書評問屋

大学生も社会人になってしまいました。経済学に携わりながら、仕事をしています。主に書評を書いています(このブログは個人的な考えのみを書いています)。関心分野は経済学(Econometrics, Bayesian, Macroeconomics, IO, Machine-Learning)、哲学(ポストモダン)、社会・文化、歴史、物理学、小説・随筆などなどです。

本書はまずタイトルが良いですよね。テーマとしては身近な「文系理系論争」。著者の専門である科学史の視点を入れていきながら、社会的なテーマへ切り込んでいきます。大学に行く人なら誰もが一度は真剣に考えるティーネイジャー時代の大きな悩み。「なぜ分かれたのか」というタイトル設定で、陳腐な「文系が良い、理系の方がいい」という不毛な論争とは袂を分かっていることが示唆され、そもそも文系と理系は昔は一緒だったのか、という読者の好奇心を煽っていきます。





さて、そんな本書の背景には、著者や一般的な読者の「文系理系の選択」という大きな決断に対する思いと社会的な背景があります。昨今、AIやデータマイニングに対する期待感もあり、STEAM(Science, Technology, Engineering, Art, Mathematics)人材の育成が叫ばれています。例えば、文部科学省が2017年から開催している「Society5.0に向けた人材育成」に係る大臣懇親会の資料(こちら)にも、STEAM人材育成の必要性が書かれていますし、2018年6月には経済産業省でも「「未来の教室」とEdTech研究会」という資料(こちら)で、「探究プロジェクト(STEAM(S))で文理融合の知を使い、社会課題や身近な課題の解決を試行錯誤する」というような目標が掲げられています。日本経済新聞にも「福岡のIT起業家、人材育成競う(2018年5月31日)」という記事で、STEAM人材の育成が取り上げられています。一部では、人文社会系(SSH: Social Science, and Humanities)の不要論なども噴出しつつも、こうした形で理工医系が注目される中で、より学際的な学問や研究のあり方も展開されています。例えば、経済学は1990年以降学際化の傾向を強めていることが観察されています(Angrist et al, 2018)。
学際的な学部や取り組みといえば、有名なのは慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスや東京工業大学のリベラルアーツ教育が挙げられますが、実際の趨勢としてはどうでしょうか。文部科学省の「学校基本調査」を見てみましょう。ここでは便宜的に1989年(平成元年)と2018年(平成三十年)の二時点を比較してみます。男女あわせた総計と男女別の図表を以下に載せます。Pythonの練習的な意味合いで、Pythonのmatplotlibで描いてみました。

Fig1. 1989年と2018年の学部学生数割合
figure1
(文部科学省「学校基本調査」)

Fig2. 1989年と2018年の学部学生数割合(男)
figure2
(文部科学省「学校基本調査」)

Fig3. 1989年と2018年の学部学生数割合(女)
figure3
(文部科学省「学校基本調査」)

こうしてみると、男女あわせた統計では「保健」と「その他」の伸びが目立ちます。「保健」は医療分野の需要の高まりを表していると言えるでしょう。一方、「その他」が含む学部としては、総合学部や教養学部、国際関係学部などになりますが、こうした学部の人気の高まりが観察されます。男女別にみてみますと、男子学生の学部学生数割合については、意外なところでは人文科学の割合が上がっています。一方で、社会科学や工学などの従来の男臭い学部の学生数が落ちていることがわかります。保健やその他についてはこちらでも顕著な伸びを示しています。女子学生の学部学生数割合については、人文科学の割合の落ち込みが著しく、社会科学や保健、その他の伸びが大きいです。また、工学や農学などでも伸びが見られ、少しずつではありますが、日本における理系女子も増加傾向が見られます。



さて、本題に戻れば、やはり学際的な学部の増加は見られるようです(1989年:1.50%、2018年:7.58%)。しかし、この傾向が良いものなのかどうかは早急な判断が難しいところでしょう。というのも、それぞれの知は専門性がより高くなっている現状があり、その中で学際的な研究がどこまで新しい意味合いを持つのか、その学際性の必要性を適切に評価することは難しいとされています。もちろん、専門性の高まりについては常に批判があります。本書にも書かれている通り、1910年〜20年代の欧州では専門分化の行き過ぎが危惧されておりました。フランスの思想家のアンリ・ベールは総合的な知の大切さを説き、サロンの復興を画策し、ルドルフ・カルナップらに代表されるウィーンを中心とした論理実証主義は「統一科学」の夢を掲げ、やや大袈裟に言えば、全てが物理学に統一されるという主張を展開しました。ただし、こうした総合的に知を一つにまとめ上げていく考え方は、当時は政治性を持ちやすく、実際にナチスの人種衛生学は進化論と医学・人類学などの知見を中心に統合されていった結果、ナチスの強力な後ろ盾となってしまったという暗い歴史を内包しています。科学技術社会論研究者のスティーブ・フラーやダニエル・サレヴィッツは学際化の試みが、政治性をもち、実用性を超えた「学問統一」への欲望と隣り合わせになりやすいことを指摘しています。

