美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

メディアで出回る経済言説の誤りを正す

2020年05月06日 23時17分56秒 | 経済


町田 徹という経済ジャーナリストが、5月5日(火)の現代ビジネス・ウェブ版に、『「10万円給付のツケ」は結局、国民に…!大増税時代がやってくる』をアップしています。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200505-00072339-gendaibiz-bus_allここには、メディアで出回っている、誤った経済言説の典型的パターンがてんこ盛りなので、それを取り上げて批判しようと思います。

では、早速はじめます。
 
われわれ納税者の立場からみて、さらに深刻なのは、日銀が制限なく買った国債の元利払いのため、遠からず、増税せざるを得ない日がやってくることだろう。

日銀が金融緩和によって買い入れた国債に対して、財務省が律儀に利子を支払っているのは事実です。しかし結局その支払額は国庫納付金の増大として政府に還元されます。つまり、政府と日銀を連結した統合政府において、日銀保有の国債に対する政府の支払い利子は、日銀の受取利子と相殺されるのです。親会社と子会社との連結会計と同じ理屈ですね。だから、日銀が買い入れた国債の元利払いのために、政府が増税しなければならなくなることはありえません

次にいきます。

歴史的に見れば、日銀のような中央銀行がその国の国債を大量に直接引き受けたり、度を超して買い入れたりすることは禁じ手とされてきた。通貨への信認が薄れるなどして猛烈なインフレを引き起こす懸念があるからで、経済学の世界では今でも、どこかで限界が来るという見方の方が支配的だろう。

財政法第5条に、次のような規定があります。

すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。

この規定に基づき、日銀は、日銀が自国の国債を直接引き受けることは原則として「禁じ手」であるとしています。日銀HPで、その理由は悪性インフレを避けるためと説明されています。ここで「悪性インフレ」とは、経済・社会全体を混乱に陥れるようなインフレで、いわゆるハイパーインフレーションを指しているものと思われます。

しかし、その後半の但し書きに次のようにあります。

但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。

この但し書きにより、日本銀行が市中から買った既発行の国債が満期を迎えたときに、それを新しく発行される借換債(日銀乗換という)に切り替えるという形で、日本銀行による日本国債の実質的直接引き受けは国会の議決の範囲内で毎年行われているのです。

当方が言いたいのは、実態として、国債の日銀引き受けは禁じ手でもなんでもない、ということです。

次に、国債を「度を超して買い入れたりすること」が歴史的に禁じ手であったのは、2008年のリーマン・ショックをきっかけとする欧米の中央銀行の大胆な金融緩和の断行という歴史的事実によって過去のものになりました。今でも当方は、日銀がそのトレンドに乗り遅れたことが、リーマン・ショックからの日本経済の立ち直りにマイナスに作用したと思っています。

三つ目として、「通貨への信認が薄れるなどして猛烈なインフレを引き起こす懸念がある」とされていますが、「通貨への信認」というあいまいな言葉が実際のところ何を指すのかはっきりしませんし、「猛烈なインフレ」は、歴史的に、国中の生産手段やインフラが壊滅的な打撃を蒙った大きな戦争や革命の後か、二〇〇八年のジンバブエのように、独裁者が途方もないほどに馬鹿げた経済政策を次から次に打ち出した場合か、いずれかにおいて起こる超レア・ケースです。第一、二〇数年間にわたってデフレを続けてきた日銀が「猛烈なインフレ」を抑えることくらい朝飯前でしょう。

四つ目として、「経済学の世界では今でも、どこかで限界が来るという見方の方が支配的」とありますが、そのなかの「経済学」とは、緊縮財政を思想的理念的に補強する、いわゆる「正統派経済学」なるものを指しているものと思われます。

以上述べたような、いわゆる通説への批判的視点が、当引用にはまったく見受けられません。それは、経済を論じる者として、コロナ恐慌という未曽有のデフレ恐慌に直面している現状に対する感度がゼロに等しい在り方であると当方は考えます。「通説べったり」と言われて、町田氏は、「経済」ジャーナリストとして恥ずかしくないのでしょうかね。

MMT派の学者の中には、「日本は早くからMMTを実践してきた国だ」という主張もあれば、「すでに人手不足で、なおかつ人口が減っている日本で行うのは極めて危険だ」と主張する人もいる。MMT派の中にもこれといった確固たる定説はないとも言える。

引用中の発言がだれのものかは定かではありませんが、「日本は早くからMMTを実践してきた国だ」という発言は、それがMMT論者のものであるとすれば、巨額の債務を抱えているのにインフレも金利上昇も起きない日本が、財政赤字それ自体は何ら問題ではないというMMTの主張の正しさを物語る実例である、という逆説的な物言いをしているだけのことであると思われます。また、「人手不足で、なおかつ人口が減っている日本でMMT的経済政策を行うのは極めて危険だ」と主張している人物が自分をMMT論者だと言っているとすれば、彼はMMTを誤解していると言わざるをえません。

というのは、デフレ恐慌下において、政府は無制限に貨幣発行権を行使することができる、すなわち国債を必要なだけ発行することができる、とするのが、MMTの基本的な主張だからです。「インフレにならない限り」という貨幣発行の制約条件が、デフレ恐慌下においてはなくなるからです。「MMT派の中にもこれといった確固たる定説はない」というのは、論者が雑な引用に基づいて間違った判断をしているのか、MMTの基本をよく理解せずにしのこの言っているか、あるいは、悪意があって曲解しているのかのいずれかだと思われます。

深刻なのは、財政の実情だ。将来、MMT云々とは無関係に、非常に厳しい事態が到来するだろう。その点こそ、今から覚悟しておかなければならない問題だ。どういうことかというと、所得税の大増税時代がやってくる可能性が高いのだ。

町田氏は、ここでひどく間違ったことを言っています。先日申し上げたことを繰り返しましょう。

財政赤字は、将来世代の増税によって補てんされなければならない、という誤解は、政府の借金=赤字国債は、国民の預貯金から拠出される、という非現実的な想定・設定に起因します。では、本当のところ、国債の拠出金はどこから生まれてくるのでしょうか。直截に言ってしまえば、日銀職員がキーボードのボタンをパチパチと叩くことによって生まれます。当方は、冗談を言っているのではありません。先日の例を以下に再録しましょう。

政府と市中銀行は、日銀の口座に「日銀当座預金」勘定なるものを設けています。たとえば政府が赤字国債10兆円を発行し、市中銀行がそれを買い入れたとします。その場合、政府の「日銀当座預金」が10兆円増え、市中銀行の「日銀当座預金」が10兆円減ります。政府の10兆円規模の公共事業を請け負い、政府発行の10兆円の政府小切手を入手した企業は、市中銀行にそれを持ち込み、市中銀行は10兆円を企業の口座に記帳すると同時に10兆円の取り立てを日銀に依頼します。で、日銀は、政府の「日銀口座預金」を10兆円減らし、市中銀行の「日銀口座預金」を10兆円増やします。これで振り出しに戻るわけです。プラス・マイナス・ゼロというわけです。

政府が、どうしても増税したければ、「借金は返さなければならない」というわけで、国債を償還することになります。というのは、国債償還の財源は、財務省が言う通り税収だからです。

しかし、実はその必要はありません。上記の赤字国債10兆円の発行・買い入れは原理的に無限に繰り返すことができるからです。つまり、国債償還に伴う増税は「余計なこと」「はた迷惑」なのです。

マスコミで流布する経済言説のほとんどは(池上彰のそれを含めて)、国民に貧乏くじを引かせるとんだ食わせものなので、お互い注意しましょうね。

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