ症状に陥る可能性があると診断され、今後も日常的に気をつけなければならない。
薬嫌いだが、気管を広げてくれる吸入剤だけはお守りとして持っており、やはりお世話になることも少なくない。私にとっては色々大変な面もあるが、変えがたい幸せな気持ちにしてくれるのが猫である。

猫好きはどうやら母譲りのようで、母は父と一緒になって私が生まれるまでに何匹か飼っていたらしい。最初は伯父(父は6人兄弟の長男でこの伯父は末っ子)が高校の帰り道で猫を1匹拾って持ってきたそうだ。
母はたいそうその猫をかわいがっていたが、ある日突然いなくなった。あちこち探しまわったが見つからなかった。日にちだけが過ぎて半分諦めかけた頃、家の裏口の窓をたたく猫の姿を見つけて慌てて駆け寄ると、にゃあと鳴いたそうだ。
あれほど感激したことはなかったと母は今でも嬉しそうによく語っている。
父はどちらかと言えば犬が好きで猫はあまり好きではなかったらしいが、その猫とはよほど相性がよかったのか、刺身を半分こして食べるほど仲良しになった。後にその刺身が原因で猫のお腹に虫がわき早くに亡くなってしまったのは皮肉なものである。

その他には父の伯父の妻だった人から譲り受けたシャム猫がいた。気性が激しく母や父の背中に登ってはセーターや服をダメにしたそうだ。私の中のシャム猫に対するイメージが良くないのはこの話を聞いているからに他ならない。この猫もかわいがっていたが、母が私をおなかに授かり、父方の祖母から体に良くないと言われたため、母の故郷の鹿児島の知人にもらってもらうことになったそうだ。

それから時を経て、私たち家族は私が小学2年生にあがるタイミングで今住んでいるこの土地に引っ越してきた。庭付きのマンションで広めの庭は殺風景だったが、ビワの木、桜の木、金木犀、ダリアと植えていき、適当な賑やかさになった。
今の時代の感覚で考えると誰でも侵入できそうな庭で危なく見えたが、オープンなおかげでまだ幼い猫が2匹遊びに来るようになった。
同じような柄の同じくらいの大きさだったので兄弟だと勝手に思っていたが、本当のところはわからない。家族みんなでかわいがっていたが、1匹はある日突然隣の家の庭で横たわって亡くなっているのが見つかり、残りの1匹はいつのまにか来なくなってしまった。

それからどれくらい月日が経ったのだろうか、いつの間にか庭にやって来た黒猫が家に居着いた。頭が良く、母が近所のスーパーなどに出かける時は、途中までついて行き、そこで母を待ち一緒に帰ってきたものだ。この子は長生きだったが、やはり別れの時は来てしまう。
亡くなる少し前に姿を消そうとしたことがあった。猫は死ぬ姿を見せないという話は事実ではないだろうかと思う。しかし、母はそれを嫌がり、どこにも行かないでここに居ていいからと猫に頼んだ。しばらくして、猫は家の母の見える場所で静かに亡くなった。

私が大学に通っている頃、父方の祖母が亡くなり、祖母と入れ替わるように新しい黒猫がやって来た。この猫は母の友人がどこかの駐車場で車に轢かれそうになっていたのを助けてうちへ連れて来たのだが、そのままうちで飼うことになった。この子は特に母との繋がりが強く、18年生きて、母が朝起きてくるのを待ってストーブの前の暖かい場所で母に見守られながら息を引き取った。
亡くなる前の夜、私はいつものように寝る前におやすみを伝えに行ったのだが、猫の瞳を見た時、もう長くないと思ってしまった。それでもいつも通りのおやすみを伝えて普通に寝たのはその悲しい予感を打ち消したかったからだ。しかし、直感とはこわいもので私が朝起きた時に猫は既に冷たくなっていた。私だけが最期に会えなかったのだと思うととても悲しかった。

それから私は時々こわくなる。朝起きたら大切な誰かに会えないのではないかと思ってしまうのだ。寝る前には必ず猫の顔を見るし、朝になって親がいつも通りに元気だととても安心する。

不思議なもので、入れ替わるようにわが家にはまた新しく猫がやって来て、その猫があっという間に4匹の子供を産んだ。
産んだ場所は誰が教えたわけでもなく亡くなった黒猫が一番気に入っていた2階の部屋の一角である。亡くなる前に猫同士で何か引き継ぎでもしたのだろうか。
私は最近猫が亡くなるときに次の猫を連れて来てくれるのではないかと考えている。不思議なご縁のようなもので繋がって、私は今この猫とその子供たちと暮らしている。猫5匹となるとさすがに行き届かないので、4匹の子供のうち2匹は里子に出すことにした。送り出すのは思っていた以上に寂しかったが、里親さんから近況の写真や動画を見せてもらう度、愛されて幸せそうな姿に安堵している。現在一緒に暮らしているのはこういった経緯で残った3匹である。

これまでの猫と自分との関わりを少しまとめてみたかったのだが、予定より長くなってしまった。猫3匹とのあれこれ話は現在進行形で増えている。またどこかで書き残せたらと思う。
今日も無事に平凡な1日を過ごせたことに、心からの愛を込めて締めくくることにする。