青空市と紙袋 | 私のイタリア時間

私のイタリア時間

イタリアに住みはじめて、20年もの月日が経ちました。
イタリアでの何気ない日々。流れる時間の中で起こる、ふとした出来事や思い。
このブログでは、そんな日常を1枚の写真と共に書き綴っています。






Friggitelli (フリッジテッリ)は、日本のピーマンに近い。
好きな分だけ、紙袋に入れてくれた。



土曜の朝方は、

家から5分ほど離れた場所の

小さな広場にメルカートが出ていて、

ここで

新鮮なお野菜を買うことができる。


土曜の午前中だから、

近所の人がいっぱいいて、

なんだか賑わっていていい。


近くの大型スーパーも

きっと混んでいるのだろうけど、

広場の青空市は、

どこか、穏やかなのんびりした雰囲気があるのは、

全て、アナログだからじゃなかろうか…

なんて思いながら、

おじいちゃんやおばあちゃんの買い物風景を

のんびりと見つめる。


スーパーなんかだと、

大きなカートで買い物してる人がいるのだけど、

結構な勢いで突っ込んでくるのは、

なぜか、

お年寄りに多い。

前が見えてない…と一言でいえば

ただそれだけなんだけど、

カートを力任せに押しながら

突っ込んでこられたら

たまったもんではない。


だから、

スーパーに行く時には、

極力、

人の少なさそうな時間を選んだりしている。


青空市で買うのに

もうひとつ良いことは、

紙袋に入れてくれる…ということ。


イタリアのスーパーでは、

燃やしても良いビニル袋に入れて計量する事が

義務付けられているのだけど、

このビニル袋というのが、

そもそも、

好きではない。


燃えるから良いって事ではなくて、

レタスなんかの切り口に触れると

翌日、

袋の一部が黄色く変色してたりする。


化学反応とか知らないけど、

見ていて心地良いものではないし、

感じるって事は、

多分、

人間の感覚として

いやだな…と思うことは、

正しいと思ったりする。


ペットボトルの誕生は、

すっかり物心のついた頃にあったのだけど、

あの時、


ペットボトルのコカ・コーラは、美味しくない!


と強く思った事は

科学的根拠なんて知らない子供でも

それは

確かにそうなのだ!と

今になっても、

思ったりする。


テレビを見ていたら、

「プラスチック問題」に取り組む人たちが

取り上げられていた。


海に沢山捨てられているゴミ。


その殆どが、

ペットボトルなどのプラスチック。


プラスチックを買うな!って事ではなくてね、

それを、

捨てるべきところ、

ごみ箱に捨てる!っていう事。


誰でもできる事をやったらいいのに、

人は、

時々、

大きなことを考えすぎて


手前の出来る事をしないんだよね…


そう思いながら、

来週も、

あの青空市に行こう!と

思った、私である。





⬇︎今日もありがとう!


最後までお付き合い、どうもありがとうございます。