とは言え、歴史的に見れば、むしろ昔の学問は神学を中心として学際的だったと言えるでしょう。大学がヨーロッパ世界で定着したのが、十二世紀と言われています。ちなみに、最古の大学(近代西欧語で大学を意味するもの)はボローニャ大学、パリ大学、オックスフォード大学、モンペリエ大学辺りだと考えられています。その後、ローマ教皇や王権によって、トゥールーズ大学、サラマンカ大学、ナポリ大学が設立され、十四世紀になると、ウィーン大学、プラハ大学、ハイデルベルグ大学などが設立されました。こうした中世ヨーロッパの大学では、神学・法学・医学が上級学部と呼ばれ、それぞれ聖職者・弁護士・医者を育てることを目的とされていました。一方で、下級学部として、文法・修辞学・倫理学および弁証術・算術・幾何学・音楽・天文学は自由学芸七科と呼ばれ、この上級学部と下級学部が公務につくものが必要とされている学部でした。また、機械学芸七科と呼ばれる技術的な分野もありました。当時は、ものづくりの地位が低く、数学や工芸などは低い扱いを受けました。
十二世紀にはこのように教会の外に知的活動の場が生まれ、15〜16世紀にもなると、大学以外にも私的なアカデミーが勃興し始め、知的活動が教会と大学の外に広がっていた時代でした。私的なアカデミーでは社交と研究の入り混じった活動が展開され、集まって学問談義をしたのち、音楽などを奏でて晩餐会を行うのが一般的なスタイルとなっていたそうです。当時は、「文系」と「理系」を分け隔てるという発想はなく、全人格教育を掲げたルネサンスの理想が根付いていたいのか、幅広い教養を身に付けることを自然としていました。ですから、数学や音楽と詩吟を一緒に談じるということも稀ではなかったそうです。
このアカデミーは王権によって制度化されていき、17世紀になるとフランスではアカデミー・フランセーズ(1635)や、ロイヤル・ソサエティ(1662)、パリ王立科学アカデミー(1666)が成立します。18世紀には200以上のアカデミーが成立したそうです。この活動は今でいう学会に近く、王権の庇護のもと、会員に一生を研究に費やせるような立場を保障していたそうです。このアカデミーの制度化は緩やかな専門分化の動きをもたらしていきます。ロイヤル・ソサエティは科学の専門学会誌の先駆けとなるような『Philosphical Transaction』を出版します。このロイヤル・ソサエティにはニュートンも所属しており、彼は科学者の模範としてヨーロッパ全土に知れ渡り、死去の際には国葬までされました。パリ王立科学アカデミーは、科学の研究論文の出版のスタイルを確立しました。論文がジャーナルに載るには査読を受けなければいけないという仕組みを作り、科学の議論に宗教の話を混ぜてはいけないという決まりを初めに定着させました。当時は、自然界の謎に行き詰まった際に、神の存在に触れることが常識であり、自然現象は神の創った世界に対する探求として捉えられていることが一般的だったのです。
そして専門分化の勢いを加速させたのはフランス革命でした。ヨーロッパ諸国の動乱は、アカデミーでの研究活動を衰退させ、王権に基づく旧来の制度が一気に崩壊していきました。それに伴い、新しい学術の制度が生まれていきます。1774年12月には新しい共和国に必要な技術系人材の不足を補うために、パリに公共事業中央学校という技師育成学校が発足し、翌年にはエコール・ポリテクニークと改称され、身分の別なく男性市民の入学を認めました。アカデミー所属の科学者は同校に雇用され、高度な科学理論教育が育まれていきました。同校は大学ではないものの、大学の理工系教育の形成に影響を与えることとなりました。

