彼岸も過ぎて、仏前に備えてあったおはぎを食べた。かっては、もち米を炊いておはぎを作ったものだが、今はスーパーの彼岸用のものを買って備える。数日経ったものだが、まだ柔らかくおいしく食べられた。おはぎとぼた餅はどうちがうか、諸説がある。もち米で作ったものがぼた餅、うるち米で作ったのをおはぎとする説やもちで作ったものをぼた餅、もち米で作ったものをおはぎとする説があるらしい。食べる方からすると、どちらでもよい。店で買ってきたものは、あんこときな粉、ずんだをまぶしたもの三種をセットにしたあった。どれも美味しく、お彼岸でなければ食べられない懐かしい味だ。
ある山村では、ぼた餅でも炊いたもち米を半分に潰して作るのを半殺しと言った。これもその食感が珍しく、おいしく感じられる。その山村の笑い話にこんなのがある。旅人がこの山村へ来て一夜の宿を頼んだ。快く承知したその家の夫婦が、台所で相談をしていた。旅人の耳に、「今夜はテウチにするべか、ハンゴロシにするべか」と聞こえてきた。旅人は肝をつぶして、逃げ出したが、あとで聞いたところ「手打ちそばがいいか半殺しのぼた餅がいいか、ともてなしの相談をしていたとのことであった。
茫々と雨の彼岸の過ぎしはや 杉山 岳陽