今日は、朝のお散歩へ。
一週間ぐらい散歩へ行っていなかったので、少し久しぶり。いつもと同じ通り、同じ景色のはずなのに、時間があいたからでしょうか。
特に楽しいものでした。
ストレス発散や、少しでも体を動かそうと始めた近所の散歩。あの朝一歩踏み出してよかったと、今思います。
外出禁止令が出なかったら家の周りを散歩をすることはなく、目の前にある景色を見ることも、ジャカランダの花咲く期間が意外と長いと知ることも、ハミングバードに出会うこともなかったでしょう。
流れて消えたように感じる家ごもり中の時間や季節だけれど、散歩中の小さな発見や目にする移り変わりが日々刺激となっていたから、今、きちんと季節への感覚を合わせることができています。
ジャカランダの蕾が膨らみ始め、花をつけ、満開になり、散っていく。
その姿を観察するように眺めることができたことが嬉しく、そのジャカランダの変化が、時間の体感につながっている。
もう6月!とは思いはするけれど、散歩で季節の移ろいを眺めていなかったら、時に対する感覚を戻すのにもっと苦労したはず。
一時間増減する、サマータイム時間の変更ようにね。
人には歩く速度がちょうどいいといいます。
アメリカに来てから車中心の生活をしてきた私には、その意味が最近わかりました。
目や耳から入ってくる情報量。
何かに気がついたとき、それを追える余裕。
車では感じない、自分にぴたりと嵌っている状態。これは歩く時間が増えてから、出てきました。
思い返せば日本にいた頃はこの感覚があったけれど、いつの間にかなくなってたことに気が付いたのは、先日です。
人間は適応能力が高いゆえ、生活圏をどんどん広げ科学によって便利な生活をしています。社会で生きていくためには、私たちはその中で生きていくしかなく、また必要なこと。
私はこれからも、車中心の生活をするでしょう。もしかしたらまた、自分にぴたりと嵌る歩く速度の心地よさを忘れるかもしれない。
けれど、時に地面を踏みしめ、風を感じ、鳥の鳴き声に心揺さぶられ、花の香りを楽しむことをこれからもしていきたい。
日常が動き始めた今、散歩をしながら思うこと。