「理系」に比べ、「社会科学」や「人文科学」の成立ははっきりしません。もちろん、法学などの定式化はされていましたが、文系知識は当時は教会の影響力が強く、社会科学は「神の定めた秩序」の支配下にありました。この世界を抜け出し、「人間のための秩序」を打ち立てるには時間を要しました。そのきっかけはルネサンスと宗教改革にあります。ルネサンスは神ではなく人間中心の世界観を広め、宗教改革は活版技術を背景に「自国語に訳された聖書をきちんと読み自分の頭で理解する」ことの重要性が人口に膾炙させることに寄与しました。こうして「どんな権威も間違うのだから、自分の知性で判断をするべきだ」という態度が少しずつ、宗派を超えて広まっていきます。マキャベリの『君主論』やトマス・ホッブスの『リヴァイアサン』は、宗教的な道徳を政治や国家から切り離して考え、それぞれ固有の原理や理論を追求するところから生まれていきました。ホッブスの自然権に基づいた国家との社会契約を元にして、ロックやルソーの社会契約論、モンテスキューの三権分立などの法学理論が大成したわけです。
彼らがそうした学問体系を築けたのは、アリストテレスやプラトンなどの古代哲学の文献などに当たれたことが背景にありますが、これはルネサンス期に発展した文献学の手助けなしには達成されなかったでしょう。文献学とはテクストを読むために必要な方法であり、当時はアリストテレスのような一千年以上前の文書は手書きで伝承されており、複数のバージョンが存在してしまっていました。そこで15〜16世紀の人文主義者と呼ばれた学者たちは、複数の古文書を付き合わせ、オリジナルの原稿の再構成を試みました。複数の文書を読み較べるため、彼らは古代ギリシア語、古代ラテン語、ヘブライ語、アラビア語、シリア語などの複数の語学に通じていました。これらは後の「人文」系のアイデンティティの中核を形成していきます。
また、宗教戦争が落ち着くと、神ではなく自分の知性で判断をするところから、「理性的に行動するためにはどうすれば良いのか」という問いが知的な人々の関心事となっていきます。これが「啓蒙思想」の流行を産みます。普遍的な人間の理性を解放することで、人間は自由となり、自然の支配と、社会の変革を実現していけるという考え方が、正に啓蒙思想であります。この動きの中で、ドニ・ディドロとタランベールの編集による『百科全書』(1751〜1772)という大辞典が編纂されました。この中に文系理系とは異なりますが、専門分化の考え方の浸透が見られていきます。

また、ここでようやく「社会科学」の成立が見られていきます。経済学の原点として名高いアダム・スミスの『国富論』(1776)の源流は、自然科学に影響を受けた特殊な政治思想の流派にあります。同時多発的に経済学の母体となる多様な政治思想が生まれてきたのがこの時代です。イギリスのみならず、フランスでは重農主義と呼ばれるような農産物の流通の考察やイタリアでは「政治経済学」という大学講座の成立が見られ、ドイツでは財務官僚人材養成のための官房学という科目が各地の大学に制度化されていった時代でした。

「理工医系」「人文科学」「社会科学」の成立を見たところで、これらがどのように19世紀、20世紀に社会で受け入れられ、発展していったかについては、本書をご覧になっていただきたいと思います。また、日本での江戸時代以降の儒教から蘭学の受け入れ、そして明治維新から第二次大戦前後の技術者養成ラッシュまでも本書は解説してくれています。さらに、現代的な問題として産業界とジェンダーとの関係性、女性は数学ができないという昔からよく言われている妄言についてなども、本書では丁寧に解説されております。



最後に、本書の最後の方には、学問のあり方について述べられております。この章が個人的にはもっとも興味深かったです。私なりの解釈も入り混じっていますが、多様な知のあり方を文系理系と明確に分けるのはやはり困難ではないかと思います。とはいえ、便宜的には役立つとともに、日本のみならず、世界でも簡易な二元論はあるようです。一方で、一つにまとめられるかといえば、それは誤った議論でもあるのではないでしょうか。その中で本書に出てくる理系のような「法則定立的」か文系のような「個別具体的」かという議論がもっとも有効打であるように思えます。私は学問間の違いはこのグラデーションの中に位置付けを図るべきではないかと思います。例えば、理系の中でも、数学、理学、工学は「法則定立的」な要素がより強いですが、生物学、医学、地球環境学などの生物や自然に関わる学問は「法則定立的」な側面と「個別具体的」な側面を併せ持っています。スティーブン・グールドの指摘したパンダの指の数などは代表的な「個別具体的」な例であり、Historical Pathの偶然性によるものがあると言えるでしょうし、医学の極めて特別な症例や地震の発生などは個別具体的な偶然性に依存しているところがかなり大きく考えられるでしょう(グールドについては、こちらの書評で『理不尽な進化』)。その個別具体的なケースと普遍的な部分の双方を考慮することで、物事の構造に迫ることができるのでしょう。また、文系の中でも経済学や政治学、社会学、心理学は定量的な手法が当然のものとして広まっている一方で、これらは国家や個人を対象とした学問であることから繰り返しの実験などを通じて再現することが難しい点が自然科学とは異なり、個別具体的な話となってしまいます。しかし、カール・ポパーの反証可能性はデータに基づく実証研究を重ねることで十分可能ですし、そうした法則定立的な側面も見受けられます。しかし、文学や哲学、商学、歴史学などはかなり個別具体的であり、そこに法則を見出せというのは酷な要求でしょうし、本来のあり方ではないでしょう。最近は文学にもテキストマイニングの手法などが現れ、歴史学も経済学的な知見を生かして定量的に歴史を測ることに関心が高まっており、より科学的になってきているのではないかと思料されますが、とはいえ唯一無二の文学を生み出していくことも学問のあり方としては決して否定できないものでしょう。ここにはこうした「法則定立的」なものと「個別具体的」なものとの濃淡を見出せます。
私にとっては、むしろ学問への関心の抱き方は、上記の説明がもっともしっくりきます。私個人としては世の中の法則の発見、たとえそれがどんなに些細でも、に関心を見出します。私の専門は経済学ですが、その中でもとりわけ関心を抱いているのが定量化しづらいものを定量化することに関心があります。それもあって環境経済学を専攻したわけであり、環境要素という漠然としたものをどう市場や個人の価値観のなかで位置付けていくのかという試みに強い関心を持っています。そういう意味では、私は今後心理学や行動経済学、政治経済学、歴史学なども関心を強く持てそうだなと考えております。マーケティングなんかももっと科学的な議論が浸透すれば、本当に面白いのにと感じております。
こうした学問へのリスペクトには、一つ重要なことがあることを最後に申し上げなければいけません。著者の言葉にとても良い言葉があったので、紹介させてください。例えばですが、環境学は日本では公害の歴史をバックグラウンドとしていることもあり、1970〜1980年代には環境問題を専攻している人は就職が難しかったと言われていました。しかし、今ではエネルギー問題は喫緊の問題として立ち現れております。他にも昔は数の暴力と呼ばれ敬遠されていたコンピューターシミュレーションも当たり前の時代になってきております。何が言いたいかというと、時代によっては、選択した学問におけるテーマ選択や手法選択に対して、それだけで政治性の烙印を押されてしまうことがあり得ます。その中で私たち一人一人が気をつけていかなければいけないことに、中立性の確保があります。無論、人間の理性には限界もあるでしょうが、ある種学問の営みのポジティブな副作用に自らの政治性の自覚、ひいては中立へ近づいていく、というものがあります。凪になるという意味ではなく、自分の意見を持った上で、中立性を保つような努力がそこにはあるということです。ただし、理性的になるには以下のことを私たちは掲げなけれないけません。「複雑な対象を前にして、価値中立を掲げることが持ちうる政治性」の意識。つまり、「知的な死に体」にならないようにと言うことであり、マジョリティの価値観に浸っているために自らの政治性が自覚できていない状態のことを「中立」と言う名で呼び換えていないかどうかを、自分自身に問いかけなければいけません。中立性へ近づいていくには、「学問は現実の対象に近づくほど不可避の政治性を帯びる」ことを自覚しつつも、それでも学問的方法論に根ざして言葉を紡いでいかなければいけません。無数の人々にブラッシュアップされてきた学問はその近道なのです。
これらの言葉は私自身への戒めとして残しておこうと思います。



【オススメの三冊】
哲学入門 (ちくま学芸文庫)
バートランド ラッセル
筑摩書房
2005-03-01

(最後の議論は哲学の議論へ繋がっていくでしょう。そう言う意味でオススメの本。書評はこちら。)


(理系の個別具体的な側面を見たい場合には、具体例としてはとても良いと思います)

近代日本の研究開発体制
沢井 実
名古屋大学出版会
2012-11-15

(日本の戦争前夜における理工系の技術者育成の記述に関しては本書がベスト。)
 
           
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コメント

 コメント一覧 (1)

    • 1. 式神自然数
    • 2020年06月16日 04:10
    • 『HHNI眺望』で観る自然数の絵本あり。
      有田川町電子書籍 「もろはのつるぎ」

      ≪…文系 理系…≫的な、御講評お願いします。

      時間軸の数直線は、『幻のマスキングテープ』に・・・
      『かおすのくにのかたなかーど』から・・・
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